桂雀々さん急死 早すぎる64歳 波瀾万丈の生きざまを笑いに 「上方落語の爆笑王」TVやドラマでも活躍
数多くの映画やテレビドラマで活躍し、全国各地を自転車で回る旅番組でも親しまれた俳優の火野正平さんが今月14日に亡くなりました。75歳でした。 火野さんは東京出身、12歳のころから劇団「こまどり」に所属し、子役として活躍しました。 1973年に放送されたNHKの大河ドラマ「国盗り物語」で下克上の乱世を生き抜く秀吉の役を演じて、一躍、注目され、翌年には映画での主演デビューも果たしました。 その後は、数多くの映画やドラマに出演し、NHKでは2014年に放送されたドラマ「55歳からのハローライフ」で主人公の中学時代の親友でホームレスになっていた男性を好演しました。 また、NHKのBSで放送中の旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」で14年間にわたり“旅人”として全国各地を回りました。 番組は、視聴者からの手紙に書かれた思い出の場所を自転車に乗って訪ねるもので、手紙に込められた思いに寄り添う火野さんの味わ
百合子さまは、脳梗塞や誤えん性肺炎のため、ことし3月3日に東京 中央区の聖路加国際病院に入院されました。 右の手足の動かしづらさがかなり回復し、肺炎の症状も落ち着いたことなどから、10日余りで集中治療室から一般の病室に移り、療養を続けられました。 さらに、軽い肺炎の症状がみられたことから、8月中旬から9月上旬にかけて3週間余りにわたって再び集中治療室で治療を受けたあと、一般の病室に移って療養を続けられていましたが、今月8日に宮内庁が全身の機能が低下していると発表していました。 その後容体が悪化し、宮内庁によりますと、15日午前6時32分に亡くなられたということです。 入院先の病院には、15日朝、孫の三笠宮彬子さまと妹の瑶子さま、それに高円宮妃の久子さまと高円宮家の長女の承子さまが、相次いで駆けつけられました。
「漂流教室」や「まことちゃん」などホラーからSF、ギャグ漫画まで幅広く手がけた漫画家の楳図かずおさんが先月28日、亡くなりました。88歳でした。 楳図かずおさんは和歌山県に生まれ、小学生のころから漫画を描き始め、高校3年生のときに童話「ヘンゼルとグレーテル」を題材にした「森の兄妹」などでデビューしました。 その後、「へび少女」や「おろち」など人間の奥底にある闇を不気味なタッチで描いた作品がヒットし、“ホラー漫画の神様”と呼ばれるようになりました。 1972年から連載が始まった「漂流教室」では、荒廃した未来に小学校ごとワープしてしまった子どもたちが生き抜く様子をリアルに描き、映画化もされました。 また、ギャグ漫画「まことちゃん」は、幼稚園児の主人公が手の中指と小指を折り曲げる“グワシ”のポーズが大ブレイクし、社会現象にもなりました。 トレードマークの赤と白のボーダー柄のシャツや明るいキャラク
保守派の論客として知られ、「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長を務めた評論家の西尾幹二さんが11月1日、都内の病院で老衰のため亡くなりました。89歳でした。 東京都出身の西尾さんは、東京大学の大学院を修了したあとドイツに留学し、ニーチェやショーペンハウアーといったドイツ哲学の翻訳や研究に取り組みました。 西欧と日本との比較に基づく文化論を展開するなど評論家として活躍し、雑誌やテレビ、ブログなど幅広いメディアで発信し続けました。 1997年には、仲間の学者などと共に設立した「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長となり、従来の教科書は「自虐的」だと批判して独自の教科書づくりを進め、国内外で議論を呼びました。 つくる会の委嘱を受けて執筆した「国民の歴史」はベストセラーになり、その後も日本の歴史教育への批評など保守派の論客として活動しました。 電気通信大学の教授なども務め、2015年には瑞宝
ラスクルーセス、ニューメキシコ州、10月22日 (AP) ― 全米各地のエアショーで数百回もの曲技飛行を航空ファンに披露してきたベテランパイロットが、米南西部ニューメキシコ州で開かれた航空ショーで墜落、死亡した。 同州ラスクルーセスの国際飛行場で開催された航空宇宙エキスポで、2人乗りのエクストラEA-300に搭乗したチャールズ・トーマス"チャック"・コールマン氏が10月20日午後2時、死亡した。 当局によると、コールマン氏は曲技飛行中に、搭乗機が空港の西約8キロの地点に墜落した。 墜落後、航空ショーは中止された。 コールマン氏はカリフォルニアを拠点とし、1万時間以上の飛行時間を持つエンジニア、曲技飛行パイロット、テストパイロットだった。 同氏はまた、2022年の映画『トップガン』で俳優たちの曲技飛行の教官を務め、『マーベリック』では、俳優が米海軍のF-18ホーネットで飛行できるよう、100
テレビの料理番組に数多く出演するとともに「食育」の必要性を訴えてきた料理評論家の服部幸應さんが、4日、理事長を務める料理学校で倒れ、その後、亡くなりました。78歳でした。 服部さんは東京出身で、大学を卒業したあと、父親が創立した料理学校「服部栄養専門学校」の講師を務め、31歳の時に校長に就任しました。 栄養士や調理師の育成にあたるかたわらテレビの料理番組の監修に携わったほか、解説者や審査員としてみずから出演して、豊富な知識を生かした語り口で広く知られる存在となりました。 また、「食育」の必要性を訴えて2005年の「食育基本法」の成立に尽力し、その後は農林水産省の「食育推進評価専門委員会」の座長を務めるなど、長年にわたって国内での普及に取り組みました。 4年前には旭日小綬章を受章し、このときの会見で「日本の教育は知育・徳育・体育という3つの柱でできていますが、それに食育が加わるとバランスが取
イギリスを代表する俳優として知られ、映画「ハリー・ポッター」シリーズで主人公ハリーの先生役として人気を集めたマギー・スミスさんが亡くなりました。89歳でした。 スミスさんは1934年にイギリス南東部エセックス州で生まれ、演劇学校で学んだあと、活躍の場を映画やテレビへと広げました。 そして1969年の映画「ミス・ブロディの青春」で型破りな教師を演じアカデミー賞の主演女優賞を受賞したほか、1978年のコメディー映画「カリフォルニア・スイート」ではアカデミー賞にノミネートされながらも落選してしまう俳優の役で、助演女優賞を受賞しました。 その後も、映画「天使にラブ・ソングを…」の修道院長役やテレビドラマ「ダウントン・アビー」の伯爵夫人役などで人気を博し、さらに、世界的にヒットした映画「ハリー・ポッター」シリーズでは、主人公のハリーたちを厳しくも愛情を持って指導するマクゴナガル先生の役を演じ、若いフ
声優の田中敦子さんが死去 61歳 「攻殻機動隊」シリーズ草薙素子役など 息子の声優・田中光が報告
「アルフ」でのベンジー・グレゴリーさん - NBC / Photofest / ゲッティ イメージズ 1980年代の人気テレビドラマ「アルフ」の子役として名をはせたベンジー・グレゴリーさんが、先月46歳で亡くなっていたことが明らかになった。家族がTMZ.comに認めた。 【画像】可愛かった…「アルフ」でのベンジー・グレゴリーさん ベンジーさんは現地時間6月13日、米アリゾナ州にある銀行の駐車場にとめられた自身の車の中で、亡くなっているのを発見された。家族によると、ベンジーさんはうつ、双極性障害、睡眠障害を患っており、数日間眠れないこともしばしばだったとのこと。そんな中で12日に銀行へ向かったところ車の中で眠りに落ち、熱中症で死亡してしまったと推測されているが、正式な死因については検視局の結果待ちの状態だ。なお、一緒にいた介助犬も亡くなった。 「アルフ」は、ロサンゼルスで暮らすタナー家のもと
三味線やギターと漫才を組み合わせた音曲漫才で人気を集めた、3姉妹の漫才トリオ「かしまし娘」の次女、正司照枝さんが8日、急性心臓死のため亡くなりました。91歳でした。 正司照枝さんは北海道生まれで、旅役者だった両親のもと3歳のころから舞台で経験を積んだあと、姉の歌江さん、妹の花江さんと3姉妹の漫才トリオ「かしまし娘」を結成して、1956年から本格的に活動を始めました。 三味線やギターを弾きながら「うちら陽気なかしまし娘」のテーマソングを歌う明るく賑やかな音曲漫才が人気を集め、1966年には第1回の「上方漫才大賞」を受賞しました。 照枝さんは、1981年に「かしまし娘」の活動を休止してからも、NHKの連続テレビ小説「カーネーション」で主人公の祖母役を演じるなど、俳優やタレントとして活動を続け、2018年には3人そろって舞台に立ち話題を集めました。 ことし1月に姉の歌江さんが亡くなった際には照枝
アニメ『金田一少年の事件簿』金田一一(きんだいち・はじめ)の声などで知られる、声優の松野太紀さんが26日、右大脳出血により死去した。56歳。所属する青二プロダクションが27日、公式サイトで発表した。 同事務所は「弊社所属 松野太紀 儀 (56歳) 令和6年6月26日に右大脳出血により永眠いたしました ここに生前賜りましたご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます」と報告。「なお 通夜及び告別式はご遺族のご意向により近親者のみにて執り行わせていただきます ご諒恕のほどお願い申し上げます」と記した。
常盤しのぶ(字幕版)🏰🕛 @tkwsnb ツイッタラーの訃報ツイットを遡って死の直前どんな生活をしていたのか眺めるのをたまにやるんだけど、割と普通に暮らしている中で「超頭いてぇ」とか「なんかフラフラする」って呟きがあって数日後に病死とかかなり頻繁に見かけるからみんな身体には気を付けてな
桂ざこばさん、本名、関口弘(ひろむ)さんは、昭和22年、大阪市に生まれ、昭和38年に15歳で、のちの人間国宝、三代目桂米朝さんに入門しました。 昭和63年に二代目「桂ざこば」を襲名し、その後も関西を中心にテレビやラジオにも出演し幅広く活動しました。 上方落語協会に所属し、理事や相談役を務めたほか、平成20年には大阪 西成区に寄席の「動楽亭」をみずから設立し、上方落語の振興に尽力しました。 平成29年には文化庁の「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞しています。 平成29年に脳梗塞で入院しましたが、その後復帰して、寄席や落語会を中心に活動し、ことし2月にも高座に上がっていました。 所属する米朝事務所によりますと、ぜんそくのため、12日、吹田市の自宅で亡くなったということです。 76歳でした。 米朝事務所は「我々スタッフにもお気遣いくださる、とても素敵な師匠でした。お世話になった関係者の皆様、応援し
お笑い芸人の今くるよさんが27日、膵がんのため、大阪市内の病院で亡くなった。28日、所属事務所の吉本興業が発表した。 【写真】生前最後の舞台では…ド派手衣装で登場!ポーズを決める今くるよさん 1970年に高校の同級生だった今いくよさんとともに女性漫才師の今喜多代さんに弟子入り。73年、女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」を結成した。男性中心の漫才界で、お互いの体型や派手なファッションなどをネタにし、体を張ったギャグや軽妙な掛け合いで人気を集め、80年代の漫才ブームに乗って一世を風靡(ふうび)した。 1984年上方漫才大賞の大賞など多くの賞を受賞し、女流漫才のパイオニアとしてテレビや舞台などで活躍、長年にわたって幅広い人気を集めた。くるよさんは「どやさ!」のキャッチフレーズでもおなじみだった。いくよさんは、2015年5月28日に胃がんのため亡くなっており、訃報からちょうど9年で、くるよさんの訃
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