平和博物館の今日的な意義 『戦没者追悼平和祈念館』とはなんだろう 全国にはどんな平和施設があるか 平和博物館を創る会の活動から 資料 首都圏に開設が期待される平和博物館(総称)基本構想・試案 「虎頭要塞」を知っていますか? 十五年戦争最後の玉砕地を訪ねて 戦時資料は語る—寄贈された品々から 隣組回覧チラシ ある旧制中学の戦時記録
法政大(田中優子総長)は26日、軍事研究を行わないとする指針を制定し、防衛省の研究費への応募は「当分の間認めない」と決めたことを発表した。 防衛省の安全保障技術研究推進制度は2015年に始まり、予算も17年度は約100億円に急増している。戦争中に大学が軍事研究に加担した反省から、応募するかどうかで大学の判断が分かれている。法大は昨年7月から検討を始め、今月18日の常務理事会で「応募は当分の間認めない」と決定した。「軍事研究や人権抑圧など人類の福祉に反する活動は行わない」と定める指針も、新たに制定した。 田中総長は「戦争を目的とした武器等の研究・開発は、本学が使命とする持続可能な地球社会の構築の対極にあり、関与するのは、本学の存立基盤をゆるがすことになる」などとするコメントを出した。
書いていたら長くなった。 先に要旨をまとめておく。 マンガ『この世界の片隅に』は前半が戦前・戦時の日常の描写、後半が主人公の心象であり「記憶」と「想像力」をめぐる物語である。他方、アニメ「この世界の片隅に」は、戦前・戦時の日常をそのまま再現・保存することにしぼられた作品であり、原作のもつ後半部分は後景に退いている。両者は別々の作品(別個の価値をもつ作品)である。 戦争小説・戦争をめぐる創作(マンガ・アニメ・映画・ドラマ・演劇…)は手法と題材を選ぶことで、何かを強調し、何かを切り捨てるので、どんな作品であっても批判は呼び起こされる。多様な書き手が多様に描くことでしかこのジレンマは解決されないのではないか。 以下は、映画・原作のネタバレが含まれている。 「暗い」「つらいから読みたくない」と「楽しくて何度も読み返したくなる」 「女性のひろば」という雑誌(共産党発行)の2017年1月号に「『この世
「アメリカ許さん‼今度こそ絶対勝つ‼」(本人のセリフそのまま) 本人は原爆が投下されたことと、晴美ちゃんがなくなったことが特にショックだったようで、アメリカ悪い悪いと帰ってきてからも怒ってた。 そういう見方も当然あるだろうと思うので、 親からは余計な教育的誘導?みたいなのは敢えて一切してません。 補足 最後の一文のお陰で釣りじゃないかと言われてたので。 私は原作既読。息子と夫は真っ白な状態で観ました。当然この戦争について学んだことのない大人と知識の少ない子供とでは感想も異なるだろうとは思ってたけど、こうも明確に「敵認定」したものを憎む、やられたらやり返すっていうのを強く願うものなんだなあと思ったので書いた。 最後の一文は、実は息子は夏に原爆ドームをみてきて心に思うことがあったらしく、Youtubeで見たこの映画の予告編にちらっと写った原爆ドームに心惹かれてこの映画をみたがっていて、念願かな
昨年9月、国会で成立した安保法制が来月末、施行される。戦後日本の安全保障政策の転換点となる2016年。日本人は、戦争をどうとらえているのか。これからどうなるのか。 上坂すみれさん(声優・歌手) ゆる~い地盤に乗る平和 旧ソ連が崩壊した年に生まれたからというわけではないんですが、私、旧ソ連が大好きなんです。共産国家は、絶対に実現しない幻みたいなもの。非現実への憧れというか、もしも、ああだったら、と勝手に想像する面白さっていうか。この20年、私の中で共産主義は共産趣味になったんだと思います。 世界では紛争が絶えないけど、日本で戦争というと70年以上も前のことで、想像の対象というか、全く違う時空間で起きた出来事のように感じます。 そんな日本が生んだのが、私も出演している「ガールズ&パンツァー」(ガルパン)=図右=といったミリタリーもののアニメです。ガルパンは華道、茶道と並ぶ女子のたしなみ「戦車道
戦争体験の継承や歴史認識をめぐる摩擦が問題となる今日、アジア・太平洋戦争をあらためてとらえ直す本格的辞典。満洲事変から東京裁判、サンフランシスコ平和条約などの戦後史まで、政治・軍事・外交・経済・文化・思想など約2500項目を、図版を交え平易に解説する。軍事専門用語や兵器、諸外国の事項や人名も多数収めた。付録と索引を付す。 【本辞典の特色】 ◆敗戦から70年、戦争をあらためて問い直すための“礎”となるべく、戦後世代を中心とした約290人の研究者により編纂された最初の本格的〈戦争〉辞典 ◆満洲事変・日中戦争から東京裁判・サンフランシスコ平和条約などの戦後史まで、アジア・太平洋戦争期を中心に、戦中・戦後の連続面にも着目して編集 ◆政治・軍事・外交・経済・文化・思想・民衆・社会などの諸分野にわたる約2500項目を、最新の研究成果に基づき図版を交えつつわかりやすく解説 ◆中国戦線や東南アジアとの関係
「大艦巨砲主義」の語意 - 誰かの妄想・はてなブログ版 上の記事についたブックマークコメントについて。 「大艦巨砲主義」の語意 - 誰かの妄想・はてな版[歴史] "日本の戦術思想が米英に比べても「大艦巨砲主義」に偏っていたと言っても大過ないでしょう"開戦時正規空母保有数は日9米7。2015/06/22 16:41 日本海軍は、大艦巨砲主義でなく、空母機動部隊を主力とする航空主兵主義にめざめており、その威力は真珠湾攻撃で遺憾なく発揮された。むしろ旧弊な大艦巨砲主義であった米海軍が、空母の威力を学び、強大な空母機動部隊を組織して日本を敗北に追い込んだ。日本海軍が大艦巨砲主義であるという主張に対して、こうした一種の「神話」がぶつけられることがあるわけだが、このブックマークコメントを検討してみよう。 日米開戦を日本が9隻、米国が7隻の空母を保有して迎えたというのは正しい。それでは日本海軍の空母戦力
実質的な意思決定を行なったのは(全体状況の見えない)現場の将校と課長級の官僚であり、彼らをあおったのは右翼の直接行動と新聞の戦争報道だった。東條も、そういう「空気」に押されてずるすると戦争に引きずりこまれたのだ。このような下からの現場主義で戦争が決まったため、議会はほとんど関与できず、大政翼賛会でさえ近衛文麿が失脚したあとは無力化した。 つまり日本の軍国主義は、ヒトラーのようなファシストが主権者としての議会を乗っ取ったのではなく、行政をコントロールする主権者を天皇という形骸化した君主にし、各行政機関をタコツボ的に細分化したため相互監視もきかず、軍が暴走してしまった行政国家の病なのだ。 今も行政を監視すべき国会はほとんど機能していないので、それを代行しているのはメディアだが、それは30年代のようにポピュリズムに走り、行政のゆがみを悪化させることが多い。当時のファシストに似ているのは安倍首相で
太平洋戦争末期、旧日本軍が特攻隊を編成し体当たり攻撃を始めてから70年。終戦までに6000人以上が特攻作戦で死亡したとされ、多くが20代の若者でした。特攻隊が初めて出撃したフィリピンでは、飛び立つ若者の姿を記憶にとどめ、戦争の悲惨さを語り継いでいる人たちがいます。 特攻隊の出撃拠点の1つだったルソン島中部の街、マバラカット。70年前の昭和19年10月25日、ここから飛び立った最初の特攻隊がアメリカ軍の空母などに突撃しました。 フェルナンド・サントスさん(82)は当時、海軍の航空部隊の司令部として接収されていた自宅で、出撃していく特攻隊員たちを目撃していました。出撃前夜、上官の指示を受けたあと、何かを唱えながら涙を流し、最後には大声で万歳を叫んでいたという若者たち。サントスさんは今もその姿が忘れられないといいます。 そうした記憶を戦争の悲惨な歴史として語り継いできた人もいます。当時14歳だっ
古書店で入手した『南京大虐殺の研究』(洞富雄・藤原彰・本多勝一編、晩聲社)に所収。江口氏の南京事件についての論考を読むのは初めて。 このエントリで紹介したNHKスペシャル「日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか〜」を観ていてちょっと不可解だったのは、軍中枢の「対支一撃論」を紹介する際に河辺虎四郎少将回想録が史料として用いられていたこと。というのも河辺虎四郎少将はいわゆる「不拡大派」の一人だったからだ。しかしこの論文を読んでかなり頭の中が整理できた。まず第一に、「拡大派」「不拡大派」といってもその違いはいわば程度の差に過ぎず、中国の抗戦意欲(および能力)を見くびっていた点や、華北に日本の勢力圏をつくり出そうとする目論見を持っていたことなどは共通していたからである。また、対中戦争の長期化を厭うからこそ、川辺虎四郎は「やる以上は南京をとる考でやらなくちゃならぬ」と主張し、戦力の逐次投入ではなくなんと1
5千点もの戦争資料が、東京都心の倉庫で眠ったままになっている。将来つくる平和祈念館のためにと、都が約15年前に市民から寄贈を募ったが、建設構想は頓挫。多くの提供者が、思い出の品を見ることも、見てもらうこともできぬまま、年齢を重ねている。 港区白金台。 都庭園美術館の敷地を進むと、1933(昭和8)年に建てられた旧朝香宮(あさかのみや)邸がある。その裏手、2階建ての倉庫の中で、資料は桐(きり)の箱に仕分けられ、保存されているという。 「金庫で焼け残った目覚まし時計」「無事を喜ぶ手紙」「機銃掃射を受けた時に着ていた胴衣」 絵画や日記、軍の内部資料とみられる文書なども含め、計5040点に上る。 きっかけは平和祈念館の建設構想だった。都は戦時中の資料提供を広く呼びかけ、97~00年度に281人から3492点の寄贈を受けた。さらに独自に1548点を購入した。 だが構想がつまずき、資料は行き場を失った
(声)「艦これ」ブーム 戦中派不安:朝日新聞デジタル まあ内容はともかく、名前が出てると検索したくなるものでして。 で、検索したらなんかこの人twitterはやるわブログはやるわでなかなかのデジタルな方らしく。 森嵜 武司 (ryukanayuri) on Twitter たけしさんのサイト 保育園を経営してるみたいですね。 小規模保育事業ふくろうの森学園 堺市 この人は度々朝日新聞に右傾化への危惧みたいのを投稿してる人なので (声)沖縄県知事の豹変に戸惑い:朝日新聞デジタル 朝日新聞デジタル:(声)オスプレイ本土飛行 歓迎? - オピニオン 艦これがどうこうって言うよりは戦争に少しでも関わるものは嫌だって思ってる人なんじゃないのかしらね。 艦これが戦争につながるかどうかはさておき。 朝日新聞のトンデモ読者投稿 (晋遊舎ムック)posted with amazlet at 14.05.24
早川タダノリ氏の『「愛国」の技法: 神国日本の愛のかたち』(青弓社)の、鹿児島市草牟田尋常小学校の副教材をとりあげた項の写真キャプションに、同書で「百人斬り」が「血わき、肉をどるやうな、ほがらかな話であります」と紹介されているとの指摘があった。なるほど鹿児島は野田少尉の地元、彼が「実は据えもの斬りだった」と明かす講演をしたのも鹿児島の(別の)小学校だったな、と思って、1938年刊の『軍国に咲いた花』を近代デジタルライブラリーで探したら、ありました。 中身は当時の東京日日新聞の記事を要約したものでとりたてて新情報はありませんが、やはり「その一人が鹿児島縣出身の野田毅中尉だから、ゆくわいになるぢやありませんか」と、地元の英雄を讃える書きぶりになっている。これが小学生向けの教材として使われていた時代からまだ75年ほどしかたっていない、ということを忘れないようにしたい。
いやまあ、政治的に信仰的に戦前日本を正当化したい人たちにとって、その信仰対象の問題点を指摘する歴史家らが用いている、というただそれだけの理由で、左派的とみなされ気に入らない根拠になっているであろうことはわかります。 ですが、「アジア太平洋戦争」という語は単純に主に戦争の行われた空間的範囲を示しただけで、語そのものに特に思想性はありませんよね。いわば言葉として極めて中立的だと思います。一方で「大東亜戦争」という語には大東亜共栄圏といった思想性がついてまわりますので、語そのものの中立性から言ってよろしくないという評価は妥当でしょう。 まあ、思想性を無視して、語の示す範囲だけの問題、つまり主戦場となった範囲との整合性だけを問うならば、「アジア太平洋戦争」でも「大東亜戦争」でも概ね同じといえるかもしれませんね。 「大東亜戦争」論者がよく使う「当時の正式名称」という主張ですが、それだと定義上、193
名古屋市の河村たかし市長は26日昼、安倍晋三首相の靖国神社参拝について「現職総理だから行かないかん。祖国のために命を落とすのは最高の美徳の一つ」と語った。戦争の肯定とも受け取れる発言で、河村氏は同日夕、「戦争は最悪の悲劇だ。『美徳』はちょっと文学的な表現。訂正してもいい」と釈明した。 河村氏は同日昼、記者団に「祖国のために命を落とした軍人に頭を下げるのは世界の常識。やっちゃいけないと(外国が)言うのは内政干渉だ」と述べ、首相の靖国参拝を擁護した。 自身も衆院議員当時に何度も参拝したとして、合祀(ごうし)されたA級戦犯を裁いた東京裁判を「支持しない」と強調。「靖国で会おうとみんな死んでいった」と語った。 ただ、戦死を「美徳」と表現したことについては、同日夕の朝日新聞の取材に「美化なんかできん。最悪のことですよ。だけど大変尊い。亡くなられた方にありがとうと言うことは非常に重要なことなんだ」と趣
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