3日、韓国のユン・ソンニョル大統領が突然発表した戒厳令は、国会の議決によって一夜かぎりで解除されました。戒厳令に踏み切った背景や日本など外交への影響を考えます。

日本最南端の古墳を造った人々が住む農村は、開聞岳の大噴火に飲み込まれ…想像かき立てる大規模集落跡発見 希少品の朝鮮半島製鉄器も出土 指宿・敷領遺跡
【カイロ和田浩明】軍最高評議会が暫定統治するエジプトで7日、シャラフ新首相を首班とする新内閣が発足した。外務、内務などの主要閣僚が交代し、ムバラク前大統領を退陣に追い込んだ若者グループの要求を受け入れた陣容。ただ、「親ムバラク」とされる閣僚も残留し、批判が出る可能性もある。 新外相には元国際司法裁判所判事のナビル・アラビ氏が就任した。同氏はイスラエルとの平和条約を維持する考えを表明しているが、パレスチナ自治区ガザ地区の封鎖については批判的とされる。 イスラエルやその後ろ盾の米国は、中東和平交渉などで親米路線を維持してきたエジプトの外交政策が変化する可能性に懸念を示しており、アラビ氏がどのような方向性を打ち出すか注目される。 新内相のマンスール・イサウィ氏は元警察幹部だが、前政権下で国民弾圧の象徴だった国家保安情報局の権限を制限し、テロ対策に集中させるとの考えを示している。
【カイロ大前仁】エジプトの憲法改正委員会(改憲委)は26日、大統領任期を現行の6年から4年に短縮し、3選を禁止(現行は多選禁止条項なし)する条項を柱とする憲法改正草案を軍最高評議会に提出し承認された。2カ月以内にこの草案を国民投票にかけ、改正憲法に従って議会選や大統領選を実施し民政移管を進める。 改正案では11項目を国民投票にかける。現憲法では大統領選の出馬条件として、人民議会(国会)など250人の議員の支持を義務づけていたが、議員の支持を30人まで縮小した。ムバラク氏が長年、副大統領を空職として独裁体制を築いたことから、大統領が就任後60日以内に副大統領を任命する条項も加えた。 これまで野党弾圧に利用されてきた非常事態令については、最大6カ月と規定し、延長する場合は国民投票による承認を必要とする。さらに判事による選挙監視強化の条項も盛り込んだ。 改憲委のビシュリ委員長は今回の改正案を議会
【カイロ伊藤智永】エジプト政府は21日、内閣改造に着手し、1953年の共和国創設以来、初めて野党勢力からの入閣が内定、連立政権を組むことになった。 地元紙などの報道によると、副首相に起用される憲法学者のヤヒア氏は、民主化勢力の指導者、エルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長を支持するグループ幹部の一人。他に、国民進歩統一党(タガンマア党)からゴウダット氏が社会連帯相、新ワフド党のムーニル幹事長が観光相に内定した。 エジプトは77年に複数政党制になったが、議会の8割以上を現与党・国民民主党(NDP)が占め、首相や閣僚は大統領が任命する事実上の一党独裁体制だった。
【カイロ=貫洞欣寛】約30年にわたって強権支配を続けたムバラク政権が倒れたことで、政権べったりの報道を続けてきたエジプトの政府系「御用」メディアが、手のひらを返したように一斉に民主化を求める市民の動きを伝え始めた。 ムバラク大統領ら政権幹部の動向を常に1面で報じてきた政府系紙アハラムは、12日付で「市民が政権転覆」「エジプト人ら、史上初の民衆革命を祝福」の大見出しを掲げて「革命」をたたえた。 同紙はこのところ徐々にデモ隊に好意的な報道を増やしていたものの、反政権デモが始まった日の動きを伝えた1月26日付の1面トップはレバノンでの暴動に関する記事だった。カイロでの反政権デモは3〜4番手ニュースの扱いで、見出しは「数千人が失業問題などで平和的デモ」。一方、独立系紙マスリルヨウムは同じ日、1面全てをデモの報道で埋め、赤い文字で「警告」の見出しをつけ、大きな違いを見せた。 エジプト国営テレビ
【カイロ=古谷祐伸】エジプトで、民衆デモによって退陣したムバラク前大統領に代わって権限を引き継いだ軍の最高評議会は13日、声明を出し、憲法を停止したと宣言した。議会も解散した。6カ月以内に大統領選と議会選を実施し、それまでは軍最高評議会が統治を続けるという。 エジプトの憲法では、大統領が辞任などで不在になった場合は、人民議会議長か憲法裁判所長官が権限を代行する規定になっているため、ムバラク体制の下で選ばれた人物に権限が集中する事態を避けるために軍が憲法を停止した可能性がある。議会についても、ムバラク氏の与党・国民民主党に有利なように「不正が行われた」と野党勢力が反発した昨秋の選挙によって選ばれた顔ぶれのため、解散することで「ムバラク色」の一掃に動いたとみられる。
2011年2月12日 田中 宇 2月11日夜、エジプトのムバラク大統領が辞任した。ムバラクは辞任の前日、かねてから親しかったイスラエル労働党の国会議員ベンエリエゼル(Ben-Eliezer。元国防相)と電話で20分間話した。その中でムバラクは「米政府は中東の民主化を支持すると言うが、彼らは、自分たちが言っていることの意味を理解していない。中東を民主化すると、米国を敵視するイスラム過激派の国ばかりになってしまうのに、米政府はいつまでもそのことに気づかない」と述べ、米国を非難するとともに、自分が米国から疎んぜられていることを嘆いた。 (Mubarak slammed U.S. in phone call with Israeli MK before resignation) 米政府は1979年のイラン革命で、民衆が蜂起してイラン国王を追放することを「民主化」として支持したが、それは結局、ホメイ
前の記事 ネットが生む「共有とレンタル」の時代 「革命2.0」:エジプトとソーシャルメディア 2011年2月12日 国際情勢メディア コメント: トラックバック (0) フィード国際情勢メディア Sam Gustin ムバラク大統領の辞任を喜ぶ人々。タハリール広場で。Emilio Morenatti/AP エジプトにおける30年にわたる暴力的な圧政と独裁が今回の「革命」の燃料になったとすれば、ソーシャルメディアは火花と加速剤になったといえるだろう。 FacebookやTwitterが革命の原因になったとは言えないが、これらのツールは、人々の組織化、メッセージを世界に伝えること、国際的な支援を得ることに役立った。 「政治小冊子(パンフレット)がアメリカ独立戦争を起こしたわけではないのと同じように、ソーシャルメディアがエジプト革命を引き起こしたとはいえない」と、New America Foun
カイロで12日、野宿用の毛布を担いでタハリール広場を去る男性=越田省吾撮影 【カイロ=貫洞欣寛、北川学】ムバラク大統領の辞任に伴い、全権を受け継いだエジプト軍最高評議会は12日、声明を出し、現内閣を暫定内閣として機能させ、すべての国際条約を順守すると発表した。イスラエルなどとの友好関係はこれまで通り維持することを示し、国際社会が抱く中東地域の不安定化への懸念を払拭(ふっしょく)する狙いがあるとみられる。 「第4号」と題した声明で、「現在の内閣と知事は新政府発足まで任務を続ける」とし、シャフィク首相(空軍出身)らを暫定内閣として維持させる考えを示した。ムバラク氏は市民からの辞任要求をかわすため1月末、全閣僚をいったん更迭し現内閣を発足させていた。 ただ、声明は、ムバラク氏から大統領権限を移譲されたスレイマン副大統領の処遇については触れていない。スレイマン氏は軍が全権を掌握したことで、事
エジプト首都カイロ(Cairo)・タハリール広場(Tahrir Square)で、ホスニ・ムバラク(Hosni Mubarak)同国大統領の辞任を祝福する花火が打ちあがるなか、歓喜する反政府デモ参加者ら(2011年2月11日撮影)。(c)AFP/MARCO LONGARI 【2月12日 AFP】(一部更新)エジプトのホスニ・ムバラク(Hosni Mubarak)大統領(82)が11日、辞任し、軍最高評議会(Supreme Council of the Armed Forces)に権限を移譲した。オマル・スレイマン(Omar Suleiman)副大統領が国営テレビで発表した。 30年近く続いたムバラク体制だったが、18日間続いた抗議デモの圧力に退任を余儀なくされた。スレイマン副大統領は「国が直面している困難な状況を考慮し、ホスニ・ムバラク大統領は辞任を決意し、軍最高評議会に国務遂行を命じた」
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