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中国史に関するmujinのブックマーク (16)

  • 王羲之関連の新資料 日本で見つかる NHKニュース

    の書道史に奈良時代から影響を与え続けている、4世紀の中国の書家、王羲之の筆使いを伝える新たな資料が、日で見つかりました。 王羲之の資料は国宝に指定されているものもあり、専門家は「遣唐使が唐から持ち帰ったとみられる極めて貴重な資料だ」と話しています。 王羲之は4世紀の中国、東晋の書家です。 書を芸術に高めたとして「書聖」と称され、現代でも学校の教科書で書道の手とされるなど大きな影響を与え続けています。 実際に人が書いたもの、いわゆる「真筆」は戦乱などによってすべて失われ、模写や複製されたものしか残っていません。 このうち、今から1400年近く前、中国の唐の時代に皇帝の命令で「双鉤填墨(そうこうてんぼく)」という高度な手法で精巧に模写されたものは、王羲之の筆使いを忠実に伝える資料として特に高い価値があるとされています。 今回見つかったのは、この「双鉤填墨」による王羲之の書で、親しい人

    mujin
    mujin 2013/01/09
    「双鉤填墨」という技法をはじめて知った。書ではないね。複製のための技術だ。
  • 初夢反社会学講座ブログ

    こんにちは、口の中が切れそうなくらいに堅いフランスパンを、たまに無性にべたくなる、パン系男子のパオロ・マッツァリーノです。ちかごろ日品業界は、「もちもち」と「濃厚」一辺倒ですが、バリバリカチカチあっさり味のパンを、テーブルにパンの皮の破片まき散らしながらかじる快感もあるんだけどなあ。 私にはパンをうことよりも大きな夢があります。それは、映画を作ること。どんな映画かって? 孔子を主人公とする映画なんですよ。そう、あの『論語』の孔子。 とはいえ私は、『論語』をこどもに教えて道徳心を養おう、なんていってる時代錯誤の連中は嫌いなので、一緒にしないでください。『論語』に教育的効果がないことは、過去の歴史が証明しているのに、いまだに幻想にしがみついてる人たちは愚かとしかいいようがありません。 私は、世間に広まっている孔子の誤ったイメージを粉砕したいのです。真の孔子の姿を描くのにどんぴしゃで

    mujin
    mujin 2013/01/08
    孔子はわざわざ神格化しなくても、むしろそのままのほうがもっと魅力的。
  • 鴆鳥-実在から伝説へ

    真柳誠「鴆鳥-実在から伝説へ」、山田慶兒編『物のイメージ-草と博物学への招待』151-185頁、朝日新聞社、1994年4月 1 毒と薬 ふつう薬といえば命を救うもの、毒といえば命を危うくさせるもの、と思われがちである。しかし、物としての薬と毒を一線で分かつことは、ときに不可能にひとしい。抗生物質の多くは病原を攻撃すると同時に、生体にも何らかの毒性を示すのである。使い方が不適切なら薬物も毒性を示し、逆に、うまく使えば薬用に可能な毒物も少なくない。いまでこそ毒物学や毒性学が薬理学から分科しているが、薬と毒は来ひとつの物の両面として、古くから考えられていた。 薬学を英語pharmacyというが、これは前五世紀の医人、ヒポクラテスの時代からのギリシア語に由来する。同じ語幹のギリシア語で、pharmakonは薬物ないし毒物。pharmaekiaは魔術師ないし薬剤師。pharmakeusは毒殺者

    mujin
    mujin 2012/12/20
    1990年に毒性が発見された鳥類モリモズとの類似性を検討、毒鳥チンが実在したのではないかとする論文。
  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

    mujin
    mujin 2012/12/20
    古代中国に毒鳥チンは実在したのかも、という話。
  • 岩井茂樹『中国近世財政史の研究』と・・・ - たぬき日乗

    記事には、ツイッターによって、梶谷懐@kaikaji・與那覇潤@jyonaha・池田信夫@ikedano各先生から言及と批判を頂きました。文章自体に、失礼かつ不用意な箇所が沢山あります。特に、與那覇・池田両氏に対して大変失礼な表現がありました。 せっかくご人からご意見を頂いたのに、削除してしまうのも無責任だと思うので、不適切であった部分に関して、訂正線を入れ、わかるようにいたします。また訂正線を入れなかった部分に関しては、別の記事において言及・弁解いたします。 まずはお詫び申し上げます。 以下:元記事。 近世中国は「小さな政府」で、ウォラーステイン的な「重税帝国が資主義化を阻害」論は反証されたが、非正規財源(ピンはね)が重かった、が岩井茂樹『中国近世財政史の研究』の説 RT @ikedanob 池田信夫blog Voiceからexitへ bit.ly/HsHdS9— 與那覇潤(Yon

    岩井茂樹『中国近世財政史の研究』と・・・ - たぬき日乗
    mujin
    mujin 2012/04/11
    與那覇潤先生は本当にどうしちゃったんですかねえ。自説に都合のよいことを勝手に「定説」と呼んだり、自説に都合よく他の研究者の説をねじまげているようにしか見えないですよ。
  • おもしろ耶律楚材論文 - 枕流亭ブログ

    CiNiiで公開されている論文、原田弘道「耶律楚材と萬松行秀」が面白すぎてツボにはまったのでご紹介。 http://ci.nii.ac.jp/naid/110007015003 まずは冒頭からかっとばしている。 父の予言通り金朝より元朝に仕え、世界に未だ曽て存在しなかった連邦共和国制による蒙古大帝国建設の礎を築くことになる。 耶律楚材(1244年死去)が生きていたころのモンゴル帝国を「元朝」(1271年〜)と呼ぶべきではないってのがまずあるが、そんなツッコミも些事に思えることがさらっと書いてある。モンゴル帝国が「連邦共和国制」ですと!連邦制というならまだしもだが、共和国がついているのがすごい。どこが共和国なのだろう?個人的にはモンゴル帝国の中小のウルスの群体構造は遊牧封建制と呼ぶべきではないかと考えているが、さておき論文というものは、術語の定義に厳密に気を遣うものではないのだろうか。 楚材

    おもしろ耶律楚材論文 - 枕流亭ブログ
    mujin
    mujin 2011/12/20
    史学じゃなくて仏教学のひとだけど、それにしても論文としての体裁が…。綴りはウェード式。
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

    mujin
    mujin 2011/12/07
    へー、匈奴説ってのは諸説あるというか少数説だったのか。匈奴の名を借りたというのは「倭寇」に事情が似てるね。
  • 中国文化史における女性 - 枕流亭ブログ

    よせばいいのに戯言の書いてあるWEBページを開いてしまい、中国文化史に名を残した女性がいないがごとき「妄言」にツノを立てる。 最低でも班昭、蔡文姫、謝道蘊、薛濤、魚玄機、李清照、柳如是くらいは挙げるべき。このへんは前近代の中国女性史を扱った論著では定番の面々だ。 ほかにも許穆夫人、左芬、鮑令暉、劉令嫻、上官婉児、李季蘭、花蕊夫人、唐琬、朱淑真、蕭観音、馮小青あたりを挙げてもいいだろう。 ところで件のページは、「中国史に登場する女性は、男を凌ぐほど残虐な暴君タイプか、男の都合のままに流されて生きる艶女タイプしかない。」などと言っている。 女性の性格が2タイプだと! 人の性格を4タイプに分ける血液型性格診断は単純すぎてネタ的に扱われるが、さらに少ないタイプで分類して恥じないとは。ほんの少しの人生経験と想像力というものがあれば、そんなことはありえないと気づけるはずだ。もちろん「中国史に登場する女

    中国文化史における女性 - 枕流亭ブログ
    mujin
    mujin 2011/11/27
    これに尽きるね。「もちろん「中国史に登場する女性」が単純なのではなく、文章を書く人の女性観が単純なのであり」
  • 禰軍墓誌 - 枕流亭ブログ

    「日」呼称、最古の例か 678年の墓誌?中国で発見(朝日) http://www.asahi.com/culture/update/1022/TKY201110220586.html 西安で唐代の百済人の禰軍の墓誌が発見され、墓誌の文中に最古の「日」呼称が出ているということで、話題になっています。日の国号が記載されている墓誌というと、井真成墓誌(734年)の発見が記憶に新しいですが、それをさらにさかのぼる日号つき墓誌の発見になりますね。 墓誌の誌名は「大唐故右威衛将軍上柱国禰公墓誌銘并序」らしいですが、ネット上には全文が落ちてないので、情報求むです。 朝日で出てる陰影は墓誌文のごく一部だと思いますが、素人目で分かるとこだけ起こしておきます。 奠風影征雲外去顯慶五年 戎如金磾之入漢  聖 日餘噍據扶桑以逋誅 千艘横波援原虵而縦沵 西暦660年(顯慶五年)の唐による百済征服や、66

    禰軍墓誌 - 枕流亭ブログ
    mujin
    mujin 2011/10/23
    最古の「日本」用例。扶桑と区別されているところから見ても、民族名か王朝名のようだ。日本を賊軍とみる唐側の記録であり「日本」は必ずしも美称ではなかったらしい。
  • 所持品検査を突破せよ | 塩はうまくてまずいです

    京大入試のカンニング事件がTVでやたらと流れてますが、 「大学を反戦のとりでに」 って書いてある京大正門の立て看。 なんかアレが気になって仕方ないんですけど・・・・。(挨拶) それにしてもニュースで紹介されてた 「ハイテク・カンニング機器」 は凄かったですね。 ペンとか眼鏡とか・・・・あれじゃあ過去に成功した人もいそうです。 カンニングって科挙の頃からありました。 科挙っていうのは中国の 「隋」 の時代から始まった公務員試験。 中国王朝は官僚天国ですので、この試験にパスすれば人生勝ち組です。 受験生も必死だったコトでしょう。 科挙は2泊3日で行われるため、受験生は料とか布団とかも受験会場へ持ち込みます。 受験会場にはちょうど一人だけ入れる独房が数千~数万ありまして、 受験生はこの独房の中で試験問題を解きます。 もちろん試験官はいるのですが、 こんなに大勢の、しかも独房にいる受験生をチェッ

    所持品検査を突破せよ | 塩はうまくてまずいです
    mujin
    mujin 2011/03/06
    科挙におけるカンニング方法あれこれ。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    毎日ブログを書くようにしたら体調が良くなった ある日ふと、「最近の自分はアウトプットに臆病になっているなー」と感じ、こういうエントリを書いた。 daiksy.hatenablog.jp 内容は、雑なアウトプットで「だいくしーさん考えが浅いな」みたいな「化けの皮が剥がれる」ことを恐れているが、自分が過剰に意識するほど…

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    mujin
    mujin 2010/11/17
    どうかなあ、中台ともに「一つの中国」が公式見解なので帝国主義とはあまり関係ないと思います。
  • 始皇帝の像 - てぃーえすのメモ帳

    (王)朗家傳曰、會稽舊祀秦始皇、刻木為像、與夏禹同廟。朗到官、以為無徳之君、不應見祀、於是除之。居郡四年、惠愛在民。 (『三国志』王朗伝注) 三国時代、魏の王朗の家伝によれば、王朗が後漢末に会稽太守になった頃、会稽では秦の始皇帝の像を夏の禹王と一緒に祀っていたのだという。 王朗は始皇帝は徳の無い君主だから祀る対象にすべきでないと堅いことを言い、その祭祀を止めさせた。 曹操の城陽景王の話に似ているが、注目すべきは祭祀をやめさせる理由だ。 始皇帝は「無徳」なので祭祀の対象にふさわしくないということらしい。 始皇帝を当時の知識人がどう見ていたのか、それとローカル祭祀について同じくどう思っていたのか、これらについて考えさせる話である。 ちなみに曹操の例では城陽景王の祭祀が民より収奪する道具と化していたために禁止した、ということになっているようで、理由が王朗の方とは違っている。 曹操は城陽景王の祭祀

    始皇帝の像 - てぃーえすのメモ帳
    mujin
    mujin 2010/08/28
    陶弘景の「真霊位業図」からも秦始皇崇拝の存在が伺われる。孫策を漢高祖や晋宣帝と同列に扱うなど呉偏重の格付けだが、金陵の予言からしても始皇が特殊な意味を持たされているような気がする。d:id:mujin:20080920:p1
  • ☯古代中国奇書館☯

    ☯古代中国奇書館☯☛古代中国の奇書として余り知られていなかった文学書などを、翻訳を通じて紹介するブログ☚ ✍西京雜記・續仙傳・夷堅志・太平経・拾遺記等✎ 夷堅志甲志巻第十五(全十六話) 第五話・蛟龍は僧侶達を呪ったが雷に打たれて死んだ《no.192》 衡山県(今の湖南省湘潭市湘潭県)の西北にある淨居岩(じょうきょいわ)には、岩の洞穴の中に蛟龍(こうりゅう)が住んでいた。僧侶の宗誉(そうよ)は来たばかりの時、ここの静寂さに満足を感じたので、ここに寺を建てようと思ったが、何度もある婦人に邪魔されたので、宗誉は敢えて滞在しようとせず、山の中の寺に身を隠しに行った。紹興十一年(1141年)、僧侶の善同(ぜんどう)はここに来て居住したが、何軒かの藁葺の家があるだけであった。托鉢僧の妙印(みょういん)は付近にある別の場所に住んでおり、あの婦人は来ると、妙印と性交した後、妙印の腰から下が直ちに氷の様に冷

    mujin
    mujin 2010/08/06
    張華の博物誌。
  • 最古の九九掛け算表は秦代 - 枕流亭ブログ

    http://tech.enorth.com.cn/system/2009/12/11/004322064.shtml もちろん、より古いのが今後出る可能性はあるけど。

    最古の九九掛け算表は秦代 - 枕流亭ブログ
    mujin
    mujin 2010/05/30
    空白で区切っていて必要のないはずの、にしがはち、の「が」があるのが興味ぶかい。これ以前すでに口頭で伝えられるリズム付きのフレーズとして定着していたのだろう。
  • 韋玄成伝 - てぃーえすのメモ帳

    俗間儒士、不涉群書、經緯之外、義疏而已。吾初入鄴、與博陵崔文彥交遊、嘗説王粲集中難鄭玄尚書事。崔轉為諸儒道之、始將發口、懸見排蹙、云「文集只有詩賦銘誄、豈當論經書事乎?且先儒之中、未聞有王粲也」崔笑而退、竟不以粲集示之。 魏收之在議曹、與諸博士議宗廟事、引據漢書、博士笑曰「未聞漢書得證經術」收便忿怒、都不復言、取韋玄成傳、擲之而起。博士一夜共披尋之、達明、乃來謝曰「不謂玄成如此學也。」 (『顔氏家訓』勉学) 今の儒者と呼ばれる連中は経書・緯書とその注釈しか読まない、と顔之推先生は憤慨している。 ある儒者は「文集には詩や銘文があるくらいで経書を論じている話なんてあるわけない。それに昔の研究者に王粲なんて名前は聞かないな。」みたいなことを言い、顔之推および崔文彦に呆れられている。 また魏収は他の博士すなわち儒者と宗廟の事を論じた際に『漢書』を引用したら、博士に「『漢書』に経書の理論が書かれてる

    韋玄成伝 - てぃーえすのメモ帳
    mujin
    mujin 2010/05/22
    中根東竜さんが引用してたのはこれか。
  • 公孫戎 - てぃーえすのメモ帳

    漢の高祖が項羽を包囲していた時、腹心の部下であった樊噲が反乱したと聞いた。 しかし公孫戎という人物が樊噲の潔白を主張し、調べてみたら確かに反乱していなかった。 「え?こんな話知らないよ?『史記』に載ってないだろ?要出典!」 とか思うのはまだ早い。 (陳)崇奏之曰・・・苟有一策、即必爵之、是故公孫戎位在充郎、選繇旄頭、壹明樊噲、封二千戶。・・・ 注 晉灼曰「楚漢春秋上東圍項羽、聞樊噲反、旄頭公孫戎明之、卒不反、封戎二千戶」 (『漢書』王莽伝上) 実は『漢書』王莽伝の中の上奏文の中に載っている。 『楚漢春秋』にはあった話らしいが、『史記』『漢書』の樊噲伝には見えない。

    公孫戎 - てぃーえすのメモ帳
    mujin
    mujin 2009/11/18
    「要出典!」でわろてまう。
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