八月十五日は古くからのお盆の日でもあり、敗戦の日でもある。終戦記念日などという人もいるが、私にとっては終戦などといった生やさしい日ではなく、戦争に負けて全てがなくなった敗戦の日である。 もう日本に勝ち目のないことは明らかであったが、負けるという言葉が封印されており、崖から飛び降りるような無謀な最後の戦闘をしなければと覚悟をしていたた矢先の突然の天皇の言葉であった。全て「天皇陛下の御為に最後のご奉公をして死のう」との覚悟を急に止められたようなものであった。 それでも「貴様たちは最寄りの特攻基地へ行け!海軍はまだ戦うぞ」と檄を飛ばす上級生もいたが、天皇の軍隊である。天皇の直接の命令は聴かざるを得ない。 突然、自分の中で全てのものが崩壊して行くのを感じた。八月末には惨憺たる広島の原爆被害の廃墟を縦断して、無害貨車で帰阪。河内長野の疎開先に帰った時には「国破れて山河あり」とはこういうことかとつくづ