自分の好きなブロガーやブックマーカーで、大抵いつも知的で冷静で的確な言及をするタイプの人が、ある一定の事象についてだけは自分の生っぽい感情やエゴをむき出しにする姿を目撃することがたまにある。 もちろんその中には自分と相容れない考え方もあるわけだけれど、そんなときワタシは決して相手を嫌いにはならない。むしろ「あー、この人も血の通った人間なんだよなぁ」と、ごく当たり前のことを思い出して、モニタの向こうにいるそのひとのことを少しだけ想う。 痛覚とは違う意味で使われる「痛さ」というものは、そんな「ついエゴむき出しになる」ポイントに潜んでいるのだろうが、それを「痛さ」と言うのなら、「痛さなくして何が人間だ」とも。