キャンプが始まって、10日ほど過ぎたころだろうか。日焼けしたイチローがTシャツ、ショーツ、ハイカットのシューズという姿でクラブハウスに入ってきた。それを見ていた米記者らが、つぶやくように言う。「あれが、40歳かよ!」もちろん、服装のことではなく、体のことだ。見事にシェイプされた体形は、服の上からでも容易に分かる。■40歳でユニホーム、ごくわずかそのとき、「米国人選手の40歳といったら……
大リーグ、ヤンキースのイチローは21日(日本時間22日)、ブルージェイズ戦に「2番・右翼」で出場、初回の第1打席でレフト前打を放ち、日米通算4000安打を達成
大リーグ、ヤンキースのイチロー選手が、2日、キャンプ地のフロリダ州で車を運転中に衝突事故に遭いましたが、けがはありませんでした。 イチロー選手によりますと、2日午後、フロリダ州タンパでのオープン戦に出場し、試合後に自分で車を運転して帰る途中、球場近くの交差点を直進していたところ、対向車線の乗用車が突然左折してきて衝突したということです。 車は2台とも壊れましたが、イチロー選手にけがはなく、相手の車に乗っていた2人にも目立ったけがはなかったということです。 イチロー選手は病院には行かずに3日に念のため球場で診察を受けましたが異常はなく、球場でデレック・ジーター選手などと一緒に通常の練習をこなし笑顔もみられました。 イチロー選手は「青信号で直進していたら反対車線の車が左折して突っ込んできました。アメリカでは何が起こるか分からないと言ってきましたが、こんなところで身をもって知るとは思いもしなかっ
大リーグのヤンキースからフリーエージェントになっていたイチロー選手が、ヤンキースと新たに2年契約を結び、チームに残留することになりました。 これは19日、ヤンキースが発表しました。 イチロー選手は、ことし7月にマリナーズからヤンキースにトレードで移籍しました。 移籍前、イチロー選手は、打率2割6分1厘と不調に苦しんでいましたが、優勝を争っていたヤンキースで徐々に調子を上げ、この期間の打率が3割2分2厘と打撃でチームを引っ張り、地区優勝に貢献しました。 ヤンキースは、イチロー選手の活躍を高く評価し、シーズン終了後にチームへの残留を求めて交渉を続け、19日までに新たに2年契約を結びました。 ヤンキースは契約の具体的な条件を明らかにしていませんが、アメリカの複数のメディアは、2年間の契約総額は1300万ドル(日本円でおよそ10億9000万円)に上ると伝えています。 イチロー選手は球団を通して、「
大リーグで先週1週間の打率が6割に達するなど絶好調のヤンキース、イチロー選手が、2年ぶりにアメリカンリーグの週間最優秀選手=週間MVPに選ばれました。 イチロー選手は、今月19日のブルージェイズとのダブルヘッダー2試合で8打数7安打とヒットを連発したのをはじめ、23日までの1週間で6試合に出場し、25打数15安打、打率6割、ホームラン2本、盗塁6つの好成績を残しました。 また、この間ヤンキースは5勝1敗と大きく勝ち越し、アメリカンリーグ東部地区の首位を走るチームに大きく貢献しました。 こうした活躍が評価され、大リーグ機構は24日、イチロー選手がアメリカンリーグの週間MVPに選ばれたと発表しました。 イチロー選手が週間MVPを獲得するのは、マリナーズ時代の2010年9月以来2年ぶり4回目で、ヤンキースに移籍してからは初めてです。
◇ア・リーグ ヤンキース6−3マリナーズ(2012年8月3日 ニューヨーク) ヤンキースのイチローは試合前に、川崎、岩隈らマ軍ナインから声をかけられ「声をかけてくれるのはうれしい」と喜んだ。 川崎は打撃練習をしていたジーター相手に「マイ・ブラザー、イチのことよろしくね」と叫ぶと、イチローは「無邪気にもほどがある」と川崎の頭を叩く場面も。また、5日(日本時間6日)に先発予定の岩隈はピンストライプのユニホーム姿を見て「似合っているなと思った。対戦できるのが楽しみ」と2度目の対戦を心待ちにしていた。(スポニチ)
ここ数日、Twitterやらfacebookでやたらと「イチローの小学生時代の作文」として1枚の画像が出回っていたのだけど、文字が不自然に揃っていて偽物なのではないか、という話題も出ていた。 facebookにリンクを貼るのもアレなので、有名そうなブログに掲載されているのにリンクを貼ります。 そこで、ちょっと調べてみることにした。Googleイメージ検索は、画像から類似画像を探すことができるので、同じ画像を載せているサイトをすべて観て、そのページの作成日時などを調べていく。 多くはここ数日だったり、あるいは去年だったりしたのだけど、ひとつだけ2009年のブログ記事にたどり着いた。 階段の踊り場に 一枚の作文が貼り出してあったので 何気なく読みました 野球を一生懸命に頑張っている少年の作文でした (中略) 有名人になると 小学生の時の作文まで全国区になるんだ・・・ そんなことを考えながら 写
1995年の暮れから数回にわたってTBSラジオで放送された『イチローの気持ちはいつもフルスイング』[10]にて、福島はアシスタントを務めた。パーソナリティは当時オリックス・ブルーウェーブの選手だったイチローであり、この仕事がイチローとの交際のきっかけとなった[11]。以降、テレビでも対談したほか、TBSがインタビューを行うときは、イチローは必ず福島を指名するようになった。1997年の8月からは、取材する側とされる側の垣根を越えて個人的な交際が始まり[11]、1999年1月にイチローが福島にプロポーズした[11]。そして、同年3月にTBSを退社[7][8][12]。以後、メディアへの露出はない。 12月3日(現地時間)、福島とイチローはアメリカ・サンタモニカ近郊にあるチャペルで、16名の親族が立ち会う中、挙式を行った[13] 。帰国後の会見では、新郎・イチローは新婦・弓子について「話すリズム
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