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*TVと*THINKINGに関するsatmatのブックマーク (5)

  • テレビがネットより優れているトコロ または15万件の苦情に見るネットの可能性 - 水色あひるblog

    昨日、ウチからテレビが無くなりました。もちろんブラウン管式の受像機は今も部屋に鎮座ましましており、消えたのはアナログ放送のコンテンツです。深夜のバラエティー番組が好きな私がいつまでテレビ無し生活に耐えられるか試しつつ、何故私はネットに満足せずテレビを欲するのか、砂嵐の画面を見ながら考えてみました。 ◆ テレビがネットより優れているトコロ。それは「テレビは私の怠惰を許してくれる」事でしょう。 ネットには無限のコンテンツがあり、意思をもって何か調べたい時にはテレビには不可能な事を可能にしてくれてとても便利です。が、ただ退屈をしのぎたい時にも、何を見るか自分で考えて、検索して、選ばなければなりません。これが面倒です。苦痛です。 テレビは私に何も要求しません。ただスイッチを入れれば、勝手に一方的にコンテンツを垂れ流してきます。この怠惰、この愚鈍への寛容、この安逸がテレビの素晴らしさです。またコンテ

    テレビがネットより優れているトコロ または15万件の苦情に見るネットの可能性 - 水色あひるblog
  • とある局の放送作家の人に愚痴られた話と、テレビ番組制作者のジレンマ。: 不倒城

    一応ブログに書く許可を取ってはいるが、詳細は色々とボカす。 私の昔の知り合いで、いわゆる放送作家をやっている人がいる。彼に新春早々愚痴られた。 放送作家というと大仰だが、要するにテレビ番組の構成や脚を決める人であり、実際はディレクターの仕事もやっているそうであり、更に言ってしまうと何でも屋(これは彼自身の言葉を借りている)である。ディレクターをやっているなら別に肩書きはディレクターでいいんじゃねえかと思うのだが、敢えて「放送作家」を名乗るのは、良く分からないが彼の方針であるらしい。名刺に何と書いてあるのかは知らない。 で、何と愚痴られたのかというと、基的には上司に対する不平であるのだが、その内容が面白かった。 何でも、「最近色々とうるさいから、インタビューをなるべく編集するな」と言われたらしいのだ。 かなり以前からWebでは、例えばドキュメンタリー番組における「インタビューに対する編集

  • タモリに学ぶ会話術 - ○

    「笑っていいとも」をお昼休みにウキウキウォッチングしていた。タモさんがゲストと話していた。ダラーっと見ながら気がついたのだがよくよく考えるとタモリの会話術ってスゴいと思った。どうしようもない口下手ゲスト相手でも会話を成立させてしまうあの手腕、テレビブロスが日の名司会者一位にするのもわかった気がした。*1会話をする際、いったい相手との間にどのように話を広げていくかタモリのいままでのテレホンショッキングでのやりとりから私なりにタモリ流会話術を研究させてもらった。 ・相手の容姿の変化を敏感にみつけ会話にもっていく。 「あれ?髪切った?」などモノマネギャグにされるくらい、タモリは一度会った相手の容姿の変化には敏感である。「あれ?痩せた?」「焼けたね」など当にぱっと見ただけで容姿の変化を指摘し相手がお笑い芸人とか笑いを取らねばならない人以外はその容姿の変化をたいてい「褒め」の方向やどういった経由

    タモリに学ぶ会話術 - ○
  • テレビの仕事 - 内田樹の研究室

    福田康夫と麻生太郎が生出演する「報道ステーション」を見る。 私はもともとテレビをまるで見ない人間なのであるが、「選挙速報」を甲野先生たちとわいわいツッコミを入れながら見たときに癖がついて以来、政治番組だけは一人でも見ている。 古舘伊知郎のインタビューを聴きながら、なんだか違和感を覚える。 彼は何か有用な情報を聞き出したいのか、それとも「質問してもきちんと答えない」様子を生放送で全国に放送したいのか、そこのところが私にはよくわからなかった。 相手が答えにくいような質問をして、その絶句するさまや、答えをはぐらかすさまから、その人の人物識見度量などを判定するということはたしかに可能である。 劫を経たジャーナリストの中には「それだけ」しかテクニックがない人(T原S一朗とか)もいる。 セレブたちが思いがけない質問に対応に窮するさまをみて視聴者が溜飲を下げるとか、爽快感を覚えるということもたしかにある

  • テレビ番組の低俗化に関する一考察

    最近のテレビは面白くない・テレビ番組の低俗化が一層進んでいる・民放は視聴者を馬鹿にしたような番組しか作らない・最近の若い人たちはもうテレビは見ない、などの声は何年も前から聞く。その割になぜテレビ局のビジネスモデルが破綻しないのか、なぜ民放のプロデューサーたちが高給をもらい続けることができるのかが私には不思議でしょうがないが、そこはあまりにも奥が深い話なのでひとまず置いておいて、まずは「(視聴者が必ずしも望んでいないのに)なぜテレビ番組の低俗化が進んでしまうのか?」とう部分にフォーカスを当てて、一つづつ疑問を解消していきたいと思う。 私は「なぜテレビ番組の低俗化が進んでしまうのか?」という疑問に対する答えは、マクドナルドに代表される「ジャンクフード・ビジネスモデル」にあると思う。「ジャンクフード・ビジネスモデル」とは、慢性的な料不足にあった原始の時代から人間のDNAに刻み込まれた「とりあえ

    satmat
    satmat 2007/08/23
    娯楽としてのTV=共通の話題という認識だったが,それが細分化するとどういう会話が成されるんだろう/番組が細分化しても,誰もが知ってるマンモス番組みたいなのは将来も存在しつづけるんだろうな.
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