私と母はいつも一緒だった。 幼い頃、母と2人でちょっと遠くへ出掛けるには必ず都電荒川線を使っていた。都電を使う理由は、荒川区町屋に生まれ育ち、社会経験の少ない母にとって、JRや地下鉄よりも、昔の記憶を頼りに使える都電が1番勝手が効くためだ。 「あらかわ遊園」の乗り物で遊んで、そのお昼には母の作ったお弁当を食べたり、庚申塚の巣鴨地蔵通り商店街にある観音様を一緒に洗ったりした。梶原の和菓子屋「明美」では、餡子と求肥を都電の形の皮で挟んだ「都電もなか」が大好きで、買ってもらって喜んで食べていた。 明美の都電もなか そういえば、母に都電での思い出話を聞いたことがある。小学生の時、親にこづかいを貰って都電で出掛けてみたものの、最寄り駅より2駅も行き過ぎてしまい、所持金もなく、泣きながら自宅までの長い道のりを歩いて帰ってきたことがあるそうだ。約50年前の当時の都電の乗車料は15〜20円ほどだったという