6世紀初め、北陸から畿内に入り即位した継体天皇が置いたとされる弟国宮(おとくにのみや)の候補地、京都府長岡京市の井ノ内遺跡から同時期のものとみられる複数の竪穴建物跡と遺物が出土した。近くには継体天皇の支援者の墓もあり、調査した京都府埋蔵文化財調査研究センターは「謎多き継体天皇時代の地域の歴史を明らかにする貴重な史料だ」と評価する。 継体天皇は応神天皇の5世の孫とされ、北陸に居住したとされる。先代の天皇に後継者がなく白羽の矢が立ったが、すぐに政治の中枢がある大和(奈良県)に入ることなく、淀川流域などに都を移しながら勢力を拡大し、大和に入ったとされる。 日本書紀によると、弟国宮は大和に入る前に置いた都の一つ。継体12(518)年から8年間居住したとされ、長岡京市の今里、井ノ内地域が有力候補地。 今回は府立向日が丘支援学校の改築工事に伴い、昨年8月から約3千平方メートルを調査。その結果、6世紀初
