座りションなんてオスとしてのキバを抜かれたようなものだと思っている。 立ちションは便器まわりを非常に汚す。気をつかってやっても汚す。半パンで立ちションするといかに自分にも跳ね返っているかが分かるだろう。 俺は座ってするようにした。尿の「ここは二手に別れよう」にも悩まされれず非常に快適だ。便器の外に飛ばさないように気を使わなくていいのがうれしい。 座れよ男!
せやな。つらいよな。 でも、俺は東大卒ニートやったで。「高学歴ニートになりたい」って、君もなれるんやで。 で、2年くらいやって悟ったから就活やってみて、その現実にぶちのめされたおかげで目が覚めたわ。 東大卒ドロップアウトのきついところは、上流でも下流においても異質な存在ってところなんやな。 上流では落ちこぼれとしてはねられ、下流では「東大卒?なぜ、こんなとこにいるんですか」ってなるやろ。一見、人生クソゲーに見えるわな。 下流サラリーマン社会で「てへっ」と笑ってダラダラやる方法もあるなぁと思ったが、結局俺は資格取ったわ。 「東大出」じゃなくて、その資格持ちとして扱われるしな。何かに時間を注ぎ込んで技能を獲得することやろね。 「私の学歴も何も知らない人達の中で働きたい」とかいう悩みもなくなるし。というかアイデンティティが学歴じゃなくて資格や仕事の方に移行するやろ。 まぁ、君は、自分が何が欲しい
大学生のころ、受講していた小熊英二先生の社会学系の授業で題目のような言葉を聞いた覚えがある。 確かに、その通りだと最近思う。社会人になると、出会いの機会も少なくなり、恋愛にも少し奥手というか、慎重になってしまう。積極的に会社の外や別のつながりを持とうと動かない限り、人間関係は広がらないし、選択肢も狭まってしまう。私のような人間のことだが、思っていたより、そういう人は多いらしい。 もちろん、現在はSNSや婚活系のサービス、企画や業者、様々なものがサポートしてくれるものの、それに満足している人は少ないのではないだろうか。 そうなると、やはり人は周りの人間から相手を探そうとする。その時に、どれだけ自分の周辺に、もしくは、自分の周辺の周辺に、より良い相手がいるか、という問題に直面する。これを考えた時、やはり小熊先生の言っていたことは正しくて、現状の日本では、まだまだ学歴重視の社会で、やはりより大学
宗教は大嫌いだけど、このたび信仰を持ってみる事にした。 理由は、まあ年を取ったという事なんだと思う。 別に今の生活に不満があるわけじゃない。 一人でアニメ見てゲームして趣味に没頭して美味しい物食べて、安定している人生だと思う。さほどストレスも受けていない。 でも何というか、虚しいというか。 今ストレスが無いのは人付き合いを放棄したというか、他人と距離を置いているからなんだけど、 本当は皆と仲良くしたいのに、集団の中にいるとどうしても自分を攻撃してくる人と遭遇してしまい、自分を応援してくれる人も特に居ないので孤立してる感が半端なく、攻撃に耐えられず離脱してしまったんだよね。 自分を悪く罵る人と仲良くしつつ、自分とも仲良くする人を信用できなかったというのもある。こいつにこやかに話しかけて来るけど裏で悪口言ってんだろう?的な。 あと、表面的な付き合いだけでちっとも仲良くなれなかった。一言でいうと
イギリスに住んでます。男です。1年くらい。 住んでて思ったイギリス人の行動の特徴について書きます。 基本的にあの人たちは他人をおもいやる心が強いなって思う。 それがたとえ知らない人でも。 たとえば、 ・狭い道で鉢合わせると道をこころよく譲ってくれる。"After you" ・道で鉢合わせて行く方向がかぶるシチュエーションの時に相手は必ず"Sorry"ってあやまってくる。 ・スーパーとかでカートを素早くハシによけてくれる。 ・ドアを開けたときは後ろを必ず確認。後ろに人がいれば、そのまま開けて待っててくれる。 ・他人でも目が合うと、スマイルを返す。 ・なにかあれば笑顔でありがとう(thanksとかcheers)たとえば、会計のときとか。バスから降りるときとか。 ・会計のときは必ず、コミュニケーションがある。"Hiとか""how are you?"とか"Are you alright?" ・信号
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