170年ほど前、三重県北部や奈良県などで1000人を超える死者を出したといわれる「伊賀上野地震」の被害を記した史料が山添村の寺で見つかりました。 「建具は倒れたが本尊だけは駆けつけて守った」といった記述もあり、調査にあたっている奈良大学などでは当時の生々しい状況を伝える貴重な資料だとしています。 この史料は、山添村の観音寺に保管されていた369通の古文書を調べていた奈良大学の研究チームと山添村教育委員会が見つけました。 史料は、三重県北部や奈良県、京都府などに大きな被害をもたらした1854年の「伊賀上野地震」で、観音寺が被った被害について宗派の総本山である京都の仁和寺に報告するための書状の下書きだということで、「大地震で建具は傾いたが本尊だけは駆けつけて守った」「余震がやまずなかなか報告書が書けなかった」といった内容が書かれています。 研究チームの奈良大学文学部史学科 村上紀夫 教授は「大