「ご母堂」って、相手の「逝去した母親」に対する言葉なんだけどな 低学歴ゴミおっさんの日本語は壊滅してるな 「ウキー、ウキウキ、ウキッ?!」みたいな猿語だけしゃべれば恥をかかないのに
※この記事は、後述の理由により、11月8日(月)23:59まで公開していました。しばらくマガジンのアーカイブとして読めます。 ※死を煽る内容ではないですが、「死ね」という言葉が頻出します。2021年11月8日(月)15:02追記:わたしが一番祈っていた形で、ここに登場する方々のもとに届きまして、もしかしたら先方の優しさかもしれないですし、そりゃそうだと思うんですが、ものすごく、ものすごく深い理解と希望を示してくださいました。届けてくださったみなさん、ありがとうございます。今年の10月、わたしがTwitterで投稿したダウン症の弟の写真に、「ガイジ(障害児)は生きる価値なし死ね」と返信をした人がいました。 その人のアカウントは、わたしだけではなく、障害のある人たちを手当り次第に攻撃するために作られていました。 それから、その人とご家族と、ダイレクトメッセージでやりとりをしました。返信について
・たった1つの冴えたやりかた ・終わりの始まり もう1つは? 追記 https://anond.hatelabo.jp/20210923220716
社外の人に、社内の人を「さん付け」で呼ぶなって一般的に言われてる。 「身内を"さん付け"で呼ばないだろ」って、身内じゃないし。血は繋がってないし。 最低限の敬いというか、配慮は必要でしょう?なんで「さん付けするな!」って言うの? 上司のことを呼び捨てにするのは気が引けるし、 後輩から「増田が居ますけど」とか言われてもちょっと腹立つかもしれないし、 なんでダメなのかサッパリ分からない。どんな文化なの?何なの? 外国もこういうことあるのかな。近くの人は「This」で呼ぶとかさ。そんな感じ? はぁ。とにかく面倒。「さん付け」で呼んでもOKな世の中にしていかない? 特に誰も嫌な思いしないでしょ。なんで?納得する理由が欲しい。 ちなみに、一応社外の人と話すときは「さん付け」じゃなく呼び捨てにしてる。 先輩も、上司も、社内の人の名前をいう時に「さん付け」していること多いから滅んで良いと思う。 2/14
「当事者マウンティング」という現象 「子どものあなたにはわからない」 物心がついたころ、大人にそう言われてもやもやしたことはないだろうか。言い返したいのにうまく言葉にできず言葉を飲んだ経験はないだろうか。 自分が持っていないものを理由に「わかっていない」と言われると黙るしかない。相手がわかって、自分がわからないことの根拠は、自分には持ちえないものの中にあるのだ。返す言葉は無くなってしまう。 当事者の言葉は重要である。経験していなければ、その場にいなければ知りえないことはたくさんある。世界は当事者の言葉が聞かれなかったゆえに起こった悲しい出来事であふれている。 しかし当事者が当事者であることを根拠に「わかる」を主張し、当事者でないことを理由に「わからない」を突き付けるとき、それはマウンティングになる。 ここではそれを「当事者マウンティング」と呼ぼう。 子どものいないあなたに子どものことはわか
絵文字の話でいくつか思い出したので書いてく 自分はそこまで詳しいわけじゃないので各自知ってるものがあったら教えてほしい ・BOKEH(ボケ) 写真を撮るときにいい感じに出てくるあのボケ味のこと 単なるピンボケとはまたちょっと意味が違うらしい アメリカ人の口から初めてこの単語を聞いたときはえ?と思った 一瞬英語にそういう単語があるのかと思ったけど日本語のやつだった ちなみに映画のタイトルにもなっている https://www.youtube.com/watch?v=TNDv1X86CZs 邦題は「境界線」でNetflixでも配信中 ・ANIME(アニメ) 日本人が単に「アニメーション」を略したものとして使っていただけの言葉が いつの間にか海外では日本製のアニメーション作品を指して使われるようになった 海外ではANIME(日本の作品)とANIMATION(それ以外)という明確な使い分けをよく見
基本的に「フルネーム+さん付け」なのだが、これは童貞っぽいとバカにされやすいらしい。 「なんでだよ。好きに呼ばせろよ!」と思っていたが、よく考えたら俺はルパンはルパンと呼ぶしのび太はのび太と呼んでいる。 俺が「フルネームさん付け」で呼ぶのは、アニメの女性キャラに限っているのだと気が付いた。 うーむ、これでは童貞っぽいと馬鹿にされても仕方がない気がしてきた…。 でもなー、ちゃん付けは厳しいな。俺はちゃん付けは、なんかかなり距離感が近過ぎると思うんだ。半径1メートル以内にいる感じがする。 呼び捨ては刺々しさがあるしなー。愛称は逆に恥じらいが無くて、意外といけるんだよな。 こうして考えてみると、確かに童貞っぽいということは否めないが、「フルネーム+さん付け」は敬意の表れでもあるということは念押ししておきたい。別にのび太やルパンに敬意がないわけではないが。 あ、あと「苗字+さん付け」や「名前+さん
少し前の話になりますけど、 公立小学校司書「今年度から ラノベが禁止になった」 - Togetter 元ツイートの大半が消えていて後から見ると何が何やら分からなくなってしまっていますが、とある学校(発言者のプロフィールによると小学校か中学校)の図書室で、性的な雰囲気の表紙イラストの作品が含まれているという理由により?ライトノベル全般が棚から撤去された、という話でした。 これ自体もたいへん興味深い話題ですが、ここでの本題は、このまとめへの反応で用いられている様々な言葉の方です。 「たしかに小説とは別物だけどラノベも読書の入り口になる」 「いつまでもラノベばかりではなく純文学も読むようになってほしい」 「こんなこと言うと怒る人いるけど、私はライトノベルは読書の入り口としても認めてない。入り口は江戸川乱歩とかルブランの推理小説で良い。まずラノベ読んで読書した気になってるのが腹立つ。ラノベの中に後
全マシニキは今日も全マシィィィッ! 全マシニキです! みなさんはどれくらいの頻度で音楽を聴きますか? 私は音楽が大好きで、私の人生とは切っても切れないものとなっています。 音楽のお陰で今の人生があると言っても過言ではありません。 今回はその音楽に関した話です。 音楽が大好き! 私の両親はそんなに音楽を聴く人間ではありませんでした。 なので私もそんなに音楽と接することなく幼少期を過ごします。 音楽の授業は大嫌いでした。 唄うことも大嫌いでした。 中・高生あたりで音楽を聞くようになります。 しかしながら流行りの音楽をただ聴いているって感じでしたね。 音楽はBGMでした。 高校3年生でパンクロックと出会いました。 衝撃的でした。 そこから私はパンクロック・ロック全般にのめり込んでいきます。 大学生になると狂ったように音楽を聴きました。 あまり活動的ではなかった私は毎日悶々とし、充実しない毎日に苦
こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。 出る杭は打たれるのが日本社会と政界の慣習でございまして、昨日のブログで取り上げた新聞社からの取材の件、無事に(?)記事になったようです。 懇切丁寧に回答したにも関わらず事実誤認や印象操作と思われる記述が散見されますので、ここで説明するとともに、担当の男性記者さま及び毎日新聞社さまへは追って質問状&抗議文を提出したいと考えています。 まず、該当の記事はこちら。「不適切」とは書けないので、「不思議」というタイトルをつけてごまかしているわけですね。。 舛添氏批判の議員に「不思議な支出」 政活費公開(毎日新聞) http://mainichi.jp/articles/20160810/k00/00e/040/252000c また、本会議で「知事の海外出張費を情報開示請求したら、黒く塗りつぶされていた」と指摘した「かがやけTokyo」の音
『ん 日本語最後の謎に挑む』(山口謠司/新潮社) あいうえおの五十音図の枠外にぽつんと置かれた「ん」の文字。改めて、みなさんはどんな印象をお持ちだろうか? 「独特の存在感」「孤高」「最後にある“どや顔感”」。さらに、流行りの擬人化をしてみると、「どこから来たのかわからない転校生」との意見が筆者の周りでは聞かれた。なるほど、やはりほかの文字とは一線を画した雰囲気を感じる人は多いようだ。 それもそのはず。実は「ん」という文字はかつて日本語にはなかったらしい。少なくとも『古事記』や『日本書紀』『万葉集』など上代の書物に「ん」を書き表す文字が見当たらないという。では、「ん」とはいったい何者なのか。どこからやってきたのか。そのミステリーを解き明かすのが、『ん 日本語最後の謎に挑む』(山口謠司/新潮社)である。本書を読むと、普段いかに「ん」をナメていたのかがよくわかる。 「ん」は言葉によって発音が違う
ここで紹介するのは、21世紀を語る20の必須キーワードです。2007年の初稿をベースに、フューチャリスト(未来学者)諸氏にお話をうかがいながら修正加筆しました。 1. Co-veillance(コベイランス=相互監視) フューチャリストのSF作家デイヴィッド・ブリン氏の造語。Steve Mannの「sousveillance(逆監視)」とJamais Cascioの「Participatory Panopticon(参加型パノプティコン)」のマッシュアップで、自身が提唱する「Transparent Society(透明な社会)」の延長線上にあります。要は「監視と逆監視を掛け合わせて生まれる、見て見られる相互監視」であり、「下からの監視」のことを指します。ブリン氏は取材でこう語ってくれました。 現代人は監視権力が日々拡大することに不安を感じている。カメラはより高速・小型・ベターになって、(自
すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、「保育園落ちた 日本死ね!」ということだが、私が気になっていたのは、「日本死ね」という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に「中国死ね」や「韓国死ね」という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、「日本死ね」ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日本人なら「日本死ね」と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日本人なら「日本死ね」と言ってよいのだろうか? あるいは、日本人なら「日本死ね」と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう?
山本弘 『BIS ビブリオバトル部』 @hirorin0015 ネットで、ググッたら一瞬で分かるようなすごく初歩的な質問をしてくる人がいるのが、前から不思議。 質問して答えが返ってくるのを待つより、自分で検索した方が早いって、なぜ気づかないんだろう? そんな質問には答えませんからね。甘やかしたくないから。僕はあなたの検索エンジンじゃない。 2015-05-22 09:17:54 平沢ケンゴ @KengoHirasawa @hirorin0015 横から失礼します。アニメ監督の北久保弘之さんに「ask.fm」で質問を大量にぶつけている人の発言でヒントになりそうなのがありました。要するに回答が欲しいというよりも「〜って山本弘氏が言ってる」っていうお墨付きというか、保険が欲しいんじゃないでしょうか? 2015-05-22 09:48:00
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