非は非と認める姿勢必要 「今でも目を閉じると、交渉という名の団体による集団陳情、事務所のカウンター越しに大声をあげてのやりとり、けが人や病人まで出る激しい抗議攻勢、いつ終わるとも知れない話し合い。現在の情勢からは考えられない状態だった。悪夢とさえ思われる混乱の時代だった…」 北九州市保護課の監修で平成8年に発行された『軌跡−北九州市・生活保護の三十年』は、全国社会福祉大会で厚生大臣表彰を受けた福祉一筋21年の課長の回想がプロローグになっている。 産炭地の筑豊地区を背後に抱えた北九州市は、昭和38年、5市合併で誕生した。石炭産業の斜陽化や集団陳情の激化、合併でバラバラだった福祉事務所運営などを背景に、昭和42年には、過去最高で全国最高の69・1パーミルの保護率(1000人中の生活保護受給者数)を記録した。 市はケースワーカーを増強、福祉事務所の指導監査にあたる指導課を新設し、厚生省から初代指
責任放棄か模範モデルか 北九州市小倉北区、小倉競輪の巨大な施設のすぐ近くに男性の家はあった。木造平屋建ての長屋は屋根の半分近くが崩れ落ち、壁には台風の時に拾ってきたというトタンが打ち付けられている。玄関扉の窓ガラスも一部がない。奥をのぞくと、ぼろぼろの畳や家具、さび付いた冷蔵庫などが乱雑に散らばっていた。男性=当時(52)=の遺体が見つかってから、1カ月近くがたっても、家の奥からはかすかな腐臭が漂っていた。荒れ果てた家の状態は、男性がここで暮らしていたころから、ほとんど変わっていないという。 「余程食うもんがなかったんやね。日記に『おにぎり食いたい』と書いてあった。通帳の残高も46円しかなかった…」。孤独死の現場検証にあたった福岡県警の鑑識係員が雨宿りのために借りた近所の民家の軒先で思わずそう漏らした。その内容が、男性の友人を通じて新聞社に伝えられ、「孤独死」は生活保護行政のあり方を問う「
かつて日本の武士たちは何日も飲まず食わずの状態でいても、人前ではついさっき食事をしたかのように振る舞うことが美徳とされた。それは今でも「武士は食わねど高ようじ」という言葉に残っている。幕末に海軍のトップに当たる軍艦奉行を務めた勝海舟は、武士だった父親が貧しかったため、幼いころは物ごいをしなければならなかった。その勝が通りで犬にかまれ、手術を受けることになった際、父親は「泣けば、武士として名が廃る。泣いたらお前を斬る」とし、刀を振りかざしたという。 日本のこじきはめったなことでは通行人にせがんだりしない。日本社会には「長生きすれば恥も多い」といった、物ごいを恥とする認識が強いためだ。彼らは街中の修行者のごとく、他人の捨てた新聞やマンガなどを拾い集めて読んでいたかと思えば、人目のつかない時間に店先のゴミ箱から賞味期限の過ぎた弁当をあさるといった生活を送っている。ある韓国人の留学生が日本でこう
2005年1月、北九州市八幡東区の男性=当時(68)=が生活保護を2度申請しながら受給に至らず、自宅で孤独死。 06年5月には、栄養不足で衰弱した同市門司区の男性=同(56)=が2度にわたり区役所で生活保護の相談をしたが「(別居の)家族に相談してほしい」などと応じてもらえず、孤独死しているのが見つかった。 07年2月に初当選した北橋健治市長は5月、この2件の問題を含めて市の生活保護行政を検証するため、学識者らでつくる第三者委員会を発足させたが、7月に同市小倉北区の男性=同(52)=が生活保護を辞退後に孤独死したのが見つかり、同委が併せて検証することになった。 「闇の北九州方式」指弾 第三者委中間報告 市に改善迫る 保護費抑制「水際作戦」 孤独死3件対応不適切 (2007年10月2日掲載) 孤独死が相次いだ北九州市の生活保護行政を検証する第三者委員会(委員長=稲垣忠・北九州市立大特任教
湯浅です。 餓死事件を起こした後も反省の色が見られない北九州市を刑事告発することが決まりましたので、お知らせします(併せて8月26日の東京集会も。水際作戦の録音テープなど流します)。 告発は、8月24日午後1時、福岡地検小倉支所です。 また、午後1時半には北九州と東京で同時に記者会見を行います。 詳細は、以下の通りです。 よろしくお願いします。 ***** 2007年8月20日 マスコミ関係者 各位 生活保護問題対策全国会議 事務局長 弁護士 小久保 哲 郎 〒530-0047大阪市北区西天満3丁目14番16号 西天満パークビル3号館7階 あかり法律事務所 電話 06-6363-3310 FAX 06-6363-3320 拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 私たちは、違法な生活保護行政のあり方をただすことなどを目的として、本年6月3日に設立された、弁護士・司法書士・学者
北九州市で生活保護の「辞退届」を提出し保護が打ち切られた男性(52)が餓死状態で発見された問題で「生活保護問題対策全国会議」幹事会のメンバーが十五日、男性が住んでいた家の前で献花したあと住民と懇談し、実態を聞き取りました。 弁護士、司法書士、研究者など二十人が各地からかけつけました。 亡くなった男性は「おにぎりが食べたい」「働けないのに働けといわれた」と日記に書き残していました。懇談で、亡くなった男性と三十年の友人だという男性(53)は「生活保護をもらえるようになったとほかの友人から聞いて、これで安心できるなと思った」「保護が切られているとは知らなかった」と悔しさをにじませました。 近所の住民は、男性がやせ細っていく状況を示し「四月ごろからやせてきて働ける状態でなかった」「道路ぎわに生えているニラを切って食材にしていた」と証言しました。友人は「(料理には)卓上コンロを使っていた」と語りまし
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