どんな音楽が好きと他人に訊かれる経験はだれにでもあるだろう。ぼくはその場合に絶対に自分の好きな音楽を言わない。だいたい、なんでも聴く、とか、そのとき周りの友達とかが聴いている音楽を聴いているとか答える。まあ、嘘ではない。でも、周りの趣味とかに関係なく、いつも、ぼくが猛烈に惹かれてしまう、あるタイプの音楽もあるのだが、それについては滅多に口を開かない。 なぜかというと、大昔、好きだった子に馬鹿にされた経験があるからだ。どういう風にいわれたかというと、「汗くさい」「なんか貧乏くさい」というような形容詞のひとことで切り捨てられたのである。これはきつかった。 具体的に名前を出してしまうと、そのときはTUBEというバンドだった。同じように猛烈に惹かれてしまうバンドにはACIDMANなんかもある。単発の曲とかでいうとD-51のサヴァイバーとかいう曲はとても好きだった。JAM Projectとかもぼくの
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音楽業界が苦しんでいる。音楽のパッケージソフトが売れないのだ。「“音楽”自体がもうオワコン」(たとえばアゴラ)という話まである。音楽を「産業」、聴衆を「市場」としか見ていないと、こういう議論も成立してしまう。大間違いだと思うが。 音楽業界は1960年代からこっち、大金を稼げる産業だった。なぜビッグマネーを稼げたかというと、いくらでも複製できるパッケージソフトがばんばん売れたからだ。それまでの音楽家は、実演でしか金を稼げなかったので大金とは無縁だった。 しかしレコード技術と流通システムの確立により、野心的な音楽家はときに大金を稼ぐ機会に恵まれるようになった。ビニール盤、CDと、音楽産業の隆盛はおよそ半世紀続いた。 でも五十年経ってついに、音楽市場から顧客が退場し始めた。長らく「若い人たちが音楽を聴かなくなった」「携帯電話にお小遣いを奪われた」「ダウンロードに顧客を奪われた」と言われて来たがホ
[サムライサッカーキング Nov.2012 掲載] 『スラムダンク』の流川楓のように「普通の顔してすごいことをやりたい」と言う。『ドラゴンボール』で例えれば、「セルや魔人ブウくらい」の位置づけがいいと言う。目指す選手像は、“玄人受けする”気が利くサイドバックで、志す生き方は、ずばり“ジョーカー”。飄々としていて、周りに流されない自分があって、装飾のない言葉で、思いを表現する。“サムライ”内田篤人の流儀。その魅力を存分に味わってほしい。 取材場所はコートヤード・バイ・マリオット・ゲルゼンキルヘン。シャルケのホームスタジアム「フェルティンス・アレーナ」から徒歩3分圏にあるこのホテルのロビーに、内田篤人は予定時間の5分前に現れた。 「今日は取材の時間をいただき、ありがとうございます」との挨拶には、「いえ、こちらこそ。この2日間は、ずっとソファーの上で過ごしていましたし(笑)」の返し。言葉のチョイ
J1・J2・J3・日本代表などを幅広くカバーするサッカーコラムです。基本的には毎日更新しています。よろしくお願いいたします。 最近のエントリー (20記事) 2024/12/06 【カターレ富山】 今オフに「獲得できたら面白いと思う選手」を10名だけ挙げてみた。 2024/12/06 【松本山雅】 今オフに「獲得できたら面白いと思う選手」を10名だけ挙げてみた。 2024/12/08 【昇格PO:ファジアーノ岡山×ベガルタ仙台】 おめでとう。16年目で「悲願のJ1昇格」だ! 2024/12/09 【昇格PO:カターレ富山×松本山雅】 おめでとう。劇的な同点ゴールで11年ぶりのJ2復帰! 2024/12/10 【サガン鳥栖】 今オフに「獲得できたら面白いと思う選手」を10名だけ挙げてみた。 2024/12/10 【コンサドーレ札幌】 今オフに「獲得できたら面白いと思う選手」を10名だけ挙げて
内田篤人が海外のクラブで成功をおさめることができたのは、日本とは違う環境であることを当たり前のこととして受け入れたからだろう。 その現実を受け入れた上で、自らに何ができるのかを考えていく。そこには、海外だから思うようにいかないといういら立ちも存在しなければ、戸惑いもない。問題が生じれば、それが海外でプレーするということなのだと考え、問題が生じたことを嘆くこともなく、解決することに全力を注ぐ。日本人選手のなかには問題を解決する前の段階で、思考がストップしてしまう者も少なくないのだが、内田にはそんな無駄な時間がないのである。 海外でプレーするうえで最初に直面するのは、言葉の違いである。 ブンデスリーガの場合、基本的にはドイツ語でコミュニケーションをとる。内田が所属するシャルケ04は、トップチームに在籍する24名中13名をドイツ国外の選手が占めており、英語が使われることも多いのだが、いずれ
会社に入ってすごくおもしろかったのは、まったく同じような環境で、同じような数十年を過ごしてきた二人に、取り返しのつかないほどの差がついてる、それを残酷なくらいはっきり目の前で見せてくれる、ってことだよ。 学生のころはせいぜい3、4年ほどの差を目撃するだけだった。それでも「入学したころは同じくらいの成績だったのに、ずいぶん差がついちゃったな」っていう驚きや慨嘆があった。 なのに社会に出たとたん、3、40年で積み重なった差がいきなり目の前にあるんだ! ほんとうに、途方もない気持ちになるよ。 日々その身に降りかかる出来ごとはさして違いもないのに、一人はそこから細かな疑問や発見を一つ一つ丁寧に積み上げていって、もう一人はそれを見過ごして、それか他人にゆだねていった末に、この唖然とするような差があらわになってしまうんだ。 今ぼくには、はっきり思い描いているおじさんが二人いる。どちらも同じ職場で一緒に
京都大学の山中伸弥教授は幹細胞の研究に没頭していた。だが従来の胚性幹細胞(ES細胞)は受精卵を壊して作らねばならず、倫理的な問題に触れるのは避けたい。そこで彼が開発したのが、06年に米科学誌セルで発表したiPS細胞(人工多能性幹細胞)。iPS細胞は皮膚などの体細胞から作製でき、受精卵を破壊することなく作れる万能細胞だ。 この発見で山中は先週、ノーベル医学生理学賞を受賞した。だが授賞を発表したノーベル賞委員会も、その後の報道も山中の功績の半分しか語っていない。山中の挑戦は実験室だけにとどまってはいなかった。それは倫理観への挑戦でもある。 07年のニューヨーク・タイムズ紙の記事によれば、山中が自身が探るべき研究の道を決めたのは、友人の不妊治療クリニックで受精卵を顕微鏡で見たときだった。「その受精卵と私の娘たちに、どれだけ大きな違いがあるのかという思いが芽生えた」と、山中は振り返る。「もう研究の
全国高校ラグビーフットボール大会の神奈川県予選。11日に行われる準決勝第一試合は、桐蔭学園と県立横須賀高校の対戦だ。人材、環境面で不利な公立高校が、全国大会で優勝経験のある私立高校に挑む。公立の生徒たちを強くしたものは何だったのか。その日は朝から雨だった。横須賀高校は土のグラウンドだ。人工芝ではない。松山吾朗監督は昼休み、キャプテンに相談を持ち掛けた。「体育館下のピロティで練習しようか」。花園
評価:★★★★★星5つのマスターピース (僕的主観:★★★★★5つ) 本当に素晴らしい本です。さすが。メインの感想は、(2)ですが、まずはさわりで。とにかく、仕事の本分とはどういうものか?ということを凄く考えさせられたことと、なるほど、現代の産業の構造の基盤はこのような過程を経て形成されてきたのか?と物凄く勉強になる話だった。それがこんなに血わき肉躍るエンターテイメント小説で感じられるのだから、本当に素晴らしい作品だ。 1)銀行家の使命とは? この本を読んでいて、何度も起きる不思議な出来事を、不思議な思いで読んでいた。 それは、国岡鐡造(出光佐三)が事業を行っていくうえで、銀行家が何度も「銀行家の本分は、このような事業を支えるのが仕事ではないか?」と、あり得ないであろう巨額の融資を、出光佐三にしていくところだ。 九州の小さな、それも零細の小売店業に、一代で財を築きあげた銀行家や東京帝国大学
パラリンピックでもガチのスポーツ解説をする、暴走王・小川直也のバッサリ解説の巻。 Tweet Share on Tumblr カテゴリ:柔道ロンドン五輪 2012年09月02日13:17 柔道関係者のみなさん、目を覚ましてください! ロンドン五輪期間、さまざまな競技解説を耳にしたのですが、その中でも際立った存在感を残したのが小川直也さん。バルセロナ五輪で銀メダルを獲得した柔道家で、現在はプロレスラー・格闘家として活動中の小川さん。暴走王というあだ名をいただき、歯に衣着せぬ発言が持ち味です。 柔道界を飛び出してプロレス転向したという事情もあるのか、柔道中継の解説でお会いする機会はなく、テレビ番組のいちコーナーで柔道の競技結果を伝える際にお会いするのがメイン。五輪期間中はTBSの「ひるおび!」でコメントを出している姿をよく見掛けました。 小川さんの発言は「暴走王」らしく通常の解説の枠組みを踏み
「まあたぶん、駄目だろうな」と思っていた案件で朗報があり、それも私自身がどうとか提案内容がなんだという絶対的なものよりも、巡り合わせだとか、文脈といったものでこちらの意向が通ったということを知りました。 種を撒かずに収穫はない、寝て果報を待つにも寝る前に人事を尽くしておかねばならないとは良く言われるが、いざ物事が進んでみると、可能な限りの事柄を粛々と手がけておく、いつ何が起きても大丈夫なように用意、準備を怠らないことの大事さを改めて認識しました。 30代を通じて、ずいぶん自分の中の「面倒くさがり病」と付き合ってきたけれども、基本である「いまできることはいま全部やる」ということのむつかしさといったらないわけで… 仕事であれ投資であれ語学であれ体力づくりであれ思い悩んでいるヒマがあったらとっとと自分で自分の背中を押してモチベーションをコントロールせえよ、と理性では分かるんだけど、なかなか身体が
爲末大 Dai Tamesue @daijapan サッカーの韓国選手が試合後に政治的なパフォーマンスをしたとして、問題になっている。"独島は我々の領土"と書いた紙のボードを、試合後にかざしていた。これは五輪憲章の中の、五輪で政治的な宣伝活動をしないという部分に引っかかっている可能性がある。 2012-08-12 11:51:03 爲末大 Dai Tamesue @daijapan 古くは1968年のメキシコ五輪の男子200mでトニースミス選手とジョンカルロス選手がブラックパワーを象徴する黒い手袋をはめて登場し、暗に黒人差別に抵抗した。IOCは彼らに�即日除名処分を命じて、選手村から強制退去をする事になった。 2012-08-12 11:55:48 爲末大 Dai Tamesue @daijapan 昔は、IOCも固い事言うなよ、それで黒人差別解放が進んだんだからいいんじゃないかと思ってい
2012年7月12日、日本が誇るベーシスト松永孝義が永眠した。享年54歳。 ◆松永孝義画像 僕は現在プロミュージシャンでもなんでもなく一介のサラリーマンであるのだが、松永孝義さんの唯一の弟子である。僕が大学を中退してコントラバス奏者として生きていこうと思ったとき、元JAGATARAのサックス奏者、篠田昌己さんのお姉さんの紹介で、僕は松永さんからコントラバスを基本から教えてもらうこととなった。 コントラバス奏者の技術論として師匠に教えてもらったことは山ほどある。「集中して弓で、指で一点をこすること」。「左手のかたちが絶対にマムシにならないこと」。「弓が返っても、何も起こらなかったかのように聴かせること」。 技術として非常に科学的であり理知的な松永さんがそこにいた。ミュート・ビートなどのグルーヴは“ラリラリ”な状態で産み出されているものではないのだ。科学的なのだ。 乱暴かもしれないが、僕が松永
日本文学研究者 助川幸逸郎 1967年生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、横浜市立大学のほか、早稲田大学、東海大学、日本大学、立正大学、東京理科大学などで非常勤講師を務める。専門は日本文学だが、アイドル論やファッション史など、幅広いテーマで授業や講演を行っている。著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『可能性としてのリテラシー教育』、『21世紀における語ることの倫理』(ともに共編著・ひつじ書房)などがある。最新刊は、『光源氏になってはいけない』(プレジデント社)。 ツイッターアカウント @Teika27 この連載をはじめるにあたり、村上春樹の主要作品を読みかえしてみました。 最新作の『1Q84』をべつとして、どの作品からも、かつてよりもふかい感銘をうけました。以前は読みながしていた細部に、つよいリアリティがやどっていると気づかされ
新しい分野にどんどん挑戦しないと生き残れない、と私も言ってますが、前例がないことばかり。 どうやったら越境して、新分野に挑戦できるかわからないですよね。 私の現在の研究でも、ハードからソフト、サービスの融合と分野を広げていますが、わからないことばかり。 まず、何から手をつけていいかさえわからない。 新分野の人は、言っている言葉さえわからない。 人によって新しい挑戦に臨む時のやり方はいろいろでしょう。 私の場合、ちょうど10年前に、MBAを受験しようと思った時、周りにやったことがある人もいないし、途方に暮れた。 そんな時、本を読みあさったりしたのですが、妻が教えてくれた、3つのルール。 たしか、NPOを立ち上げた起業家の書いたエッセーに書いてあったのだと思う。 1.新たに挑戦したい分野の先駆者などに、広く聞いてまわる 2.やることを決めたら、「自分は挑戦するんだ」と、周囲の人に宣言する 3.
しぶしぶたたかうかんごふさん。今から20年ぐらい前、作業療法士の専門学校に行っていたことがあった。どうしても医療系の仕事につきたくて大学を中退し、受験しなおしたのだ。しかし両親は大反対していて、必死に説得したところ、学費だけは出してもらえるが生活費は自分で稼ぐという条件で入学することはできた。今思えばかなり無茶な条件だったと思う。入学時に教務から「アルバイトは不可です。いえ、不可能です」と言われたぐらいのきついカリキュラムで有名な学校ではあったのだが、それでも当時はどうにかなる、いやどうにかすると思いアルバイトしながら学校に通っていた。しかし2年目をむかえる頃、そろそろ限界が見えてきた。正直な話、成績を最低限ラインでキープしようとすると生活が最低水準ラインをキープできなくなるという状態で、ここはもう親に頭下げてでも援助してもらえばよかったのかもしれないが、その当時のわたしの意地がそれを許さ
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