「熱い血を誤って流さないでください。皆さんの敵は海を隔てたこの地にはいないのです。お元気でどうか生き抜いてください」 1938年から41年にかけ、中国の戦場で、若い日本人女性の声が繰り返し響き渡った。37年に始まった日中戦争を「軍事ファシストが自分たちの利益のために起こした侵略戦争」と喝破し、ラジオ放送で日本兵に戦闘停止を呼びかけた。 「反戦放送」の声の主は、当時20代の長谷川テル(12~47年)。日本の都新聞(現・東京新聞)は38年11月、テルの身元を割り出し、「嬌声(きょうせい)売国奴の正体はこれ」「怪放送、祖国へ毒づく」と伝えた。当時、テルは中国国民党に協力し、武漢、重慶から放送を続けていた。記事では、テルの父親が取材に応じ「(事実ならば私は)立派に自決する」と語っている。 テルは37年、こんな文章を発表している。「お望みならば、私を売国奴と呼んでくださっても結構です。決して恐れませ