文化庁は7日、東日本大震災で被災した文化財などの救援や修復活動に多額の寄付をしたとして、作家の京極夏彦さんら2人と、読売新聞東京本社など9の団体・企業に、青柳正規長官から感謝状を贈った。 対象となるのは、年間でおおむね100万円以上の寄付者。文化庁によると、今回は昨年6月から今年8月までの寄付で、総額は約5000万円にのぼる。震災以降、これまでに約3億円の寄付が寄せられ、被災地の建造物や工芸品を含む200件以上の文化財の修復などに充てられた。
今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ 〔11月19日号掲載〕 先日、ラーメン店のカウンターで昼を食べていると、隣の年配男性に話し掛けられた。「ラーメン、お好きですか?」 私が「ええ、あなたも?」と聞き返すと、「そりゃ日本人ですから好きですよ!」と、男性は笑った。「私もです」とこちらも返してから、私たちは再びラーメンに向き直り、麺をすすった。 こういうやりとりは日常茶飯事。目の前に「日本文化」があると、私は感想を聞かれるのだ。日本の文化を本当の意味で楽しめるのは日本人だけだという意識は根強く、質問攻めにされることもある。日本酒は好きですか? 寿司は? 納豆は?夜は風呂に漬かります? ちなみに塩辛は苦手だが、日本人でも塩辛が苦手な人は多い。だからといって、その人の日本人らしさが薄まるだろうか。塩辛の好き嫌いが示すのは文化の理解度なのか、それとも個人の嗜好なのか。普通の日本人より頻繁にラーメン
(OP)FFやラスト・オデッセイ、クロノ・トリガーのようなゲームには多くの外国の影響があると思うけど、特に西洋の神話の影響が大きいと思う。 なぜ東アジアの人々は西洋人(東洋人ではなく)があたかもヒーローのようなゲームばかりを作るんだ? それは西洋化のおかげで西洋のファンタジーが人々に認識されやすくなったせいか? あるいは「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の影響があったりする? (以下、海外の反応) ・西洋の人がアジアをエキゾチックだと思うのと同様に、アジアで育った人達にとっては西洋がエキゾチックだと思われるんだよ。レイトン教授シリーズとかそのいい例だ。もちろん、サムライはクールだよ。でも、いつもそればっかり見て慣れてしまったときには、素晴らしきヨーロッパ的な物事が魅力的に映るだろう? ただ西洋的なものに基いているアジアのゲームでも、現代的なアメリカの街とかアメリカの生活をモチーフにしているような
2013-10-04 まだ見ぬサブカル要塞 http://news.netpoyo.jp/2013/10/2206 読んだ。 ヴィレッジヴァンガードってのは、俺にとっては「知らないとこでできて、知らないとこで本屋じゃくなったよくわからない店」のままである。まだ行ってない。この先も行くことがあるのかどうか。なのでどういう場所かわからない。わかんないので想像で書くと、たぶん町田ひらくは許容されるが、KENは許容されない世界だ。まあ後者はどこ行ってもたいがい許容されない気はするが。なお俺は無有利安なんかが好きです。 ちなみに俺は43歳である。この年齢がサブカル的にどうなのかはわからんのだが、一般的にサブカル的とされるものなら、俺の二十代からこっちにはかなり周囲にあったと思う。俺にはサブカルがよくわからんので、どのへんをして「サブカル」というのかあまり詳しくないんだけど、少なくとも澁澤龍彦の著作は
謎が解けるように、ある瞬間に自分を苦しめていたものの正体が見えてくることがあります。 先月、私はふと思い立って、旅行に行きました。行き先は、アラブ首長国連邦のドバイです。はじめて行く土地でした。 旅行中はなんともいえない解放感があり、とても楽しかったです。しかし、帰国して新宿駅まで戻って来た途端、私は打ちのめされたような気持ちになりました。 私が目にしたのは、よく行くファッションビルのショーウインドウでした。普段見ているものですし、そこに驚くような変化があったわけではありません。 いつもと変わらないショーウインドウ。変わったのは、私の「それを見る目」のほうでした。 そのショーウインドウにディスプレイしてあった服は、春らしいアプリコットピンクとアイボリーのバイカラーワンピース、レースのブラウスに、ミントグリーンのショートパンツ......。ガーリーで、とてもかわいらしかったのです。それを見た
日中関係の改善は世論対策で「国民感情の改善に向けた交流促進」@外務省 『中国嫁日記』あたりが使われる? 先日、職員がネコミミ装備でコミケを取材した外務省だが、 日中関係改善のためには「国民感情の改善に向けた交流促進」が必要 とのことで、今後いろいろやるつもりらしい。朝日より。 日中の改善、市民の交流から 外務省、世論対策を強化 2011年8月22日1時2分 中国・韓国への親近感 冷え込んでいる日中間の国民感情を改善させようと、外務省が両国の市民らに直接交流を働きかける試みを強化している。日中間の「戦略的互恵関係」推進には、世論の理解と支持が不可欠とみているためだ。 「日中間の人的交流がさらに拡大することを期待しています」。外務省の山花郁夫政務官は10日、中国人観光客の査証(ビザ)発給緩和を発表した。ビザ緩和を観光業振興だけでなく、中国人の対日理解の促進にもつなげたい考えだ。 外務省は1月、
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インドネシアで母親(38)が息子(9)のペニスが小さいことを悲観し、自宅の風呂場で溺死させるという事件が起きた。AFP通信が2月28日に報じた。首都ジャカルタの警察発表によると、息子のペニスが割礼後、さらに小さくなったと母親が落胆。水で満たした浴槽で息子を溺死させた。その後、息子に衣服を着させ、ベッドに寝かせてから、警察に出頭した。取り調べに対して「ペニスが小さい息子には、明るい未来がないと思った」と話しているという。 母親は現在、留置場に滞在中とみられる。自身の行動について冷静に振り返っているが、警察が母親の精神鑑定を行う意向。逮捕や起訴は、現時点では行われていない。 [2013年3月1日1時7分] 国際NYで邦人男性が事故死[1日01:14] 国際息子のペニスが小さい…落胆し溺死させる[1日01:07] 国際「着陸用ロープ手放した」気球墜落事故[1日00:50] 社会「日常的にいじめ」
日本の公的なカレンダーや暦書などでは、1873年(明治6年)1月1日にグレゴリオ暦への改暦が行われて運用されているが、この日以降であっても、従前の太陰太陽暦(天保暦、いわゆる旧暦)による日付を必要とするさまざまな用途や慣習のために、補助的に収載して使われている。この天保暦による月名の決め方、特に閏月の置き方(置閏法)が、将来に不都合が生じることが明治の改暦以降に明らかになった。 日本の暦においては、定気法の二十四節気が天保暦とともに1844年(天保15年)に導入されたが、その結果、太陰暦のひと月の間に中気が2つ入ってしまう事態が起こりうるようになり、それに伴って月名や置閏に関して特別な調整を行う必要が生じた。そのために、「冬至を含む暦月は11月、春分を含む暦月は2月、夏至を含む暦月は5月、秋分を含む暦月は8月となるように調整する」[1]というルールが設定されていた。 1912年(明治45年
磯部涼「音楽の現場はどこにある?」 2010年04月28日09:57 担当者より:音楽・風俗ライターの磯部涼さんに、いま音楽の現場はどこにあるのかについて書いていただいたものです。当初メールマガジンとして配信されたものに若干の加筆・修正が施されております。ご一読ください。 配信日:2010/04/21 音楽の“現場”について、ずっと考えて来た。“現場”とは、文字通りに取るならば、音楽が鳴っている場所ということになる。しかし、その言葉が“現場”にいる人たちによって“ゲンバ”とジャーゴン化される時、それは、“聖域”という意味さえ帯びるだろう。“ゲンバ”こそがアウラを感じられる唯一無二の場所、という訳だ。 04年に太田出版から刊行された拙著『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』は、00年代前半に書いたテキストの中から、日本のアンダーグラウンドな音楽をテーマにしたものを選んで纏めたもので
学科紹介 文学部言語文化学科 学科長 平石貴樹 Q「言語文化」って何ですか。 よくわからない。確かにこれは耳慣れない言葉だが、それでいいのではないだろうか。要するにこの学科は、言語と文学を研究する専攻の集まりで、各専攻の基本的な内容については、わかりやすいことおびただしい。しかも各専攻は、専門とする外国語によってかなりあっさり区切られている。この区切りを越えて、「言語文化学科」としてのアイデンティティを勇躍心配することなど、ふだん誰も考えていないから、学科の名前は屋根の上の鬼瓦みたいなものである。 Qじゃああまり意味はないんですか。 あるとも。専門の区切りにとらわれないで、いわば世界文学なり、普遍文法なりを、雄大に構想する問題意識はかねてほどほどに尊重されている。「西洋近代語近代文学」専攻が設けられて、諸専攻クラスと連携を保ちながら一言語にとらわれない手広い活動を耕している。「普遍文法」の
「日中関係が微妙なこういう時期、AKB48が好きだっていう若い中国人はすごくプレッシャーを感じるわけですよ。ほら、だって、彼ら一人ひとりは自称『プチ日本評論家』なわけですからね。板挟みになって、正直つらかったと思います」 あれは9月中旬、日経ビジネスオンラインから「えっ、『日本は中国と戦争したがっている』って?」の執筆を依頼されたころだ。尖閣問題で反日デモが激しく燃え上がる中、以前取材を通して知り合った王一凡(29歳)と再会した。彼は、私が王に会った目的(尖閣問題についての意見)とは一見、無関係かに思える内容をいきなり話し始めた。 その話とは、「AKB48はなぜ、中国でこんなにも人気があるのか?」についてである。 王は以前、中国で雑誌記者をしていたことがあり、日本のオタク文化に非常に詳しい。 「中国でAKB48のファンは、百度(中国の大手ネットサービス)のBBSユーザーだけで約10万人、実
[CEDEC 2012]“Too Japanese”だから受け入れられた「GRAVITY DAZE」の制作手法。プロデュースとシナリオから見る海外で評価される考え方 ライター:箭本進一 コンピュータエンターテインメント協会(CESA)が,現在パシフィコ横浜で開催している開発者向けカンファレンス「コンピュータエンターテイメントデベロッパーズカンファレンス2012(CEDEC 2012)」。初日となる2012年8月20日には,日本産のゲームが海外でいかに戦うべきかをテーマとした講演「Too Japaneseなゲームって…海外で評価されないの?〜『GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において,彼女の内宇宙に生じた摂動』の場合〜」が行われた。 「GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において,彼女の内宇宙に生じた摂動」(以下GRAVITY DAZE)は,ソニー・コンピュー
時代は多様性を欲してはいない──コンテンツのクラスタ化と、むしろ画一化:部屋とディスプレイとわたし(1/3 ページ) 私は、他の書き手の方たちとごいっしょして「AiR(エア)」という電子書籍をつくっています。現在はほとんど年に一度のペース。“年刊”です。2010年5月の創刊以来、地味に継続を続け、現在は3号になりました。なぜこんな営みを続けるのか。各著者それぞれに意図は違うとは思いますが、私の場合は「これだ。これが自分の読みたかったコンテンツだ」と感じてもらえる人に、たとえそれが“少数”であっても出会いたいと考えて続けています。 趣味は多様化しましたが…… みなさまは「社会が多様になった」と思われますでしょうか? そう、確かに現在は、昔にくらべて、いろんな分野の多様性、ダイバーシティが高まったように感じます。たとえば人々のライフスタイルも様々になった。かつては街のスーパーマーケットはどこも
なんどか書いてるけど大学の3回生ぐらいから卒業してすぐぐらいまで、ジャズミュージシャンの真似事をしておりました。音楽の才能がぜんぜん無かったのでそっちの道はすぐにあきらめたんですが。神戸の元町のポートタワーホテルとか中山手通のサテンドールとか、大阪の中津の今はなき東洋ホテルとか、梅田の今はなきDonShopとか、北新地の名前忘れたけどなんとかいう店とか、京都の木屋町の名前忘れたけどなんとかいう店でウッドベースを弾いておりまして、それでメシ食ってたぜとはとても言えないですが、まあトラ(臨時の代理)の仕事も含めて月10万ぐらいにはなっておりました。 学生のバイトとしてはわりと実入りがよかったです。時代はバブルで、そこらじゅうに生演奏の店があり、またそういうところに彼女を連れていくのがおしゃれとされていた時代で、ちょっと背伸びして今日はジャズでも聴きにいこうかというお客さんがわりといて、チャージ
過去にローンやクレジットカードの返済を延滞・滞納したことがある等、思い当たるふしがある方は、今後のカードローン審査に無事通るのか不安に思うのではないでしょうか。
今回は、技術が規定する環境(アーキテクチャー)とコンテンツ内容の関係について話したいと思います。 今から約30年ほど前、国内ではじめてソニーからCDプレーヤー1号機が発売され、CDソフトの販売も始まりました。この件には、単に「ステレオ機器と音楽ソフトの流通形態にまつわる話」を超える深い意味合いがあります。技術とコンテンツの関係を考えるうえでの、基本事例として、ぜひ紹介したいと思います。 音楽というものは、それ自体は手にとって触ったりできないものです。それ故、その内容を録音した物理的なパッケージ技術が、それを商品として流通させるために必要とされてきました。しかし、物理的なパッケージや録音形態が変わること、具体的には、「アナログ盤からCDへと変化すること」は、本来的ならば、あくまでミュージシャンと聴き手をつなぐ「流通形態」つまり、音楽を届けるパイプの変化の話にすぎないはずです。 つまりアナログ
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