声優のTARAKOさん急死 63歳 「ちびまる子ちゃん」を35年 最近までアフレコ参加
2022年7月16日早朝、ジャーナリストの三本和彦氏(91歳)がご逝去されたことがわかりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 文/ベストカーWeb編集部、写真/三信工房、ベストカー ■日本の自動車産業とともに歩んだ70年間 三本和彦氏は1930年生まれ、東京都出身。都内入居中の施設でお亡くなりになりました。死因は老衰と見られます。 1950年代後半、東京新聞在籍時代から自動車に関する記事を執筆し、日本におけるモータージャーナリストの第一世代として活躍、業界の礎を作った功労者でした(ご本人をこの肩書で紹介すると、「モータージャーナリストなんて堅苦しい肩書なんてまっぴら、ぼくは単なるジャーナリストだ。自動車は人々の社会や生活の中にあるもので、そこから切り離して語れるものではない」と怒られました)。 日本に自動車産業が根付き、発展し、世界へ羽ばたいてゆく過程を見つめ続け、「羊の皮をかぶった
みなもと太郎先生が逝去された。 8月7日午前2時。入院中の病院で亡くなったと奥様からご連絡があった。昨年来、先生は肺がんの療養のため入退院を繰り返す生活を送られていたが、『風雲児たち』の連載再開を目指して前向きに病と向き合われていた。病状は深刻なものだったけれどお会いする度にお元気で、本当にこのまま全快してしまうのではないかと私は思っていた。亡くなられた当日も、朝には売店で新聞を買い、夕方にはコンビニで夜食を買い、夜にはご家族とLINEで楽しくやりとりされるなど本当に普段どおり過ごされ、深夜に息を引き取ることになるとは、奥様にも思いもよらなかったそうだ。「本人も、いつも通り眠ったものだと思ったのではないでしょうか」とおっしゃっていた。 翌8日、先生にお会いしてきた。ながやす巧先生が描いた似顔絵が仏壇にあった。どうにも言葉が出ず、まともなお悔やみも言えぬまま帰ってきてしまった気がする。どうぞ
これをアップされてるということは、私は乳ガン転移性の肝臓のガンによって、もう永眠して荼毘にふされてることになるでしょうか。 2019年12月23日の時点で、治療方法はもうなく、かなりの確立であと2〜3ヶ月の命だろうと宣告されていました。聞いたときは意外な話に呆気に取られました。だって、まだ元気なんですもん。これが徐々に下降していき最後は昏睡したまま亡くなるですって。んなことピンときますか。しかし、だんだん字もかけなくなるかもしれないらしいので、正月にこれを書いております。セカンドオピニオンを頼ってなんとか寿命を伸ばしてもらえないか、年末正月明けも動いてますが、今こんな発表をしているということは、病気の進度が早すぎて間に合わなかった、ということになります。 基本今の私には、死ぬことはもう怖くありません。マッカーサーシリーズと二月革命シリーズをやり遂げたから。まあ、このあと、性風俗と法シリーズ
「彼女はずっと『病気のことはあまり人には言わないでね』と言っていました。親族に打ち明けたのも、本当に最近のことだったんですよ」と語るのは、アニメーション監督の西久保瑞穂さん(63)だ。 西久保さんの妻で声優の水谷優子さんが、乳がんで亡くなったのは5月17日。51歳の若さだった。水谷さんは’90年からずっとアニメ『ちびまる子ちゃん』で“お姉ちゃん”・さくらさきこの声優を務めてきた。 水谷さんは’85年に声優デビュー。’88年に『エースをねらえ!2』の岡ひろみ役で、初めて主演に抜擢された。 「めいっぱい叫びながらテニスをする主人公に入り込みすぎて、優子は喉を枯らしちゃったんです。その仕事の直後に入っていたのが、僕が手がけていた『天空戦記シュラト』の収録でした。声を枯らした声優に来られても困るのですけどね(笑)。彼女はそんな一途な性格でした」(西久保さん、以下同) 2人が結婚したのは’9
アイドルの丸山夏鈴さんが22日、がんのため亡くなった。21歳だった。 丸山さんの母親が同日、ツイッターで「アイドルとして皆様に愛されて、最後まで生きる希望を失わず、癌と闘って参りましたが、丸山夏鈴は本日13時10分に静かに息をひきとりました」と訃報を伝えた。 丸山さんは小学2年生の時に脳腫瘍が見つかり、以後7回の手術を受けながらアイドルとして活動。その活動は闘病の様子はテレビの報道番組でも取り上げられ、2月に出演した日本テレビ系「news every」では脳腫瘍の一部が肺に転移し肺がんの闘病中であることを明かしていた。 丸山さんはYoutubeに「夏鈴のひとりごと」との動画を闘病中も投稿しており、死の前日21日も動画を投稿。最後までアイドルだった。 所属事務所は23日公式ブログで「葬儀は故人の強い意志に従いまして、ファンの皆様も参列できる形で執り行われます」と発表。通夜は24日の午後6時か
アップル創業者スティーブ・ジョブズ会長が本日(米時間)亡くなりました。 2011年10月5日(米時間)、すい臓がんの長い闘病生活の末に永眠されました。享年56。編集部一同、謹んでお悔やみを申し上げます。 いくら嫌われても、Gizmodoはジョブズが大好きでした。ジョブズがいたからこの業界に入った、ジョブズがいなかったらテクノロジーのことなんか興味持たなかった、という人も多いと思います。 氏はコンピュータを個人の持ち物にし、スマートフォンを楽しくしました。ビル・ゲイツのお陰で職場のデスク1台1台にコンピュータは乗ったかもしれない。でも、大学の寮、寝室、リビングルームのひとつひとつにコンピュータを普及したのはスティーブ・ジョブズでした。そしてiPad、 iPhoneでバッグやポケットの中にも。今こうしてみんなが使ってるコンピュータ、スマートフォンは彼が創ったものか、その天才を真似たものと言って
田中好子さん 肉声のメッセージ 4月25日 17時33分 アイドルグループ「キャンディーズ」の元メンバーで、今月21日に乳がんで亡くなった女優の田中好子さんの告別式で、亡くなる3週間ほど前に、病室で録音されたという田中さんのメッセージが、突然、流されました。この中には、震災の被災者の力になりたいという思いや関係者への感謝の気持ちが吹き込まれていました。 このテープは、田中さんが「自分が亡くなったときに集まってくれた人に聞いてほしい」と、先月29日、病室で録音されたものだということで、告別式の最後に、夫の小達一雄さんが喪主のあいさつの中で、突然、紹介しました。テープの中で田中さんは、冒頭、東日本大震災の被災者について触れ、「被災された皆さまのことを思うと心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方のご冥福を祈るばかりです。私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもし
追悼 アニメーター・金田伊功さん 宮崎監督が「頭(かしら)」と呼んだ男 (1/3ページ) 2009.8.14 08:13 ■シャープな原画、人をひき付ける魅力…「伝説の人でした」 「頭(かしら)」。アニメーション作家の宮崎駿監督(68)は、その人をいつもこう呼んでいた。アニメ史に残る数多くの作品に参加し、先月21日に心筋梗塞(こうそく)のため57歳で亡くなったアニメーターの金田伊功さん。「風の谷のナウシカ」(昭和59年)から「もののけ姫」(平成9年)まで6つの作品で仕事をともにし、アニメブームのシンボルだった伝説の人を、宮崎監督が振り返る。(堀晃和) ◇ 「原画をいくつかのグループに分けてシーンごとに担当し、責任を持つというシステムを作ろうと思ったときがあるんです。その一つのグループの原画頭(がしら)に金田さんになってもらったんですが、そのシステムは実
・imoutoid君 http://blog.livedoor.jp/imoutoid/ 5月の始まった直後のある日に彼の訃報に触れました。 ということで実は僕ら数人にとってこれはもう1ヶ月が経っていることになります。 とりあえず彼の父親から届いたメールを読んだときはファミコン宇宙人のこともあったし、冗談だと決め付けて彼の友人、そして彼の実家に電話をかけました。そこで泣きじゃくる友人と彼の母親の声を聞いたときに僕に事実という言葉が重く圧し掛かりました。 とりあえずその日は呂律がまわらないままで、翌日とりあえず京都でimdkmさんやトイドくんの友人の方と会ったのですが、生き帰りの電車ではどうしても動揺してしまって、取り乱してしまったりもしました。とりあえずどうすれば良いのかわかりませんでした。 最後彼と話したのは電話で、twitterで「電話かけるし!」と言った彼からでした。彼からの着信はそ
moutoid を支えて下さった皆々様 いつも imoutoid を支えていただき、ありがとうございます。 息子 imoutoid は、誠に勝手ながら活動を終了させていただくこととなりました。 4月の末、息子は心不全により急逝いたしました。 ブログ等の記述より、自ら命を絶つのではないかとご心配をおかけしたかと思いますが、 まるで自分の最期を予見したかのような全くの偶然の出来事でした。 生前は、苦しんでいる発言もありましたが 4月には某メジャーレーベル様他多数より新曲作成やライブ出演のご依頼も受けて、 新しい機材やソフトを導入し、一生懸命制作に取り組んでおり 今年こそ飛躍の年になるかと家族共々大変期待を膨らませていた矢先の出来事でした。 息子の無念さを思うと誠に誠に残念でなりません。 あまりに突然のことで、心の整理も未だつかず、 お知らせが大変遅くなってしまったこと、 どうぞお許しください。
忌野清志郎の訃報について、数えきれない方々の悲しみの声を挙がっている。その様々の中でも、ラジオの生放送中にその訃報を知ってしまった人がいた。ライムスターの宇多丸である。清志郎とライムスターと言えば、「雨あがりの夜空に35」という共作曲があるほど。そのライムスターのメンバーである宇多丸が担当しているラジオは土曜の21:30〜24:30の生放送。まさに第一報が入ってきた時間帯に放送していたのである。その日はちょうど宇多丸氏がギャラクシー賞を受賞したという話題でもちきりだった回。そんな浮かれ気分から、一気に失意のどん底に落ちてしまう宇多丸師匠の声がとてもリアルに流れてくるのです。臨時ニュースの原稿を目にして「ハッ!」としてしまう瞬間、その後に思わずつぶやいてしまう言葉、そして今まであれほど雄弁だった口調が急に言葉が出なくなり動揺している様などなど。その模様を書き起こしてみました。 ライムスター宇
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