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はてなと点鬼簿に関するspectre_55のブックマーク (3)

  • 弟の相談を笑っていたら死にやがったw

    2年前、弟が自分のマンションの風呂場で死んだ。死亡診断書によると心筋梗塞だった。もともと心臓が弱かったらしい。 先月、父親の納骨に京都の墓にいった。弟の骨を入れた袋は、去年、納骨したばかりだったので、まだ、新しかった。 父親と弟は仲が悪かった。父親は飲んだくれで、昔、酔っぱらって自動車に轢かれたことがあった。警察から電話があってお宅の御主人が道で酔っぱらって道に倒れていますので救急車を呼んでおきましたと連絡があった。後日、近所のひとにきいたら、確かにその夜パトカーがその付近にとまっていたらしい。救急車が運んだ病院で父親は服を脱がされると、身体にはタイヤの跡がついていた。事故証明かなんかをもらおうと警察に連絡すると、その夜、だれも酔っぱらいを発見して救急車を呼んだ警官なんていないといわれた。そんなことがあれば必ず記録には残るそうだ。だれが父親を轢いたのかは謎のまま残った。 アル中気味の父親は

    弟の相談を笑っていたら死にやがったw
    spectre_55
    spectre_55 2009/07/21
    弟さんと父上のご冥福をお祈りいたします/神話的ですらある/それでも人生は続くッスよ…
  • 父親ウゼェとか思ってる全ての娘たちへ。

    10数年前に父を亡くした。私は19歳だった。 昔から父は病気がちなことを理由にあまり働かず、かわりに 死にものぐるいで母が働き、父の医療費と生活費を稼いでいた。 それでも私は月々のお小遣いをもらってはいたが微々たる額で 流行りの服も買えず、同級生と一緒に遊びに出かけても 小遣いの心配ばかりで少しも楽しめなかった。 いつも家にいる父のことを邪魔だと思ったし そんなことばも平気で口にしたこともあった。 当然母には怒られた。父は何も言わなかった。 やがて父は入院し母が泊まり込みで看病することもあった。 私はそれをいいことに彼氏を家に連れ込んだりもしていた。 それは秋のことだった。厳しい事制限のため 肉も抜かれほとんど味のない病院しかべさせてもらえない父が ふとマクドナルドのCMを見て、月見バーガーをべたいと言った。 母は仕事でいなかった。 いれば、きっと反対しただろう。 病院からマクドナ

    父親ウゼェとか思ってる全ての娘たちへ。
    spectre_55
    spectre_55 2008/02/29
    増田の父上がそういう人だったのは良い事には違いないし、増田が父上を懐かしむ思いはよくわかる//…が"全ての"父親がそうではないし、人はしばしば「愛」の名の元に酷い事をする、よ
  • 死をポケットに入れて。

    最初に言っておこう。 失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。 愛し合った分、憎み合うように。 すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。 父を亡くしたのは、14歳の時だ。 2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。 告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、 一時帰宅のときに、家族の卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。 今思うと、とても不思議な病気だと思う。 癌は自分が育つために、宿主もやがて殺してしまう。 部位的なその特徴から、喉頭癌の進行は早い。 正月の一時帰宅を終えて、 (なんとも日人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。) すぐに目に見えて容態は悪くなった。 口内炎のように見えていた癌は段々と増えて、私たちは怯えた。 皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっ

    死をポケットに入れて。
    spectre_55
    spectre_55 2008/02/25
    自分の中で激情が荒れ狂っているときほど、何かを書くと何故か妙にスタイリッシュな文になってしまうということはある気がする。そんな文章なのかも
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