日本の音楽史に爪痕を残すアーティストの功績をたどる本連載、今回は今から20年前の1998年5月に急逝したhideの後編。まるで自らの死を予見していたかのごとく怒涛のソロワークを展開していった彼の歩みをお送りしよう。たどり着いた先は“曼荼羅”とも言うべき、極彩色の境地だ。 文 / 大石始 編集・構成 / 木下拓海 I.N.A.との出会い、未知のグルーヴ探求へXにとって1992年は分岐点となる年であった。年明け早々3日間の東京ドーム公演を成功させると、その直後にはTAIJI(B)の脱退を発表。8月にはニューヨークのロックフェラーセンターで記者会見が開かれ、世界デビューとHEATH(B)の加入、さらにはバンド名をX JAPANとすることが明らかにされた。 hideがソロ活動を始動させたのは、そうした変動期の最中のことだった。重要なきっかけとなったのは、やはりその後の彼のソロワークを支えることにな