《朝ぐもり》という言葉で、ある活字のまとまりが始められたとき、それは言語的な主体にはなりえないものとしてまずは身をあらわすだろうが、続いて《開封の前よく振って》と来たとき、誰がその行為を担っているのかという以上に、何を開封しようとしているのかということの抜け落ちによって、《朝ぐもり》と《開封の前》のあいだに、単なる区切りとは別の隔絶が見える。《朝ぐもり開封の前よく振って》。《朝ぐもり》を、《開封の前よく振って》という言葉が示している行為にとっての、単なる書割とするのを妨げているその隔絶は、《開封》する対象として《朝ぐもり》をもたらすのはもちろん、《朝ぐもり》こそが《開封》する主体として機能する回路を、僅かながら開くことになる。 一般的には主体とはなりえないようなものの、言語表現を介した主体化の可能性の提示。同様に、《プールから人引き上げるひつじ雲》《金魚鉢ガーゼ包帯取り換える》《海の底見て
