法学方法論には、論理(ないしは論理学)を敵視するような議論もある。 しかし、「論理」の概念をどのくらい広く取るかにもよるが、「論理」の概念を十分に広くとれば、論理や論理学に反対する理由はよく分からない。現代論理学は、古典論理にこだわっているわけではなく、直観主義論理も認めるし、古典論理と直観主義論理の異同、性質などに基づいて、どちらの論理がどのような議論においてよりふさわしい論理か、という議論も論理学の範疇に含まれる。 排中立は必ずしも真ではない? よろしい、直観主義論理を使おう。 一つの理論から矛盾する命題がでることがある? よろしい、矛盾許容論理を使おう。 義務や権利、可能性や必然性の概念が必要? 様相論理だ。 種や型の概念が必要? 型論理。 こういう議論を続けている限り、どの論理を使うか、また「論理」の範疇をどこまで広げることができるか、という話でしかない。もちろん、論理が論理である