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東寺(教王護国寺)は、平安京遷都に伴って、王城鎮護の官寺として西寺とともに建立されました。唐で新しい仏教である密教を学んで帰国した弘法大師空海は、823年に嵯峨天皇より東寺を賜り、真言密教の根本道場としました。2023年には、真言宗が立教開宗されて1200年の節目を迎えます。 空海のもたらした密教の造形物は、美術品としても極めて高い質を誇り、その多彩さや豊かさはわが国の仏教美術の中で群を抜いています。 本展は、空海にまつわる数々の名宝をはじめ、東寺に伝わる文化財の全貌を紹介するものです。空海が作り上げた曼荼羅の世界を体感できる講堂安置の21体の仏像からなる立体曼荼羅のうち、史上最多となる国宝11体、重文4体、合計15体が出品されるほか、彫刻、絵画、書跡、工芸など密教美術の最高峰が一堂に会します。東寺が1200年にわたり、空海の教えとともに守り伝えてきた至宝をご堪能ください。
葛城市にある當麻寺の国宝の塔の内部から飛鳥時代に作られたとみられる金銀銅の三重の入れ子の舎利容器が見つかりました。 調査した奈良国立博物館は国内では、最古級のものできわめて貴重な発見だとしています。 舎利容器が見つかったのは當麻寺にある三重塔、「国宝当麻寺西塔」で奈良県教育委員会が修理を行っていたところ、去年7月に塔を貫く「心柱」の先端部分から金属製の舎利容器が見つかりました。 容器は3つが入れ子の状態になっていて、一番外側の銅製のものが高さおよそ9センチ、内側の銀製がおよそ3センチ、最も内側の金製がおよそ1センチでいずれもふたのついたおわんのような形をしています。 奈良国立博物館によりますと、形などの特徴から飛鳥時代後期に作られたとみられますが、この時期に作られた金銀銅の舎利容器で完全に残っているのは全国でも法隆寺など数例しかなく、きわめて貴重な発見だとしています。 奈良国立博物館の内藤
和歌山県内の無人の寺や神社で、3年半ほどの間に、少なくとも100点近くの仏像や木像などが盗まれる被害に遭っていることが警察などへの取材でわかりました。警察は、仏像を狙った窃盗グループによる犯行の疑いがあると見て捜査しています。 特に集中しているのが県北部の岩出市や紀の川市で、全体の8割に当たる79点が被害に遭っていました。 このうち紀の川市では、いずれも平安時代の作とされ市の文化財に指定されている知足院の「木造天部形立像」がおととし3月から4月までの間に、西山観音堂の「木造十一面観音立像」がことし3月に盗まれていました。 警察は、仏像を狙った窃盗グループによる犯行の疑いがあるとみて捜査するとともに、自治体などと協力して地域の人たちに防犯カメラの設置なども呼びかけています。
平松廃寺から見つかった軒丸瓦(右)と、薬師寺で使用された同范瓦=奈良市大安寺西2の市埋蔵文化財調査センター 別の写真を見る
姫路市埋蔵文化財センターは、播磨国分尼寺跡(同市御国野町国分寺)から築地(ついじ)塀の遺構や、塀の屋根から落ちる雨水を流すための溝を確認したと発表した。調査地域は同寺の東端部にあたり、寺の敷地外の部分からは掘立柱建物の跡も見つかった。同センターは「寺の全体像や周囲の状況を知る上で貴重な成果」としている。17日午後1時半から現地説明会が行われる。 国分尼寺は、奈良時代の天平13(741)年、聖武天皇の勅命により国分寺とともに全国に建立された寺院。播磨国分尼寺は8世紀後半に建てられたとみられ、調査地の南約600メートルには国史跡・播磨国分寺跡がある。
◇空海書籍や古地図、曼荼羅・・・ DB化し閲覧可能に 1200年の歴史を持つ真言密教の聖地・高野山(高野町)で、弘法大師・空海の時代から伝わる経典や古地図、曼荼羅(まんだら)などを、インターネット上で公開する取り組みが進んでいる。貴重な資料の数々をデータベース化して広く閲覧できるようにし、西欧のカトリック総本山・バチカンなどと並ぶ宗教都市であると世界にアピール。伝統や独自の文化を期待する外国人旅行者らを呼び込む。(久米浩之) 神秘的な景観や宿坊での滞在、写経などの珍しい体験が評判を呼び、高野山の外国人宿泊者数は2015年に5万人を突破。16年にはさらに2万人増えた。 開山以来の資料を収蔵している高野山大学では、歴史的価値の高い江戸時代以前に絞っても書籍など10万点があり、「デジタル化すれば、世界のどこからでも『教え』に触れてもらえる」として、「空海作」とされる約50種類の書籍を専用スキャナ
江戸には、将軍家の崇敬を受け、広大な境域と多数の子院を有する特別な寺院が存在しました。代表格が増上寺、寛永寺、伝通院、東海寺、護国寺の五カ寺で、中でも増上寺と寛永寺は特別な地位が与えられていました。 最初に徳川家と結び付いたのが浄土宗の増上寺です。徳川家康の入府と同時に徳川家の菩提寺(ぼだいじ)となり、江戸の南の要害の地・芝の高台に移転しました。増上寺の大殿(本堂)が東を向いているのは、本尊が阿弥陀如来だからです。阿弥陀如来は西方極楽浄土に存在するため、東から西を拝むのが自然なのです。 上野の山には、増上寺と肩を並べる大寺・天台宗の寛永寺がありました。現在の上野恩賜公園と周辺は、寛永寺と子院の境域でした。寛永寺の本尊は薬師如来で、東照大権現(徳川家康の神号)の本地仏でもあります。薬師如来は東方浄瑠璃浄土に存在する如来で、「東を照らす」東照大権現と符合します。西方極楽浄土の阿弥陀如来が本尊の
福井市朝宮町の丘陵に、古代の北陸では最大級の山林寺院跡があることが2日までに、日本考古学協会の埋蔵文化財保護対策委員古川登さん(58)=同市=の調査で明らかになった。遺物などから奈良時代末~平安時代前半の寺院とみられ、東側の尾根上に大小20面以上の平たん面が見つかった。白山信仰との関係もうかがえ、注目を集めそうだ。 この丘陵(標高約130メートル)は朝宮橋南側の日野川左に面し、地元集落にはかつて神社があったとの伝承が残る。古川さんが旧清水町教委職員だった2004年、近くにある中世の大型寺院・方山真光寺(かたやましんこうじ)跡に関連した調査で、丘陵東側に複数の平地があるのを確認した。字名は「大社(おおやしろ)」で、「朝宮大社遺跡」と呼ばれている。 今年4月、越前町織田文化歴史館の堀大介学芸員とともに再調査したところ、標高72メートル付近で林道の造成跡から複数の須恵器片が見つかった。8世紀末~
無人の寺院などに伝わる文化財を保存しようと、和歌山県那智勝浦町で、古文書の調査が行われました。 和歌山県内では、人口の減少にともない、地域の寺院や神社を管理する人がいなくなり、無人の施設から仏像や古文書などの文化財が盗まれるケースが出ています。 ことし6月、仏像1体が盗まれた那智勝浦町の「南泉寺」は、和歌山県立文書館に、本堂にある古文書の回収を依頼し、12日、調査が行われました。 調査には、別の5か所の寺の住職を兼ねる大橋正道さんが立ち会い、文書館の職員は、江戸時代から明治時代にかけての土地に関する記録と確認しました。 文書館は、一時的に回収と保管を行い、その後の取り扱いについては、地元の自治体と協議を進めたいとしています。 大橋住職は、「高齢化で檀家も減っている。何とか、文化財を残せればありがたい」と話していました。 和歌山県立文書館の藤 隆宏 主査は、「古文書は地域の歴史を伝える貴重な
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