東亜(東アジア)世界では、昔から、万里の長城を境に「南の農耕民」と「北の遊牧民」が、天下争奪をめぐってシーソーゲームを繰り返してきた。 モンゴル人の「元」は一時、長城から南下して中国を約百年支配したが、「明」に北の草原まで追われ「北元」と呼ばれた。満州人のヌルハチは「七大恨」を掲げて「明」に逆襲、2代目のホンタイジは「北元」と手を組んで「大清」と号し、満蒙八旗軍は乾隆帝(けんりゅうてい=清の第6代皇帝)に至るまで二百余年にもわたって中国を征服したうえ、東トルキスタン、チベットまで征服し、「明」よりも領土を3倍拡大した。 中国内部の諸矛盾は、乾隆以後から渦巻いている。人口は約10倍も増えた。自然の崩壊は社会の連鎖的崩壊をもたらし、18世紀末から白蓮教(びゃくれんきょう=中国に南宋代から清代まで存在した宗教)の反乱をきっかけに20世紀の文革終結に至るまで騒乱が続いていた。 どうして、中国