「もうだめかな、と思いながらもがいているうちに、すーっと波が引いて」 珠洲市で津波にのまれながら一命をとりとめた男性のことばです。 地震から2週間あまり。 依然、強い余震も続く大変な状況の中で取材にこたえてくださったみなさんの声をまとめました。 目次 珠洲市宝立町 津波にのまれ一命を 一緒に逃げた義理の父の姿が…

北陸電力は9日、能登半島地震発生後に約3メートルの津波が志賀原発(石川県志賀町、停止中)に到達していたと発表した。原発の敷地は高さ約11メートルで、さらに4メートルの防潮堤を設置しているため原発への影響はなかったとしている。 津波は地震発生から約1時間半後の1日午後5時45分ごろに到達したが、北陸電は当初、津波による水位の変動はなかったと説明していた。 その後、同時刻ごろに敷地内にトンネルを通じて海水を引き込んでいる2号機取水槽で水位が3メートル上昇していたことが判明。ただしこの上昇は津波の高さとは対応していないため、このデータを使って原発西側の海の水位変動を解析した結果、約3メートルの津波が到達していたことが分かった。 地震直後はデータ伝送が停止し、3日に復旧した海底の波高計とも一致した。今後、津波が陸地を駆け上がった高さも解析する。
気象庁の津波観測地点「珠洲市長橋」については、令和6年1月1日16時10分頃から観測データが欠測となっておりますが、地震後に撮影された空中写真によって海底の露出が確認され、観測不可能な状態であることがわかりました。 周辺での代替の観測地点の選定を含め早期の観測再開に向けて作業を進めております。 「令和6年能登半島地震」による影響により、気象庁の津波観測地点「珠洲市長橋」については、令和6年1月1日16時10分頃から観測データが欠測となっております。地震後に国土地理院が撮影した空中写真によって、当該観測地点の一帯で地盤隆起によるとみられる海底の露出が確認され、観測不可能な状態であることがわかりました。 気象庁では、周辺での代替の観測地点の選定を含め早期の観測再開に向けて作業を進めております。 なお、気象庁では、津波のおそれのある大規模な地震の際には、全国に設置している地震計のデータをもとに震
※追記しました。 経験したくないけど、あらゆる状況を想定して覚えておこうと思う。本当に助かって良かったです。
政府は、福島第一原発の事故調査委員会の調書127人分を公開しました。震災前に当時の規制当局の原子力安全・保安院で、巨大津波対策を検討しようとしたところ、複数の幹部にとがめられたとする証言があったことが分かりました。 新たに公開された調書によりますと、2010年ごろ、当時、保安院・耐震安全審査室の小林室長が、過去に福島で起きた巨大な貞観(じょうがん)地震のリスクを検討し、新たな津波対策を提案しました。これに対し、保安院の複数の幹部から、「余計なことを言うな」「あまり関わるとクビになるよ」と言われたと証言していることが分かりました。室長は、2011年3月に東京電力の担当者に対し、新たな津波対策の必要性を伝えましたが、担当者は「2012年秋の土木学会の評価の見直しを待ちたい」と答えたということです。室長は「それでは遅い」と話しましたが、その4日後に東日本大震災が起きました。これで合わせて202人
犠牲者の位置を地図上に表示し、震災発生時から津波襲来までの避難行動の動きを動画でご覧いただけます。画面上の青色は男性、赤色は女性。後ろに流れる軌跡は移動を表し、自動車などの乗り物での移動の場合は長くなります。 ウェブサイトを開き、オープニング画面が終わると操作できます。画面左下で①再生/停止が可能。画面下の②時間軸スライダーは左が地震発生の2011年3月11日午後2時46分、右に行くほど津波発生時に近づく時間の経過を表します。 左上の③視点切り替えで被災した場所を選べます。「岩手県」を選ぶと県内沿岸の全景を見ることができ、そこから好きな場所を選ぶことができます。 右上に3つ並んだボタンの真ん中の④地図切り替えでは「被災直後」のほか「がれき撤去後」「1974-78年」など、航空写真・地図を切り替えられます。 犠牲者1人1人を表す⑤点をクリックすると、画面右上に⑥犠牲者の行動記録情報が表示され
You can find (just about) anything on Medium — apparently even a page that doesn’t exist. Maybe these stories will take you somewhere new?
『まんがサイエンス』6巻(https://t.co/ex6OePZFf5)の「津波パワーの正体は?」、21年前に描かれた漫画だけど、津波のメカニズムと恐ろしさがわかりやすく解説されている。この津波認識がもっと広く共有されていれば、… https://t.co/HzjeBXOIZb
リンク 世界のニュース トトメス5世 あの日大川小学校で何が起きていたか 津波が迫る中で教師達は権力闘争 : 世界のニュース トトメス5世 校庭と裏山は隣接していてとても近い引用:http://stat.ameba.jp/user_images/20110910/23/tonton3/13/4c/j/o0652040011475161467.jpg?caw=80040分の口論2011年の東日本大震災の後で発生した津波で、石巻市大川小学校の生徒と教員ら84人が不明になり、児童の保護者らが起こし
関西地域でうどん店を中心に飲食店を50店舗展開する「太鼓亭」が、日本記念日協会から「おだしの日」の認定を受け、4月1日に、「関西おだし専門店 だし蔵」(大阪府豊中市)で記念日登録証授与式が行われた。「おだしの日」は、10月28日に制定。この日は、おだしの素材となる、かつお節の製法「燻乾カビ付け製法」を考案した和歌山県日高郡印南町の漁民、角屋甚太郎の命日であることから。 日本のだし文化発祥の地は関西だとする同社。究極のだしを求め、日々研究を重ねてきた「煮出し師」福本康利さんが、かつお節のルーツを探っていたところ、角屋甚太郎という人物に行き着いた。1707年10月28日は、宝永大地震のあった日で、大津波が和歌山県を襲ったという。その津波で甚太郎は亡くなったのだが、これをきっかけに門外不出だった「燻乾カビ付け製法」が日本全国に広まることとなった。おだしの素晴らしさを知らしめるきっかけを作った彼の
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