日本のゲーム業界ってほんとにヤバイの? さすらいのゲーム業界人 島国大和氏に本音のところを聞いてみた 編集部:TAITAI 東京ゲームショウ2008の基調講演にて,日本のゲーム産業の危機を訴えたスクウェア・エニックスの和田洋一氏 TGSフォーラムにおけるスクウェア・エニックスの和田洋一氏や,Gamefest 2008におけるカプコンの竹内潤氏の発言にも見られるように,昨今(……というか,結構前からだが),日本のゲーム産業に対する危機感を表明する業界人が増えてきた。ゲーム産業が世界的には右肩上がりの成長を続けるなかで,一時期は世界を席巻した日本製ゲームのシェアは落ち込み,また開発力/資金力の面でも,欧米の企業に水を開けられつつあるのではないか……というのが,彼らの持つおおよそ共通した危機感の内訳。 実際,3Dゲーム全盛のここ数年,目を見張るほどのグラフィックステクノロジーの進歩と,それに見合
サイボウズ・ラボの竹迫良範さんの紹介で、yossyこと新藤愛大さんにインタビューさせていただきました。年齢はなんと20歳でフリーランサー。実績を見ていただくと、とんでもない方だとご理解いただけると思います。若い感性の中に、仕事に忙殺されてプログラミングの楽しみを忘れかけている世代のヒントになるお話も多々ありました。インタビューは埼玉県内にあるyossyさんの自宅で行いました。 yossy(新藤愛大)氏 本名、新藤 愛大 (Shindo Yoshihiro)。1988年9月30日生まれ。 「BeInteractive!」を屋号に、「三度の飯より ActionScript」を座右の銘に活動するフリーランス ActionScript エンジニア。Flash / ActionScript 開発のためのオープンソースコミュニティ「Spark project」や、ActionScript 系バイナリア
東京の地元UHF放送局・東京MXテレビで放送されている「一冊の本」は,毎回1人にインタビューして,自身のお気に入り・思い出の本を紹介してもらう形式の15分番組. その5月24日(土)朝8:30〜8:45放映分に,作家の畑正憲氏(以下「氏」)が登場し,阿佐田哲也(以下「阿佐田」)の『これがオレの麻雀』を紹介していた.以下に視聴した内容を記す.抜けている部分・記憶違いがあるかもしれないが,ご勘弁願いたい. 氏と阿佐田の出会いは1971年.ちょうど氏が北海道に「ムツゴロウ王国」を建てた年である.初対面からウマがあって,ちょくちょく卓を囲むようになった. 氏が(北海道から阿佐田のいる)東京に来ると,阿佐田はテレパシーのようなものでそれを感知し,ちょうど旅装を解いた頃合に,くぐもった声で「打ちましょうよ」と電話してくる. 『これがオレの麻雀』は,阿佐田が準優勝した「第11期麻雀名人戦」の詳細な自戦記
佐賀県佐賀郡西与賀村大字厘外1523番地(現在の佐賀市西与賀町大字厘外)で農家の三男だった父・坂井晴市と母ヒデの次男として生まれる。名前は祖父の勝三郎に由来している。坂井が5歳のときに一家は祖父の家から夜逃げ同然で出奔して貧しい生活を送った。父は小さな精米所に勤めたが、坂井が小学校6年生の1928年(昭和3年)秋、36歳で病没。残された母と6人の子供の生活は困窮した。見るに見かねた伯父が兄弟を中学に入れてやろうとして、坂井は東京に引き取られる形で上京した。坂井は新宿の府立六中を受験したが落ちて青山学院中等部に進学した。しかし、成績不振で落第して退学処分となった[1][2]。 その後は実家に帰され約2年間、農作業に従事した。この頃から自身の将来について真剣に考えるようになった。スピードへの憧れがあり、騎手になろうとしたが本家の反対で挫折。同じ西与賀村出身で佐世保航空隊の平山五郎海軍大尉操縦の
ネット開発者で構成するベンチャー企業・ロケットスタートの矢野さとるさん(26)は6月12日、ネット上の犯行予告を集約するサイト「予告.in」を公開した。フォームから犯行予告情報を投稿してリアルタイムで共有できるほか、2ちゃんねる(2ch)やブログ、はてなブックマークから犯罪予告関連の書き込みを自動収集。犯罪防止に役立ててもらう狙いだ。 トップページには、犯行予告情報投稿フォームと、2ch、ブログ、はてなブックマークの関連情報一覧を掲載した。 フォームに投稿した情報は、Twitterの専用アカウント「yokoku_in」に自動で投稿されるほか、Yahoo!グループの専用メーリングリストに流れる。 2ch検索から「犯行予告」「殺人予告」「殺します」「殺す」「爆破」「通報」というキーワードを含むスレッドを、定期的に自動取得してトップページに掲載。はてなブックマークからは「犯罪予告」「犯行予告」「
レイ・ハラカミ(本名:原神 玲(はらかみ れい)、1970年12月10日 - 2011年7月27日)は、日本のミュージシャン。広島県広島市出身[1]。京都芸術短期大学卒業。 楽曲はテクノ、エレクトロニカが大半である。 若干高音の抜けが悪い、透明感、浮遊感、不規則性を持つサウンドと、叙情的なメロディが特徴である。作品制作には、ほとんどのパートで1996年に発売された旧式のMIDI音源である、ローランドのSC-88Proしか用いておらず、そのSC-88Proのサンプリング音を逆再生する手法で独特の音を奏でている。SC-88Proに搭載されている、32kHzサンプリングのPCM音源が音のこもりを生んでいるようである。 細野晴臣とのラジオ対談でOpcodeのEZ Visionをシーケンサーとして使用していると発言をしている(『Daisy Holiday』(2005年6月5日、InterFM)。既に
『聞き上手は一日にしてならず』(永江朗著・新潮文庫)より。 (ライター・永江朗さんが、各界の「プロの聞き手」10人に「聞き方の秘訣」についてインタビューした本から。黒柳徹子さんの回の一部です) 【永江朗:『徹子の部屋』は世界でも珍しい長寿番組になりましたね。ひとりで司会するトーク番組としては世界最長だとか。長く続くからには、それだけ画面にはあらわれない苦労も多いと思います。収録の前には、どの程度、スタッフとミーティングをするんですか。 黒柳徹子:月曜、火曜で6本録っています。本当は5本でいいわけですけど、少しずつ余裕を見て。6本録れば、1ヶ月で4本のストックができます。何があるかわかりませんからね。ユニセフの仕事で海外に出かけるため、夏休みとして収録を2週お休みします。芝居の舞台稽古があって休むこともあります。毎週、金曜日に打ち合わせをするのですが、いまディレクターが14人ぐらいいまして、
キラ☆キラ 出版社/メーカー: OVERDRIVE発売日: 2007/11/22メディア: DVD購入: 7人 クリック: 288回この商品を含むブログ (63件) を見る 「知ってる? 猫って、異常に我慢強くてね、大けがしても、平気な顔で座ってたりするんだよ。だから、外で飼ってると気がつかないことが多くて。もっと痛そうな顔すれば、助けてあげられるのにねっ」 終わった! どういうわけか購入してから半年もかかったが、遂に『キラ☆キラ』を終了させた。 何ヶ月も放置しておいていうのも何だけれど、非常におもしろかった。『SWAN SONG』のような歴史的名作ではないにしろ、キュートでポップな佳作。 結果としてシナリオライター瀬戸口廉也最後の作品になってしまったわけだけれど、この一作でかれの名前は多くの読者に記憶されることになったと思う。本当に惜しいひとを去らせてしまった。 改めて説明するまでもない
一十三十一 「感触」 2002.10.09 編曲 「360゜」 2003.04.09 編曲&Programing 「Synchronized Singing」 2005.05.11 編曲&Programing 自己名義(kiku)「compilation コンピレーション」 2002.10.27 青山素子(浅川悠)「春夏秋冬恋繚乱 - 青山素子ミニアルバム 「ラブひな」より」 2003.01.22 作・編曲 KIREEK 「KIREEK #1〜TILT」 2003.05.15 メンバー参加 「KIREEK #2〜JAM」2003.06.01 メンバー参加 TVサントラ「カレイドスター〜はじめての すごい ミニアルバム〜」 2003.06.18 作曲 宇宙のステルヴィア 「スペースオペラI 〜きずな〜 ドラマCD」 2003.06.25 作・編曲 「キャラクターソングアルバム 宇宙学園ステル
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
日本を代表するウェブデザイナー その動向は、常に世界中のwebデザイナーたちの注目を集めている 1970年奈良県生まれ。東京大学工学部大学院修了。Webを中心としたインタラクションデザイン、インターフェイスデザインの分野で制作活動を継続中。クライアントワークとして、SONY CAMCAMTIME、NEC ecotonoha、インテンショナリーズなど。受賞等多数。また個人としても、世界各地の展覧会やワークショップ等に多数参加し、多方面で活動中。2004年にデザインスタジオ「tha」を開始。 そんな立花氏が今回ゲストに熱望したのが、Flashモーションの世界的な第一人者、Webデザイナー・中村勇吾(ナカムラ・ユウゴ)氏。先鋭的なWeb のインターフェースデザインで表現世界に数々の革命を起こし、そのシンプルで洗練されたグラフィックとモーションセンスには世界が注目している。 “とりとめのない、魑魅
日本再生へ チームラボの目的は「日本再生」。情報革命によってもたらされる「新しい価値を創造できる人が美徳とされる、新しい美意識」について考える若き社長。周囲の人間によると彼は、「変態」。 日本再生へ 僕は小学校の時すごくやる気のない小学生で、夢もなくって、同じ学年の子が将来はサッカープレーヤーとか花屋さんとかを夢見ていた頃に、自分は家が歯医者だったからそのまま歯医者になると思っていたのね。「10年後の自分はなにをやっている?」と小6の時に聞かれて、22歳の自分は「歯科大学に通っていると思う」って、可愛げもなく答えていたね。そんなさむい、現実感溢れる子供だったよ。 ところが中学校の頃、「日本を再生しろ」って電波が届いちゃったんだ。よくわからなくて、面倒だって思った。だけれど、僕は届いちゃったっていうファクトに素直だった。 高校の時、日本再生のためにマーケットにコミットしようと決めた
MITメディアラボで、12年にわたり教授を務めてきた日本人がいる。直接手でデジタル情報に触って操作できる「タンジブル・ユーザーインターフェース」の研究で知られる石井裕氏だ。石井氏がエンジニア適職フェアで若きエンジニアたちに語ったメッセージとは。 Tech総研は、2006年春、石井氏に単独インタビューを敢行、その記事を「我ら“クレイジー☆エンジニア”主義!」に掲載した。2008年1月26日のエンジニア適職フェアでは特別スピーカーとして石井氏を招き、エンジニア魂を根底から揺さぶるようなエネルギッシュな講演をしていただいた。1時間の講演を終えた石井氏の周りには、間近で質問をしようと、エンジニア、研究者、学生らの長蛇の列。その一つひとつに丁寧にこたえる氏の姿勢が印象的だった。 1956年生まれ。80年、電電公社(現NTT)入社。86年~87年、西ドイツのGMD研究所客員研究員。88年よりNTTヒュ
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