間違いがいろんな縁を生んだりする(長門) 小西康陽「僕が長門さんを知ったのは、高校時代に読んでいたミニコミ誌〈ポプシクル〉。音楽評論家の木崎義二さんが個人的に出していた雑誌で、そこに長門さんが寄稿されていたんですが、ちょうど僕が知りたいような音楽のことを書いていらっしゃった。なので憧れの存在だったんです。僕、大学が青学(青山学院大学)だったんですが、合格発表の結果を札幌の親に報告するのに、パイドから電話かけたんですよ(笑)」 長門芳郎「ピンクの公衆電話があったんですよ。オープン当初にね」 小西「もう嬉しくて(笑)。それからお店通いが始まったんですけど、その頃、長門さんはお店にいました?」 長門「それって78年のこと? 77年の秋からお店に出ていたんだけど、まだ他の仕事もしていたんで、出たり出なかったりだったね」 小西「いまは毎日来てるんでしょ(笑)?」 長門「ほぼね。小西くんと実際に話を