平安時代になってから桜になった、のではなく、『万葉集』の一時期に集中して梅が詠まれたのです。 梅は7世紀の後半にその実を食用・薬用にする為に中国から輸入されたものだと言われていますが、『古事記』や『日本書紀』・『風土記』では確認できず、『懐風藻』に収められた「春日翫鶯梅」と題された葛野王の作が、梅を詠んだ最古とされています。 『万葉集』で梅が詠まれた歌は約120首ありますが、時期的には天平期(729~749年)に集中していることが特徴です。 詠まれた梅の多くは、大宰府の梅や貴族の家の庭の梅であり、特に大伴旅人が主催した太宰府での梅花宴では、一挙に梅の歌が30首以上歌われているわけですが、ここで歌われている景物表現として、「梅花」・「青柳」・「雪」・「鶯」などの語が多く使用されています。 これらの景物は詩の素材としてのものであり、多くがその景物を取り合わせて詠んでいることからも、中国詩の知識