“「高い授業料を払って学校にかよって何が身につくんでしょうか?」 返事:授業料は,単に設備や授業のお金であって、君が「何を得られるか」とはまったく関係ないよ。君がコンビニでセロテープを百円で売ったとする。客に「このセロテープで何が出来るんですか?」と言われても困るよね?そういうトンチンカンな客には「自分で考えてください。なにか使いたくて百円払ったんでしょ?」と答えるのが正しい。この場合も同じだよ。” - ま、金ならあるし その161 - 岡田斗司夫公式ブログ (via ishizue)
“「高い授業料を払って学校にかよって何が身につくんでしょうか?」 返事:授業料は,単に設備や授業のお金であって、君が「何を得られるか」とはまったく関係ないよ。君がコンビニでセロテープを百円で売ったとする。客に「このセロテープで何が出来るんですか?」と言われても困るよね?そういうトンチンカンな客には「自分で考えてください。なにか使いたくて百円払ったんでしょ?」と答えるのが正しい。この場合も同じだよ。” - ま、金ならあるし その161 - 岡田斗司夫公式ブログ (via ishizue)
小学校の計算問題で「0÷0=」という問題が出て、(その教師の用意していた)答えが「0」だったらしく、その生徒の親に高校の数学教師が居て、「こんなの不定に決まってるだろ」と猛烈に抗議をしたが、その小学校の教師にはその意味が理解できなかった。それで仕方なく校長のところに話を持っていき、なんとか決着がついた。 まあ、それ自体は昔からよくある話なのだが、何故、いまだに小学校で「0÷0」を計算問題として出してしまう小学校の教師が後を絶たないのだろうか。 その理由を簡単に説明する。 私も高校数学の教免(一種)を持っているのだが、まず、「0÷0=」なんて学校で習ったことがない。 小学校のときの計算問題でそんな問題を出されたことは一度もない。要するに知らない。考えたこともない。 しかし、小学校では割り算を掛け算の逆操作として定義していて、 2 × 3 = 6 のような掛け算から、 6÷3=2 を導く。 こ
乙武洋匡 @h_ototake 1.僕が勤務していた小学校は、運動会の日は子どもたちも家族と一緒に校庭で弁当を食べていた。でも、学校によっては運動会の日も給食を出し、子どもたちを教室に入れてしまうところも。親たちは、子どものいなくなった校庭でさみしく弁当を食べるか、なかには一度家に帰って、また出直してくる人も。 乙武洋匡 @h_ototake 2.子どもたちを教室に入れてしまう理由は、「親が来れない子が傷つくから」。あとは、「弁当格差によって、パン1枚しか持たされない子が傷つくから」。僕は前から言っているように、何でも傷つけないようにビニールハウスで囲い、温室栽培をすることが教育ではないと思っている。 乙武洋匡 @h_ototake 3.それぞれの資質や能力、容姿や家庭環境は生まれもったもので、その前提を変えることはなかなか難しい。その「違い」を感じさせないよう、いくら学校が配慮しても、ビ
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