NHK公式【大河ドラマ「光る君へ」】時代考証を担当する倉本一宏さんに、藤原道長が屏風歌を作ったねらいなどについて伺いました。<ドラマをもっと楽しむコラム>
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平安時代に権勢を振るい、今年の大河ドラマ「光る君へ」に主人公の紫式部とともに登場する藤原道長が創建した寺院「法成寺(ほうじょうじ)」跡(京都市上京区)から、当時の井戸跡と鮮やかな色彩の緑釉(りょくゆう)瓦の破片が出土し、市考古資料館が16日発表した。法成寺の遺構が出土したのは初めて。 法成寺は道長が寛仁3(1019)年の出家後に建てた寺院で、鎌倉時代末期の14世紀前半に廃絶した。その後、度重なる鴨川の氾濫で寺跡は流され遺構も見つかることもなく、未解明の部分が多かった。 京都御苑東隣に建つ梨木神社境内でのマンション建設に伴い、民間調査団体「古代文化調査会」が寺跡の北西角の約500平方メートルを発掘調査。井戸跡(直径2・2メートル、深さ1・75メートル)と寺域の北限を示す東西溝が出土した。いずれも一緒に出土した土器などから道長時代の遺構と判明した。 法成寺の北西角から出土した井戸跡。寺の遺構と
今帰仁村の自然洞窟・ガマで、11世紀末から15世紀ごろのものとみられる人骨が26体見つかりました。 この時代の人骨がこれだけまとまって見つかるのは珍しいということです。 今帰仁村のガマで見つかったのは、11世紀末から15世紀ごろの、沖縄では「グスク時代」と呼ばれる時代のものとみられる人骨26体です。 村によりますと、このガマでは、平成26年に人骨が初めて見つかり、当初は沖縄戦の戦没者の遺骨とみて、調査を進めていました。 その後、人骨や周辺から見つかった出土品を調べたところ、「グスク時代」のものとみられることがこのほどわかったということです。 人骨は、男性が16体、女性が9体、子どもが1体で、このうち男性の平均身長は1メートル60センチあまりと、「グスク時代」より前の時代と比べて大きいということです。 「グスク時代」の人骨が1か所からこれだけまとまって見つかるのは珍しく、このガマは墓として利
【沖永良部】昨年6月に鹿児島県知名町大津勘で発見された遺跡「サクダマタ古墓群7号墓」が、現在奄美群島で見つかっている岩陰を利用した風葬墓としては最古であることが分かった。 知名町教委が行う同遺跡の発掘調査で昨年11月、カムィヤキ(11~14世紀ごろに徳之島で生産されていた焼き物)の陶片と共に30点以上の人骨や歯が出土していた。そのうち3点について年代測定を行った結果、1点が11~12世紀のものと判明した。 カムィヤキはその型式から11~12世紀に作られたもので副葬品として葬られたのだろうと推察されていたが、今回の年代測定によって陶片と人骨の年代が一致。「サクダマタ古墓群7号墓」が11~12世紀に墓として使われていたことが裏付けられた。 3月29日、現地で取材に応じた今井力夫知名町長は「琉球列島の墓の変遷を研究する上で貴重な遺跡。一般公開も視野に入れながら、今後も発掘調査を継続していく」と語
福岡市博多区の冷泉小学校跡で市埋蔵文化財課が実施していた発掘調査で、平安時代後期(11世紀後半~12世紀前半)の博多港の護岸とみられる石積み遺構が、全長70メートル以上にわたって出土した。現場は宋時…
京都市中京区の平安京跡の調査地から、11世紀ごろの中級貴族の邸宅のものとみられる門と塀の跡が出土し、25日、京都市埋蔵文化財研究所が周辺住民を対象にした現地説明会で公開した。保存状態は極めて良好で、平安貴族の屋敷の構えを具体的にうかがわせる貴重な資料という。 調査地は平安京の左京四条四坊一町にあたる。社屋建設に伴い約300平方メートルを調査したところ、南北道の高倉小路の西側溝に沿って塀とみられる柱跡の列が出土した。その中からひとまわり大きい柱穴が2カ所出た。 門の跡とみられ、柱穴の直径はいずれも約60センチ、間隔は2・1メートル。礎石を据えることなく、直接に土を掘って柱が立てられたとみられ、門の規模も小ぶりなことから、正門の可能性は低いという。門と塀は11世紀後半まで存在していたらしい。 同研究所によると、出土した土器類、瓦などの遺物や門の規模などから、宮中への昇殿が許可される五位前後の貴
国道313号の改良工事に伴い発掘調査している鳥取県倉吉市の「山ノ下遺跡」で、11世紀後半(平安時代末期)~12世紀(鎌倉時代)の掘っ立て柱建物跡5棟などが見つかったと県教育文化財団が発表した。同時期では県内最大級の建物が含まれ、同財団は「地域を治めた領主クラスの屋敷跡の可能性がある」としている。 同遺跡は縄文-室町時代の集落遺跡。平成28年の7千平方メートルに続き、今年5月から5千平方メートルを対象に調査してきた。建物5棟のうち4棟は内側にも柱を立てた「総柱建物」で、3棟は庇を備える。最大の建物は東西約20メートル、南北約12メートルで、同時期では県内でも例の少ない大型という。 また建物の柱穴や区画溝から、中国や朝鮮半島から輸入された陶磁器の破片100点強を発見。最大の建物の柱穴からは、中国の越州窯系の青磁片1点が見つかった。水注か壺の胴の部分とみられる。越州窯系の青磁片は県内では因幡国府
円融・花山・一条天皇に蔵人頭として仕える若き日の実資。相次ぐ譲位に際し、関白頼忠・摂政兼家らと連携して政務や儀式に奔走する。その一方で、昇進をめぐるわだかまりや、娘の病気治療の苦心などを日記に綴った。 【編集者の眼】 平安時代の公卿、藤原実資が綴った日記『小右記』の現代語訳が刊行開始となる(全一六巻)。藤原道長や一条天皇など摂関期の著名な人物が多数登場する平安の京を、一般読者も覗くことができるだろう。 実資は小野宮流の継承者で、若い頃から宮廷の儀式に精通した人物だった。日記には、日常の政務や、天皇即位式・大嘗会などの宮中儀礼の様子が詳細に書かれている。第一巻の収録範囲では、実資はまだ二十代だが、すでに深い故実の知識を身につけており、日記の中で公卿たちの先例に反する行為などを批判している。後の巻では権力者道長への批判も見られ、道長も実資に一目置いていたという。 一方、火事の野次馬に行ったとか
伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」とその居所「斎宮(さいくう・いつきのみや)」の歴史を紹介する県立の博物館「斎宮歴史博物館」(多気郡明和町、TEL 0596-52-3800)で現在、日本最古のいろは歌が書かれた土器が公開されている。明日7月12日まで。 【その他の画像】日本最古のいろは歌を書いた土器 国史跡に指定されている斎宮跡は、古代から中世にかけて約660年間に渡り天皇に代わって伊勢神宮に使えた未婚の皇女「斎王」の宮殿があった場所。遺跡の規模は東西約2キロ、南北約0.7キロ、総面積は約137ヘクタールでおよそ甲子園球場35個分に相当する。1970(昭和45)年から本格的な発掘調査が始まった。 日本最古のいろは歌の墨書土器(ぼくしょどき)は、2010(平成22)年に行われた斎宮跡第171次調査において出土。ひらがなで書かれた「いろは歌」としては日本最古となる。土器は、土師器(はじき)の皿で、平
九博、「西夏文書」修復へ 今夏から、中国に専門家派遣 2014年04月03日(最終更新 2014年04月03日 03時00分) 九州国立博物館が修復予定の西夏文字が書かれたお経。日本の国宝に相当するという(内蒙古博物院提供)写真を見る 九州国立博物館(九博、福岡県太宰府市)が、中国・内モンゴル自治区の内蒙古博物院が所蔵する「西夏文書」の保存修復を始める。西夏は11~13世紀の中国西北部で栄えた王国で、独特の西夏文字を考案した。正史が編さんされなかったため、西夏文字の文献は西夏の歴史や文化を知る貴重な史料とされる。九博は7月ごろに日本の専門家を派遣し、3年計画で国宝級の文書類を保存修復する。 同博物院は遊牧民族の文化財を多く所蔵する。九博が修復するのは、同自治区カラホトで出土した12世紀ごろの文書類。日本の国宝に相当する「一級文物」のお経も含まれる。文書類は一部が破れたり、変色したりしている
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