古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣など、貴重な発見が相次いでいる奈良市にある富雄丸山古墳で、木製のひつぎの中から新たに3枚の鏡などが見つかりました。 このうち1枚は大王クラスの巨大な古墳で見つかっている「三角縁神獣鏡」の可能性があるということで奈良市教育委員会はさらに調査を進めることにしています。 4世紀後半に造られたとされる奈良市の富雄丸山古墳では、▼古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣や、▼盾の形をした国内最大級の青銅製の鏡などの貴重な発見が相次いでいます。 ここで長さ5メートルを超える木製のひつぎも見つかり、奈良市教育委員会が2月上旬から土などを取り除き、中を調べていました。 その結果、▼直径20センチほどの青銅製の円形の鏡3枚のほか、▼「竪櫛」と呼ばれる竹製のくし9点が副葬品として納められていたことがわかりました。 鏡の中の1枚は大王クラスの巨大な古墳で見つかっている「三角縁
東アジアで最も長いとされる、鉄の剣などが見つかった奈良市の富雄丸山古墳で、木製のひつぎの中身を調べる発掘調査が4日から始まりました。 4世紀後半に造られたとされる奈良市の富雄丸山古墳では1年前、「蛇行剣」と呼ばれる波打ったような形をした東アジアで最も長いとされる鉄製の剣や、盾の形をした国内最大級の鏡などが見つかりました。 剣や鏡は、木製のひつぎのそばから出土していますが、1年前は調査が行われずそのまま埋め戻されています。 4日から、ひつぎの発掘調査が始まり、現場では作業員が道具や調査の拠点となるテントなどを運び込んで準備を進めていました。 ひつぎが埋まっているのは、古墳の斜面から突き出た「造り出し」と呼ばれる場所で、雨や風などから古墳を守る「覆い屋」と呼ばれる屋根に覆われています。 今月下旬からひつぎの本格的な発掘が始まる予定で、今回の調査で剣や鏡が埋められた背景などが、解明されるのではな
中央市教育委員会が行っていた発掘調査の中で、県内2つ目で最大規模の前方後方墳が見つかり、市は県内の古墳の歴史を考える貴重な事例ではないかとしています。 見つかった古墳は中央市大鳥居の大鳥居宇山平遺跡にあり、前方部は台形、後方部は四角形の前方後方墳としては県内2つ目となります。 前方と後方あわせて全長およそ50メートルと、これまでに唯一見つかっていた甲府市の前方後方墳のおよそ45メートルを超え、県内最大規模になるということです。 市が去年7月から農地整備のため行っていた発掘調査作業の中で見つかり、付近には深さ1メートルの溝や円墳3基が見つかっていて、古墳群が形成されていたとみられます。 市によりますと、この前方後方墳は4世紀後半から5世紀ごろに作られたとみられ、旧豊富村の記録でなくなったとされていた「二子塚古墳」ではないかということです。 市はこれまで見つかっている甲府市を中心とした古墳群か
島根県益田市久城町の国史跡・スクモ塚古墳が、墳丘長が少なくとも96メートルある前方後円墳であることが確認された。松江市の山代二子塚(やましろふたごづか)古墳(墳丘長約94メートル)を上回り、県内最大の古墳とわかった。益田市教育委員会が発表した。 スクモ塚古墳は、益田平野の東側に広がる丘陵地にある。国史跡に指定された1941年当時は、造り出し(突出部)のある円墳とみられたが、その後、県教委の測量調査で、100メートル規模の前方後円墳である可能性が指摘され、墳形の解明が待たれていた。 市教委は国や県などの指導を受けながら2016年度から発掘調査を進めた。もともとの山を前方後円形に削り出したうえで一体的に盛り土で造成されていたことなどから、前方後円墳と結論づけた。後円部は直径約56メートル、前方部は長さ約40メートルあった。 築造時期はこれまで5世紀前半とみられてきたが、時代が少しさかのぼること
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高崎市が市内の柴崎浅間山古墳を調査した結果、古墳時代前期の4世紀に作られたとみられる四角い形をした方墳であることがわかり、市は今週末に現地説明会を行うことにしています。 高崎市柴崎町にある柴崎浅間山古墳は、戦前からその存在がわかっていましたが、去年、市が発掘調査を行い、9日、その結果が報道陣に説明されました。 それによりますと、古墳は一辺がおよそ25メートル、高さが4.2メートルの四角い形をした方墳で、周囲で見つかった土器のかけらから、作られた時期は古墳時代前期の4世紀とみられるということです。 この時期の方墳は珍しく、古墳時代前期におけるこの地域の重要性を示す貴重な古墳だとしていて、一帯での水田開発を率いたリーダーの墓と推測しています。 市は今月12日に現地説明会を行うことにしていて、参加には事前の予約が必要です。 高崎市教育委員会の清水豊学芸員は「極めて残存状況が良く、県内でも非常に貴
【大田原】県教委が発掘を手掛ける湯津上の国史跡・上侍塚古墳で、周溝調査のため前方後方墳の後方部の東側に掘ったトレンチ(試掘溝)から、4世紀の築造当時に墳丘表面に敷かれていた葺(ふ)き石が多数見つかった。発掘を担当する埋蔵文化財センター(下野市)が17日までに、同センターのツイッターで速報した。 葺き石は、最初に掘った後方部のトレンチ(幅2メートル、長さ6メートル、深さ50~60センチ)から出土。直径15~40センチほどで、数は約200個。土器片も数点発見された。 調査課の内山敏行(うちやまとしゆき)副主幹(56)は「本県では葺き石がある古墳は少ないが、下侍塚古墳からは出ており、上侍塚でも斜面を鉄棒で刺すと全面で石に当たった。当然、石があるのは分かっていたが、こんなに大きいとは思わなかった」と説明。谷中隆(やなかたかし)係長(56)も「こんなにいっぱい石が転げ落ちていて驚いた」と話す。 (残
埴輪片大量出土 後に整地「墓じまい」? 出土した破片を接合した家形埴輪(手前)と円筒埴輪。家形には顔料が残る(大津市で)出土直後の周濠や埴輪の破片(大津市教委提供) 大津市桜野町の錦織遺跡で、古墳時代前期後半(4世紀後半)とみられる古墳の 周濠(しゅうごう) (堀)と大量の 埴輪(はにわ) 片が出土し、市教委が発表した。市内の古墳は尾根や高台に築かれている例が多く、琵琶湖に近接する平地で確認されるのは異例という。市教委は「想定外の発見。地域の有力者の古墳とみられ、一帯の歴史を考える上で重要な成果だ」としている。(渡辺征庸) JR大津京駅から北約150メートルの住宅地に位置し、宅地造成に伴って昨年9~10月に約100平方メートルを調査。幅約5メートルの周濠とみられる溝や、魔よけなどのため古墳の 墳丘(ふんきゅう) に据える埴輪の破片が見つかった。墳丘は残っていなかったが、周辺の試掘などの結果
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