1935年7月9日、アルゼンチン北西部のトゥクマンで貧しい労働者の家庭に生まれる。15歳の時にラジオ局のコンテスト[1]に優勝して二ヶ月の出演契約を結ぶが、ディレクターがフォルクローレをバカにしたことに怒って喧嘩して帰ってきてしまった、というエピソードが知られている。その後、首都ブエノスアイレスに出て様々な職を転々としたのち、1960年代半ば、30歳頃に歌手として世に出る[2]。 1973年、作詞のフェリックス・ルナ、作曲のアリエル・ラミレスと組んで、アルゼンチン史上の8人の女性(7人のアルゼンチン人と1人のボリビア人)を歌ったアルバム「アルヘンティーナの女(Mujeres argentinas)」を発表、フォルクローレ史上に不朽の名を残す。しかしアルゼンチンが軍事独裁政権下にあった1970年代後半には、フランス、次いでスペインへの亡命を余儀なくされた[3]。 歌による社会変革を目指したヌ