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journalismとself-imposed restraintに関するsarutoruのブックマーク (3)

  • シリア難民アラン君の写真はなぜ、世界を動かしたのか(木村正人) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    トルコの海岸に打ち上げられたクルド人のシリア難民アラン・クルディ君(3歳)の遺体を撮影した女性カメラマン、ニリュフェル・デミアさんが所属するトルコの通信社DHAのインタビューに応じている。 アラン君の写真は世界に衝撃を与えたが、死の描写がリアルすぎるため掲載を見送ったメディアも少なくなかった。大手メディアの大半は遺体の写真は掲載しない自主規制を設けており、日メディアはアラン君の遺体を掲載した英紙インディペンデントの1面にモザイクをかける形で報道した。 ロンドンで暮らす筆者は英BBC放送が、アラン君の遺体の写った映像を放送しているのに非常に驚いた。BBCは原則として遺体の写真や映像は使用しないからだ。 アラン君の死が持つ意味を伝えようと、遺体の写真を加工したシリア出身のグラフィックデザイナーのツィッターを転載してYahooニュース個人に投稿したところ、「待った」がかかった。編集ルールに抵触

    シリア難民アラン君の写真はなぜ、世界を動かしたのか(木村正人) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 日中双方の新聞記者交換に関するメモ - Wikipedia

    日中双方の新聞記者交換に関するメモ(にっちゅうそうほうのしんぶんきしゃこうかんにかんするメモ)は、日中国交正常化前の日中華人民共和国の間における記者の相互常駐に関する協定であり、日中記者交換協定、記者交換取極[1]とも呼ばれていた。 1964年の日中LT貿易にて結ばれ、のちに1972年の日中国交正常化により失効した後、新たな記者交換取極が交わされた[1]。 1952年(昭和27年)、日は、台湾中華民国との間「日国と中華民国との間の平和条約」(日華平和条約)を締結した。これにより、ともに中国における正統な政府であることを主張する中国国民党政府と1949年(昭和24年)中華人民共和国建国を宣言し北京を首都とする中国共産党政府のうち、日中華民国政府を「中国の正統な政府」と認めて国交を結んだ。 その後、紆余曲折を経て、1962年(昭和37年)に日共産党政府との間で「日中総合貿易に

  • M・Focus : トリミング

    報道の世界的栄誉とされるピュリッツァー賞の速報写真部門に、ミャンマーで日の映像ジャーナリスト長井健司さんが銃撃された瞬間を撮影した、ロイター通信写真記者が選ばれた。受賞理由は「ミャンマーで何が起きたかを劇的に伝えた」という。 あらためて、一報段階であの写真をトリミングした日のメディアの見識を強く批判する。 「倒れている人物が長井さんか特定できない段階での判断としては、間違っていなかった」と考える社もあると聞く。 それなら、と問う。カメラを掲げたまま路上に倒れた人物をトリミングし「逃げ惑う群衆」との趣旨の写真にする必要があったとすれば、それはなぜか、と。 海外カメラマンの報道写真展は、ストレートだ。戦闘やテロに巻き込まれ体の一部を失った負傷者や遺体にカメラを向ける。目を背けたくなっても、それは単なるグロテスクでなく、命が無為に失われる社会があるという「現実」だ。僕たちが受ける衝撃

    sarutoru
    sarutoru 2008/04/09
    →同意、当時トリミングを施した朝日・読売・産経の傲慢さを忘れずにいよう
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