© By Washiucho 元スレ:http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1357831075/
北村雄一(北村@) イラストレーター兼ライター 詳しくはhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili あるいは詳細プロフィール表示のウェブページ情報をクリック 詳細プロフィールを表示 ∧∧ ( ‥)8枚目、終了ですね ( ‥)これで2巻目のイラストは –□ 完成だ。まだ海の断面図が 残っているけども、 とりあえず一区切りだな ∧∧ (‥ )3巻目のイラストがまだ □□– 7枚残ってます (‥ )単純計算で21日 たぶんもう少しかかるな なかなか頭の痛い話さね さて ∧∧ ( ‥)科学は、一部の人にとって 理解できないし、恐ろしい ものなのであると。 ( ‥)科学は失敗して良いし –□ 間違えても良い学問 なんだよな もちろん、失敗や間違いをただ肯定しているわけではない。 失敗は完全には排除できないし、今は分からないが後から間違いだったと分かることがある。そうい
「厳密な人」と、「間違いにうるさい人」とを隔てているのは、その人が想定する正しさというものを、テストの形で記述できるのかどうかにかかっているのだろうと思う。 テストを作れる人は、テストを通じて、自分が想定する正しさに到達するためには何が不足し、どうすればそれを補うことができるのか、相手に提示することができる。 自分の学びをテストの形で記述できない人は、「俺はエビデンスを持っている。奴らは持っていない。俺は正しい。奴らはバカでこの世から放逐されるべき」とばかりに、せっかく学んだ貴重な知識を、単なる投擲用のクソとして消費してしまう。これはもったいないように思う。 哄笑の道具としてのエビデンス 専門家が喧嘩に参加する場面が増えたように思う。 会話の応酬が行われる場所はといえばせいぜい2ちゃんねるぐらいしかなかった昔、匿名の無数が対立する場に専門家が「降臨」すると、喧嘩の舞台は学びの場になった。も
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