大学で教鞭をとる傍ら、政治活動も行っており、1996年と1999年のクネセト総選挙に共産主義政党「ハダシュ」から比例順位7位で出馬している。しかし、当選はしなかった。 イスラエル国内で1980年代後半から台頭した「新しい歴史家たち」(ההיסטוריונים החדשים ハ-ヒストリオニーム・ハ-ハダシーム)のひとりであり、ベニー・モリス(英語版)やアヴィ・シュライム(英語版)と並び称される[3]。なお、ジャーナリスト出身のトム・セゲヴ(英語版)を加える例もみられる[4]。 彼らの特徴として、公開された史料を駆使して実証的に、イスラエルの建国史を語り直そうと試みた点が挙げられる[5]。 なかでもパペは、委任統治期英国の対パレスチナ政策を分析し、1939年の「パレスチナ白書」に着目した[6]。「イギリスはユダヤ人国家の建設を支持したのではなく、パレスチナ国家建設を支持した」であるとか「パレ