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考古学に関するshig-iのブックマーク (29)

  • 前方後円墳を厚木で発掘 かながわ考古学財団 あす見学会:東京新聞 TOKYO Web

    国道246号のバイパス「厚木秦野道路」建設に伴う「及川伊勢宮(おいがわいせみや)遺跡」の発掘調査で、公益財団法人「かながわ考古学財団」(横浜市南区)は、厚木市の荻野川流域で初めて古墳時代(3〜7世紀ごろ)の前方後円墳が見つかったと発表した。20日に現地見学会を開く。 財団によると、前方後円墳は全長37メートル、幅は21メートル。昨年の現地見学会では、前方後円墳のうち円形の盛り上がりだけが確認できたため、円墳として紹介していた。現地では他にも、古墳時代のものとして方墳の一部、土器、石器が見つかった。また、近世と中世の塚が各1基、周辺では縄文時代の住居跡1基も見つかっているという。 現地見学会は20日午前10時からと、午後1時半からの2回で参加無料、申し込み不要。現地集合(厚木市及川2)で、最寄りのバス停「松蓮寺」付近に案内人がいる。詳細は同財団のホームページで。(志村彰太)

    前方後円墳を厚木で発掘 かながわ考古学財団 あす見学会:東京新聞 TOKYO Web
  • 屋島 古墳時代にも製塩? : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

  • asahi.com(朝日新聞社):吉野ケ里発掘、高島忠平氏が最終講義「邪馬台国は九州」 - 社会

    「最終講義」で邪馬台国について語る佐賀女子短大の高島忠平学長=佐賀市  約20年前の吉野ケ里遺跡発掘を指揮し、邪馬台国・九州説の牽引(けんいん)役だった佐賀女子短大(佐賀市)の高島忠平学長(70)が3月末の退任を前に13日、同市であった学生の卒業研究発表会で学長としての「最終講義」を行った。「邪馬台国は国際性豊か。北部九州は中国や朝鮮との交流が盛んだったが、近畿は貧弱」とこの日も九州説を力説した。  「昨年、奈良県の纏向(まきむく)遺跡が卑弥呼の宮殿ではという発表があり、私のところに関西のマスコミが『刺客』としてやって来た」  「30分でわかる九州邪馬台国説」と題した講義でこう切り出し、学生や市民の笑いを誘った。畿内説を勢いづかせる同遺跡の大型建物跡は「卑弥呼の時代より1世紀後の建物」とバッサリ切り捨てた。  福岡県飯塚市出身。高校で郷土部に入り考古学に出あうが、「考古学は趣味にし、将来は

    shig-i
    shig-i 2010/02/14
    もっと若いと思っていた
  • 河北新報 東北のニュース/工藤雅樹氏死去 「平泉の文化遺産」委員長 72歳

    2011年の世界遺産登録を目指す「平泉の文化遺産」の推薦書作成委員会委員長で、東北歴史博物館(宮城県多賀城市)館長などを務めた工藤雅樹(くどう・まさき)福島大名誉教授(考古学)が29日午後10時40分、胆のうがんのため仙台市宮城野区の病院で死去した。72歳。盛岡市出身。自宅は仙台市泉区高森4丁目。葬儀は2月2日午前11時から青葉区木町通の斎苑(えん)別館で。喪主は紘子(ひろこ)さん。  東北大文学部卒、大学院博士課程修了。同博物館の前身、東北歴史資料館勤務、宮城学院女子大・短大教授などを経て1989年から福島大行政社会学部教授。2003年に退官した。04年から2年間、東北歴史博物館館長を務めた。  古代蝦夷(えみし)に関連する論文などをまとめた3部作「古代蝦夷の考古学」「蝦夷と東北古代史」「東北考古学・古代史学史」は第8回雄山閣考古学賞を受賞した。  工藤氏は、08年の岩手県平泉町の文化

    shig-i
    shig-i 2010/01/31
    72歳
  • 近藤義郎さん死去:古墳研究の第一人者 84歳 - 毎日jp(毎日新聞)

    前方後円墳や埴輪(はにわ)の出現研究で知られる岡山大名誉教授の近藤義郎(こんどう・よしろう)さん=考古学=が、今年4月5日に亡くなっていたことが13日、わかった。84歳だった。故人の遺志で未公表とし、近親者で密葬を済ませた。自宅は岡山市中区米田24の18。 1925年、栃木県足利市生まれ。49年、京都大文学部史学科卒、50年、岡山大(当時は岡山医大)助手。72年に教授、90年に定年退官した。 76~89年の弥生時代最大級の楯築墳丘墓(同県倉敷市)調査など、吉備地方の弥生墳丘墓や初期の前方後円墳を発掘。出土する祭祀(さいし)用の土器である特殊壺(つぼ)・特殊器台が、大和の最古級の前方後円墳にもある点を指摘。前方後円墳発生に吉備地方がかかわったとした。 89年に三角縁神獣鏡が出土した権現山51号墳(兵庫県たつの市)の発掘では調査団長を務めた。67年に「日の考古学」で毎日出版文化賞受賞。

  • http://www.kahoku.co.jp/news/2009/09/20090902t23031.htm

    shig-i
    shig-i 2009/09/02
    加速器質量分析装置(AMS)」。物質中にある放射性同位体「炭素14」の崩壊率から年代を測定できる。
  • [ITproカンファレンス:拡張現実]“電脳コイル”実現に向け遺跡を復元---東大,アスカラボ

    2009年2月26日に開催した拡張現実(AR:Augmented Reality)技術に関するITproビジネス・カンファレンス「AR(拡張現実)ビジネスの最前線」で,東京大学大学院情報学環池内研究所・特任講師の大石岳志氏(写真1)とアスカラボ代表取締役の角田哲也氏(写真2)が「ARを用いた遺跡復元」について講演した。 遺跡復元として選択したのは,奈良県明日香村にある飛鳥京。2005年から同地で,毎年秋に実証実験を行っている。東京大学がその実現に向けて技術面をサポート,アスカラボがバーチャル飛鳥京システムの実用化を軸に,AR技術を用いた新たな産業の創出を目指すというプロジェクトの一環となる。 遺跡復元はこれまで,遺跡の建物が現存しない地域に当時の遺跡を実際に復元するという手法が主流だった。ただ,これには数百億円の投資が必要となり,遺構を破壊することにもつながる。一方でコンピュータ・グラフィ

    [ITproカンファレンス:拡張現実]“電脳コイル”実現に向け遺跡を復元---東大,アスカラボ
    shig-i
    shig-i 2009/02/26
    新しい遺跡復元法
  • 遺跡資料リポジトリの構築:中国5県域から広域連携へ

    次世代学術コンテンツ基盤共同構築事業 学術機関リポジトリ構築連携支援事業 平成20-21年度委託事業(領域2) 遺跡資料リポジトリの構築:中国5県域から広域連携へ Repository of Archaeological Reports このホームページについて このホームページは、平成20-21年度国立情報学研究所CSI委託事業として採択され遺跡発掘調査報告書の電子版の収集・蓄積・公開の支援を目的としています。 年度は、中国地区の国立大学を中心に各県域での遺跡調査報告書リポジトリの試行と遺跡資料リポジトリ構築情報の共有・公開を行います。 活動状況 遺跡資料リポジトリ・セミナー開催(平成21年2月26日) 遺跡資料リポジトリ・コミュニティサイト 遺跡資料リポジトリ全般の概要等が、公開されています。 また、登録ユーザ間で情報の共有する機能を持っていますので、自治体間や各県域をまた

  • 【人】「考古学者は物言えぬ遺跡の代弁者」 橿原考古学研究所長の菅谷文則さん - MSN産経ニュース

    奈良県立橿原考古学研究所の所長を引き受けた心境を、「お礼奉公したいと思った」と語る。研究所には高校時代から出入りし、考古学を現場から学んだ。研究員時代は飛鳥京跡や法隆寺、大峯山寺などを調査。研究所には現在も度々、足を運んでおり、かかわりは半世紀にわたる。 自ら手がけた飛鳥京跡の発掘調査では、出土した遺構を「飛鳥浄御原(きよみはらの)宮」とする説を、いち早く提唱した。 学究上の信念は、恩師で研究所創立者でもある末永雅雄氏がよく口にした「常歩無限」。地道に研究を続けることが何より重要と考え、後輩の研究者にも「学問、行政へのまじめさ、一生懸命さ」を説く。 「遺跡から『こう語ってくれ』といった声が聞こえるような気がする。考古学者は物言えぬ遺跡の代弁者。そのためにさまざまなことを知っておかねばならず、考古学は偉大な雑学とも言える」と自らが一生をささげる学問について語った。 修験者であるのも、山岳信仰

  • 橿原考古学研究所:菅谷新所長「社会貢献にも一層力を入れたい」 /奈良 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇研究所OB、発掘の実務家 県立橿原考古学研究所(橿原市畝傍町)の新所長に、研究所OBで滋賀県立大名誉教授の菅谷文則氏(66)の起用が明らかになった15日、県庁であった記者会見で菅谷氏は「調査研究のレベルアップと共に社会貢献にも一層力を入れたい」と意欲を見せた。「現場たたき上げ」の新所長に、所員からは期待の声が聞かれた。就任は4月1日付。【林由紀子、花澤茂人】 昨年3月の樋口隆康・前所長の退任に際し、県教委側は「所長はシンボル的存在で、不在による管理運営上の問題はない」「過去には2年間不在だったこともある」などとしていたが、昨年4月から研究職やOBにこだわらず幅広い分野で人選を開始。最終的に研究者としての実績の他、行政実務や大学での指導経験が評価され、菅谷氏に白羽の矢が立った。 菅谷氏は会見で「歴代所長は研究者として最高峰。私のような発掘をなりわいとする実務家が(所長に)と思うと大いにプレ

  • http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20080809-OYT8T00085.htm

  • 地域ニュース | 中国新聞デジタル

    shig-i
    shig-i 2007/07/08
    現代の反映
  • 嘱託募集 - 考古ログ:楽天ブログ

    2007.04.25 嘱託募集 カテゴリ:日記 いまだ期限付きの勤務形態のため求人情報は毎日チェックしている。 今年はどうも例年と様子が随分違う。もう新年度が始まったというのにいまだに嘱託職員をあちらこちらで募集している。 再募集している所もあることから察して応募者は非常に少ないようだ。以前は嘱託募集に十数人応募するような時もあったが、今ではいくら条件をよくしても応募者は増えないようである。 理由は明らかである。団塊世代の定年に伴う新入社員の大量採用である。考古学で嘱託職員をやるよりも今のうちに就職した方が良い、と判断されたようである。 いっぽう埋蔵文化財調査の大部分を担っている公務員においては、役所のスリム化というのが一般的な風潮だから新規採用は抑えられている。嘱託職員でまかなおうというこれまでの方策も通用しなくなっている。 人材の空洞化は明らかである。発掘調査民営化の是非も参入ありきの

    嘱託募集 - 考古ログ:楽天ブログ
    shig-i
    shig-i 2007/04/27
    大丈夫なのか。考古学
  • asahi.com:復元建築、根拠は色々 同一の資料から異なる解釈 - 文化一般 - 文化・芸能

    復元建築、根拠は色々 同一の資料から異なる解釈 2007年04月24日17時18分 博物館や遺跡公園で、縄文〜古墳時代の竪穴式住居などの建物を見かけたことはありませんか? 発掘された柱跡などをもとに、当時の建物を推定・再現したものなのです。いわゆる「復元建築」。でも実は、研究者によっては、復元案にもバラツキが――。こうした現状を踏まえ、複数の案を示すケースも出てきました。 5人の研究者が復元を競った島根県立古代出雲歴史博物館の常設展示=島根県出雲市で 復元された吉野ケ里遺跡の主祭殿=佐賀県吉野ケ里町で 島根県出雲市に先月オープンした、県立古代出雲歴史博物館。常設展示の目玉の一つが鎌倉時代の出雲大社殿を復元した五つの模型だ。00〜01年の発掘調査で鎌倉期の巨大柱が出土したのを踏まえ、東北芸術工科大教授の宮長二郎さん、神戸大准教授の黒田龍二さんら建築史の研究者5人からさまざまな復元案が出さ

  • 埋蔵文化財の復元現場に光 ─タウンニュース

    平塚市は市内寺田縄にある旧肉会館を改修し、4月2日から「平塚市埋蔵文化財調査事務所」として移転オープンさせる。旧事務所(市内小鍋島)からの埋蔵文化財の調査・整理業務などを引き継ぐほか、新たに、実際の復元作業を一般公開する試みも取り入れ、埋蔵文化財の新たな活用を進めていく。作業の公開は、県施設を除いて県下市町村では初。 平塚市内では現在298箇所の遺跡が発見されている。特に奈良から平安時代にかけて存在したと考えられる、相模国の国府に関連する文化財の量はかなり多い。市ではこれまでに600箇所以上の発掘調査を実施。復元された文化財のうち、珍しいものや市全体の歴史が分かるものは博物館などに展示してきたが、膨大な資料は展示されずに蓄積されているという。 そこで今回、これらの展示されない膨大な文化財も、その復元工程の日常作業を公開していくことで、活用を図ることになった。調査事務所では毎年、数箇所

  • 民間に出来ること、やらされること | marginBlog

    ↓「解散」は誤報に近い。目論見は民間法人化なのだ。MBO(Management Buyout)でも構わないのだ。 朝日新聞:「かながわ考古学財団」解散へ 「質落ちる」学界が総反発日文化財保護協会の戸田哲也会長(中略)「発掘は代替できても、分布調査や研究調査、試掘など、県レベルでしかできない業務がある。分布調査、研究調査、試掘、いずれも民間に出来る(保存も啓発も委託できる)というか、現に委託されている(記者の思い違いの記事かもしれないが)。行政は、民間会社の発掘を監督・評価したいかもしれないが、これも委託可能である。現に、建築ではその方向だ。行政内に技術者をおかないのであれば、そういう方向にならざるを得ない。職員が現場経験を持たないようになれば、そうならざるを得ないのだ。 #現場を「見る」のは、基的には県レベルの仕事ではなく、「基礎自治体」の仕事になると思う。啓発もそうだろう。 「県埋文

    民間に出来ること、やらされること | marginBlog
  • http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=2214

  • 高橋さんとの思い出-3  木簡研究への道の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 ここをクリックしてランキング登録にご協力下さいよろしくお願いします。 私は長岡京研究を振り返る時いつも、中山修一先生が長岡京研究の創始者だとすれば、浪貝毅さんがその継承者、そして高橋美久二さんが発展者だと位置づけている。この三人の偉大な研究者なくして今日の長岡京研究はあり得なかった。 中でも今日の科学的研究の基礎を築いたのは紛れもなく高橋美久二さんだと確信している。 私が強く思う高橋さんの最も大きな功績は、誰にもまねのできない全体像を確実に描いた上での構想力だ。戦略があるというとどこか堅苦しいが、研究者には数少ない正確な洞察力に基づく戦略と戦術の明確な方だったと思う。その俎上に乗せていただいたのが長岡京だった。 まず、長岡京全体の調査を全て再点検され、年代順に並べられて、

    高橋さんとの思い出-3  木簡研究への道の条 - yaaさんの宮都研究
    shig-i
    shig-i 2006/12/13
    その木簡が長岡京から発見されなくなって久しい。これは決して偶然ではない
  • 北國新聞社

    北陸の代表紙。ニュース速報、石川と富山のニュース、コラム「時鐘」を掲載。

  • http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=1652