奈良県桜井市に建設を予定していたイオンが出店を断念しました。その意外な理由は「高額な発掘調査費」。実は建設予定地が弥生時代の大集落跡・大福遺跡にかかっており、その調査費用は事業者負担という決まりがあったのです。この報道を受け、無料メルマガ『古代史探求レポート』ではこの大福遺跡について詳述し、イオンにぜひ日本建国の謎を解き明かして欲しいと願っています。 ヤマトの征服に大きな戦はなかったのか ●イオンの桜井出店断念、発掘調査費18億円が壁 複雑遺構、前例ない広さ 今回は、大福遺跡にイオンを建設しようという話のようです。 大福遺跡は、古代史探求レポートでも既に紹介させていただきました。日本最古のお面が出土しているのですが、私はレポートの中で、お面ではなく仮面だったのではないかと問題提起させていただきました。 お面も仮面も、顔につけるものですが、仮面は顔を隠すためのものです。本人であることを知られ
歴代の天皇や皇族の陵墓の保全管理に伴う調査について宮内庁は28日、単独で実施してきた前例を転換し、新年度から陵墓のある自治体の教育委員会や考古学研究者に協力を要請する方針を示した。調査の成果は地元教委と共同で発表し、幅広く国民に伝える。 同庁は、歴代の天皇や皇后、皇太后などを埋葬した場所を「陵」、それ以外の皇族は「墓」として管理し、総数は898基に上る。研…
飛鳥時代に築かれた未知の古墳の一部の可能性がある巨大な石張りの掘割(濠=ほり)が出土した奈良県明日香村の小山田(こやまだ)遺跡で、厚さ3メートル以上の粘土層が見つかった。県立橿原考古学研究所(橿考研)が23日発表した。古墳の基盤部分にあたり、大規模な造成工事による巨大古墳だったことを裏付けるものという。 2014年の県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘調査で、北側斜面と底面に石英閃緑岩(せんりょくがん)を張り、南側斜面に榛原石(はいばらいし)と呼ばれる特殊な板石などを階段状に積み上げた掘割(長さ約48メートル)を確認。舒明(じょめい)天皇が最初に葬られた墓や大豪族・蘇我蝦夷(そがのえみし)の墓などの見方が出ている。 今回、掘割の西約11メートルを発掘。地下約3・5メートルで南北3・5メートル、東西3メートルにわたる黄褐色の粘土層を確認した。粘土層の上では、10~30センチ大の石英閃緑
我が国初めての中国風の都として建設され、現在も発掘調査が進められている藤原宮跡。その発掘の成果を一般に公開するための施設が、藤原宮跡資料室です。その藤原宮跡資料室の運営主体は、国立文化財機構・奈良文化財研究所。通称「奈文研」(なぶんけん)。 我が国屈指の考古学研究所が展示・解説する埋蔵文化財が無料で観覧できます。やさしくもあり、難しくもあり、タイムスリップはしませんが、知識欲は満たせます! 名前は“資料室”ですが展示は博物館と遜色ない質と量 写真:寺嶋 一馬 / 地図を見る 藤原宮跡資料室は、奈良文化財研究所都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)が、発掘調査や整備をおこなった調査・研究の成果のうち、「藤原宮と京」に関する成果を一般に公開しています。ちなみに正式名称は、奈良文化財研究所都城発掘調査部展示資料室「藤原宮跡資料室」といいます。 名前は“資料室”ですが展示は博物館と遜色なく、最新の発掘
「よろい人骨」 古墳人の半生は 3月15日 13時30分 群馬県渋川市で3年前に見つかった、今からおよそ1500年前の成人男性の骨。 よろいを身に着けた姿で噴火の火砕流に巻き込まれたことが分かり、大きな注目を集めました。 この古墳時代の「よろい人骨」。その後さまざまな調査が進み、男性の半生を探ることが可能になってきました。 どんな生い立ちで、どのような立場にあったのか。そしてその時代背景は。 古墳時代人のライフヒストリーを巡る最新の研究状況をまとめました。 (ネット報道部 高橋俊雄) 渡来系の有力者か 人骨は平成24年の11月、群馬県渋川市の金井東裏遺跡で見つかりました。 男性がよろいを身に着けたまま膝を地面につき、うつぶせの状態で倒れていたのです。 成人女性や乳幼児の人骨も見つかり、合わせて4人の骨が確認されました。 遺跡の10キロほど南西には榛名山があり、古墳時代の6世紀
京都府宇治市の「池山古墳」を初めて発掘調査したところ、中近世とみられる埋葬用の穴が見つかり、宇治市が17日発表した。 同市は「古墳時代の埋葬施設が見つからず古墳である可能性は低くなった。江戸時代まで墓地として使われ続けたとみられ、名称を『池山墳墓群』に変えることを考えたい」と話している。 発掘したのは住宅街の中にある丘で、埋葬施設に使われたとみられる河原石があったことや、丘の形から市は直径44メートルの円墳と推定、池山古墳という名もついていた。 埋葬用の穴は丘の中腹に十数基あり、主なものは1辺約1メートルの方形で深さは約0・6メートルだった。周辺からは江戸時代の瓦の破片が出土したほか、室町時代に作られたとみられる石仏もあった。 しかし、丘からは古墳時代の須恵器や埴輪の破片も少し出土したことから、古墳時代に小規模な埋葬用の穴があった可能性はあるという。
台地 古墳(円墳) 径37m 高1.5m [古]周溝 幅5~10m 深2m 区史-砧[中]学校古墳群四号墳(昭54.10.25)
群馬県渋川市で全国で初めて見つかった古墳時代のよろいを着た男性の骨について、土に覆われた頭の骨の周辺に男性のものとみられる鉄製のかぶとが埋もれていることが新たに分かりました。 専門家は「よろいとかぶとの両方を所有していたとなれば、この時代の地域の最有力者であった可能性が高い」と分析していて、群馬県教育委員会ではさらに調査を進めることにしています。 去年11月、群馬県渋川市の「金井東裏遺跡」で見つかった古墳時代の男性の骨は、鉄製のよろいを着たままだったことから、全国でも例の無い発見として注目されています。 頭の骨は顔の部分が土に覆われていて、群馬県教育委員会はことし9月から、世界でもトップクラスのCTスキャンの装置を使うなどして土の中の状況などを詳しく調べていました。 その結果、顔のすぐ下に、幅およそ20センチ、高さが15センチほどの男性のものとみられる鉄製のかぶとが土の中に埋もれていること
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