昨年10月11日の午後、本学八王子キャンパスにおいて、『便器はトイレに戻す。さて、それから…』と題された、美術評論家の峯村敏明本学名誉教授による特別講義が開かれた。「便器」とはマルセル・デュシャンの『泉』を指しているようだ。しかし、それをトイレに戻すとはいったいどういうことなのか。 近年ますます「現代美術」への疑いが強くなっている、という冒頭の発言に驚いた。現代美術の批評を核に、国際展の運営や審査、国内での展覧会の企画等、長くこの分野に携わってきた評論家がなぜこのような思いにいたったのか。 それは、「現代美術」が“言語喪失状態”にあるからだという。例えば絵画や彫刻のように、美術にはそれぞれの領域に固有の素材、技法、システムがある。しかし、20世紀初頭、マルセル・デュシャンのあたりから始まった現代美術では、前時代のものをひっくり返し、切り捨て、各領域に固有の素材や技法やシステム、つまり造形言
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