前回の本コラムでは、〈俗流アンビエント〉という概念の成り立ちを紹介し、そこから見えてくる音楽蒐集・聴取の新しい意識について考えてみました。〈俗流アンビエント〉というタームに限らず、第一回目で紹介したオブスキュアな90年代シティポップのような、かつては音楽評論的な価値を付与されてこなかった音楽が、逆転的にその魅力をあらわにしてくるという状況は、いまさまざまな愛好家たちによって可視化されつつあるものです。こうした状況というのは単に、旧来の〈ディガー〉的な嗜好を持つ一部マニアが新たな漁場を発見し、そこで戯れるさまがたまさかSNS上で観察されるようになった、ということによるものなのでしょうか。まあ、そういう要素も少なからずあるとは思うのですが、そうした個人の趣向性云々の地平へ簡単に回収できない、もっと大きな流れが用意した状況であるようにも思うのです。 ひとつには、前回も少し触れたとおり、ロック音楽
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