古代文様・直弧文(ちょっこもん)のある横穴式石室で知られる国史跡・千足古墳(5世紀前半、岡山市北区新庄下)で24日までに、新たな埋葬施設の痕跡が出土した。現時点では竪穴式石室とみられ、後円部に横穴式石室と並んで築かれていることから、同市教委は「直弧文の石室と同ランクの人物が埋葬された可能性がある」とみている。 同市教委の昨年度までの調査で、同古墳が全長74メートルの前方後円墳と確定。その結果、横穴式石室が後円部と前方部を結ぶ中軸線から南西にずれていることが判明。同市教委は東側に別の埋葬施設がある可能性を考え、11月から調査を進めていた。 新たな埋葬施設は、横穴式石室の北東約5メートルから出土。地元産の花こう岩と香川県産の安山岩を組み合わせた構造で、幅約2メートル、長さ約5メートルの長方形。石組みの崩落が全体的に進んでいるが、形態などから竪穴式石室の可能性が考えられている。 同市教委は、新た
記事一覧 今北山古墳「類を見ない大きさ」 4世紀前半の北陸で最大級 (2013年11月20日午後5時50分) 発掘が進められている今北山古墳。手前が前方、奥が後円部分=20日、福井県鯖江市磯部町、乙坂今北町 福井県鯖江市教委は20日、同市落井町、磯部町、乙坂今北町にまたがる今北山(こんぼくやま)古墳群で進めている発掘調査で、山頂の今北山古墳が古墳時代前期前半(4世紀前半)に造られた前方後円墳で、同時期までに北陸地方で築かれた古墳の中では最大規模であることが分かったと発表した。また発掘調査された県内の前方後円墳では最古級で、大きな権力を持ち丹南地域を束ねた首長が葬られたとみている。 今北山古墳は古墳群の中で最も高い標高133メートルの地点にある。7月からの試掘調査で、全長約75メートル、円の部分の直径が約35メートルの前方後円墳と分かった。 前方部がバチ形に開く比較的古いタイプの前方後円
西都原古墳群は、西都市の西都原台地を中心とする南北4・2キロ、東西2・6キロに広がる。少なくとも4世紀初めから7世紀初めにつくられた311基の古墳があるとされる。 調査は1912(大正元)年に始まった。当時の有吉忠一知事の発案で、京大、東大、宮内庁などの研究者が30基の埋葬施設などを調べた。県埋蔵文化財センターの北郷泰道所長によると、「『皇祖発祥の地』ということで、その実証が目的だった」という。 ただ、国重要文化財の「子持家形はにわ」や「舟形はにわ」などが見つかった一方で、最初の古墳の出現を別の地域よりも遅れた「5世紀初め」と推測する結果となり、目的は果たされなかった。 西都原古墳群は1934年に国史跡、52年には国の特別史跡に指定された。史跡はむやみに調査が認められず、1995年度に史跡整備のため大正期に調査した古墳を再調査するまで、80年近く実質的な調査はされなかった。 北郷さ
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県立紀伊風土記の丘(和歌山市岩橋)が行った岩橋千塚古墳群前山A58号墳発掘調査で、これまで円墳とされていた同古墳が、全長約20メートルの前方後円墳だったことが分かった。墳丘から埴輪(はにわ)も見つかっており、小型の前方後円墳における埴輪による祭祀(さいし)の様子が明らかになった。29日の午前11時と午後1時に現地説明会が行われる。 紀伊風土記の丘は先月まで、岩橋前山中腹にある同古墳の発掘調査を実施。円墳とされていた同古墳の隣に方墳があり、両古墳はこれまで別々のものと思われてきたが、調査で実際には円の部分が直径14メートル、全長約20メートルの一続きの前方後円墳と判明した。 また、石室から須恵器や玉類の破片を出土。前方部の頂周辺で、円筒埴輪や馬の埴輪が長方形を囲むように埋まり、後円部の斜面には、円筒埴輪が段状に巡らされていた。小型の前方後円墳はこれまでも県内で見つかっていたが、埴輪の置き方の
応神陵に巨大方形壇 [2011年02月19日 15:17] メールで記事を紹介する 印刷する 応神陵に巨大方形壇 日本で2番目に大きく、宮内庁が応神天皇陵に指定している前方後円墳、誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(大阪府羽曳野市、5世紀前半)の前方部頂上に巨大な方形の土壇があることが19日、2008年に墳丘を立ち入り調査した研究者らの証言で分かった。 通常は古墳の主を葬る後円部上にあり、聖域を示す結界や祭壇との説が有力。“埋葬施設の目印”とも言われ、同古墳では後円部の天皇だけでなく、前方部にも血縁者ら重要人物を埋葬した可能性が高いとみられる。 日本考古学協会などは24日、同庁の許可を得て内壕の土手を調査するが、墳丘本体への立ち入りは認められていない。 関係者によると、宮内庁陵墓管理委員会(考古学者ら8人)が08年秋、整備計画検討のため専門家として初めて墳丘内を立ち入り調査。
【壬生】町歴史民俗資料館で5日、企画展「しもつけ古墳群−下毛野の覇王、吾妻ノ岩屋から車塚へ−」が開幕する。独特の形態を持つ「下野型古墳」が点在する壬生、上三川、下野、小山、栃木の3市2町にまたがる「しもつけ古墳群」にスポットを当てた展示で、地域ごとに古墳の変遷を紹介。各古墳からの出土品約100点を一堂に展示する。3月13日まで。 同古墳群は羽生田、壬生、国分寺、石橋・薬師寺、国府、上三川、三王山の7地域で成り、前方後円墳や円墳が多く残る。大型古墳には共通性が多く(1)墳丘の第一段平たん面が幅広く基壇を持つ(2)石室に凝灰岩の切り石を使う(3)前方後円墳は石室を前方部に造る−といった特徴があるものを下野型古墳としている。 初期の下野型古墳からは、古墳時代の甲冑「挂甲」の破片である「小札」が多数出土。そのため各古墳出土の小札のほか、挂甲を復元した奈良文化財研究所蔵の「武人復元像」を展示する。
世界遺産の国内暫定リスト入りが決まった大阪の百舌鳥(もず)・古市古墳群の「仁徳陵古墳」の存在感が大きくて、前方後円墳は畿内が中心のイメージがある。しかし、全国で最も前方後円墳が多いのは千葉県だ。 岡山大学名誉教授だった故・近藤義郎さんが編集した「前方後円墳集成」によると県内には729基の前方後円墳が分布する。2位は茨城県の445基、3位は群馬県の391基で、奈良は鳥取と並ぶ4位で252基。大阪は8位。 県内には印旛沼近くの竜角寺古墳群や、東京湾岸の市原市の菊間古墳群、姉ケ崎古墳群、木更津市の祇園・長須賀古墳群、富津市の内裏塚古墳群など方墳、円墳も含む規模の大きい古墳群がある。 「千葉は県域が広く、平野面積も大きい。小河川の流域ごとに支配者がいて権力が分散していたこともある」と古墳に詳しい富津市教委の小沢洋・文化係長。 墳丘長が144メートルと、南関東最大の内裏塚古墳は5世紀中頃の築造。一帯
アユ不漁、豪雨の爪痕 広島・安佐北の三篠川、川底の泥や工事影響 (4/8) 西日本豪雨で浸水被害が出た広島市安佐北区白木町の太田川水系の三篠川で、アユの不漁が続いている。川底...
茨城県結城市上山川の須久保塚(すくぼづか)古墳で30日、現地説明会が開かれ、市民や考古学ファンらが解説に耳を傾けた。同古墳は結城第一工業団地の区画整理事業のため記録保存が決定。今年3月から調査が進められ、市内最大規模、全長75メートルの前方後円墳であることが分かった。 後円部には木棺を埋設したとみられる土坑があったが、土器や埴輪(はにわ)は出土せず、古墳の構築年代などは不明のままという。 古墳時代以降の遺構としては、古墳北側から9世紀ごろ(平安時代)の骨壺が出土、石を敷き詰めた中世の集石墓も見つかっており、供養塔の板碑や中国・北宋時代(960〜1127年)の貨幣である宋銭、中国で焼かれたとみられる青磁の破片なども出土したことから、鎌倉〜室町時代の武士階級の埋葬場所とみられている。
造山古墳=17日午後、岡山市北区、朝日新聞社ヘリから、寺脇毅撮影 日本で4番目に大きい岡山市北区の造山(つくりやま)古墳(国史跡、5世紀前半)で、墳丘を取り巻く周濠(ごう)とみられる跡が出土した。岡山大考古学研究室の新納(にいろ)泉教授が17日、発表した。周濠は、被葬者が大王級の巨大古墳に見られる特徴。吉備地方に、大和の大王に匹敵する政治権力が存在したことを裏付ける貴重な発見としている。 造山古墳は全長約350メートル(推定)の前方後円墳。今月に後円部周辺の1カ所から、築造当時の地面の層の上で、最大0.35メートルの盛り土が見つかった。また、隣接個所には有機物を含む黒い粘土層があり、濠の底の堆積(たいせき)物と考えられるという。このため、盛り土は、周濠の外周を形作る周堤と判断した。 調査地の位置や盛り土の広がりなどから、周濠の幅は約20メートル、周堤の幅は8メートル以上あったと推
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