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戦争に関するtweakkのブックマーク (89)

  • 僕は、戦争を知らない - カメントツのブログ

    2016 - 01 - 07 僕は、戦争を知らない こんにちはカメントツです。 今回は、諸事情で原稿にならなかった「ネーム」を公開します。 なぜ原稿にならなかったかと言いますと企画が立ち上がりが2015年の終戦70年に「何か戦争に関わる企画ってできませんか?」と某出版社の方からお話があり 「でしたら戦争を体験をした人の話を聞いて漫画にするプロジェクトを立ち上げたいのですが、どうでしょう?」という提案と一緒に以下のネームを添付したのですが色々と折り合いがつかず企画が頓挫してしまいました。 もともと書籍のプロローグとして使うエピソードだったのですが、このまま眠らせておくのももったいないと思い思い切って公開します。 ほぼ1年前のネームなので読みにくい箇所恥ずかしい箇所多々ありますが…よければどうぞ! ↑追記:後に調べたところ焼夷弾って絵のような長いものではないそうです。 何か、昔見たの映画で槍の

    僕は、戦争を知らない - カメントツのブログ
  • 追悼 戦争で片腕を失った水木しげる先生が描いた「従軍慰安婦」。 - Everyone says I love you !

    中国侵略の途上、日軍のある部隊が山村にいた若い美女・姑娘を発見、捕虜とする。だが姑娘と出会ってしまったことで、分隊長と上等兵の運命は予想もしなかった方向へと向かい出す(表題作)。その他、戦艦大和艦長・有賀幸作の苦悩を描いた「海の男」など4作品を収録。戦争を体験した著者が描く戦争の悲劇。 関連記事 日軍「従軍慰安婦」制度に対する誤解を解き、問題点をわかりやすく解説する ほか 「従軍慰安婦」=戦時性奴隷シリーズ。 参考記事 追悼・水木しげるさん 「妖怪が身近にいた時代のほうが幸せだったと思う」 巨星、水木しげる逝く。 物心ついた時から、水木先生の「ゲゲゲの鬼太郎」があり、「悪魔くん」があり、「河童の三平」があり。 5年前、大病で苦しんでいた時、朝のテレビ連続小説「ゲゲゲの女房」にどんなに癒されたことか。 もう、自身の戦争体験から漫画を描いてくださる方はいなくなりました。 心からご冥福をお祈

    追悼 戦争で片腕を失った水木しげる先生が描いた「従軍慰安婦」。 - Everyone says I love you !
  • 敗戦から70年・日独間の安全保障論議の違い

    今から70年前の夏、日ドイツはともに第二次世界大戦に破れ、主要な都市は連合軍の爆撃によって焦土と化していた。どちらの国も、勤勉さと物づくりに強い土壌を生かして奇跡的な経済復興を果たし、世界経済の中で重要な役割を演じる大国となった。 だが、敗戦から70年目の今年、2つの国が置かれた政治的な状況は大きく異なる。ドイツは欧州連合(EU)の中で事実上のリーダーだ。債務危機で意見の対立が尖鋭化したギリシャを除けば、ドイツは第二次世界大戦でナチス・ドイツが被害を与えた国から、一定の信頼を回復することに成功した。ウクライナ危機をきっかけに、ロシアとEUとの間の関係が悪化する中、ドイツに対してはバルト三国やポーランドから安全保障の面でも現在より大きな役割を果たすよう期待が寄せられている。

    敗戦から70年・日独間の安全保障論議の違い
  • Nagasaki | All media content | DW.COM | 09.08.2015

  • 一番大切なものが欠落していた戦後70年談話: 極東ブログ

    予定通り、昨日の14日、安倍晋三首相は戦後70年の談話を発表した(参照)。私も定刻にNHKを付けてみたら、おじゃる丸がやっていていた。首相の代わりにおじゃる丸とは、ああ、日も平和になったものだな、と思った。が、気がついたが、NHKといってもいつも私が見ているそのチャネルだけではなかった。 同時刻ツイッターを覗くと他局でもCMを挟んでやっていたらしい。なかには、センター試験の論述問題よろしくキーワードのチェック項目も掲載していたところがあったようだ。ご冗談でしょう? 戦後70年談話について、安倍首相を攻撃できる部分があるかとワクテカして聞いている人たちもいたようだった。しかし、突発事態でもなければそんなネタが出るはずもないのは、すでに有識者会議「日の役割を構想するための有識者懇談会」の報告書(参照)が出ていて、首相談話もこれに逸脱することがないことからもわかるはずだ。というか、この報告書

    tweakk
    tweakk 2015/08/15
    日ソ共同宣言は平和条約ではなかったんだな。それにしても今それをやるメリットとタイミングはあるのかという問題。
  • 【戦後70年談話】首相談話全文(1/8ページ)

    戦後70年の安倍首相談話の全文は以下のとおり。 ◇ 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強

    【戦後70年談話】首相談話全文(1/8ページ)
  • NHK NEWS WEB 「受忍論」 新資料が語る国の方針

    「受忍論」 新資料が語る国の方針 8月12日 19時14分 太平洋戦争の末期、アメリカ軍の空襲によって日の各地が大きな被害を受けました。このうち原爆によって被害を受けた人には一部医療の面などで国の援護がありますが、東京大空襲など原爆以外の空襲の被害者には国による救済はありません。 どうしてこうした違いが出たのでしょうか。その鍵となる新たな資料が見つかりました。その資料とは、昭和54年から非公開で開かれた国の懇談会の議論を記録した文書です。ここでの議論がその後の戦後補償に大きな影響を与えたと言われています。 広島放送局の中村友聡記者が取材しました。 救済ない空襲被害者 大阪・堺市に住む安野輝子さん(76)は、6歳のとき鹿児島県で空襲に遭い左足を失いました。 空襲による被害を救済してほしいと国家補償を求め、平成20年に訴えを起こしましたが退けられました。控訴・上告したものの訴えは認められ

    NHK NEWS WEB 「受忍論」 新資料が語る国の方針
  • Anniversary of Hiroshima and Nagasaki Revives Debate Over the Atomic Bomb (Published 2015)

    On Sept. 8, 1945, about a month after the first atomic bomb ever used in warfare was dropped by the United States, an Allied correspondent stood in the rubble in front of the shell of a building that was once an exhibition center and government office in Hiroshima, Japan.Credit...Stanley Troutman/Associated Press Did the United States have to drop the bomb? Thousands of New York Times readers have

    Anniversary of Hiroshima and Nagasaki Revives Debate Over the Atomic Bomb (Published 2015)
  • 【海外の反応】 パンドラの憂鬱 海外「米国史上最悪の過ち」 NYT紙『原爆投下は本当に必要だったのか?』

    70年前の今日、長崎に投下された原子爆弾。 当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人の方が命を落とされ、 建物の約36%が全焼又は全半壊という、甚大な被害をもたらしました。 先月マーケティングリサーチ会社「YouGov」が発表した調査結果によると、 広島と長崎への原爆投下を『正しかった』と回答した人は全体の45%で、 『間違っていた』と回答した人は29%だったそうです。 しかし、18~29歳の若年層の45%が『間違っていた』と回答し(『正しかった』は41%)、 30~44歳の中年層でも36%が『間違っていた』と回答するなど(『正しかった』は33%)、 中年層以下では原爆投下に対する意識が徐々に変わりつつあるようです。 ニューヨーク・タイムス紙は今週フェイスブック上にて、 「広島と長崎への原爆投下は当に必要だったと思いますか」というアンケートを実施。 多くの意見が寄せられていま

    【海外の反応】 パンドラの憂鬱 海外「米国史上最悪の過ち」 NYT紙『原爆投下は本当に必要だったのか?』
  • 理由はどうであれやっぱり一般市民40万人皆殺しって原爆は畜生の所業だと思うんだよナァー - 拝徳

    僕は学生時代、広島で育ったのですが、土地柄やはり平和に関する教育というのは多かった気がします。 今でも覚えているのですが、小学生の時に原爆の体験談を聞いて作文を書けというのがあって、周りが揃って原爆は絶対許せないみたいなのを書いてる中、天邪鬼っ気が働いて、原爆が落とされるのは戦争だったし仕方ない面もあったかと思う。ただ、戦争を早期に終わらせる威嚇目的ならわざわざ街のど真ん中に落とさんでも東京湾とか、人がおらんとこに落として威嚇してもええんとちゃうんか? 他の方法あったやろ。 みたいなことを書いて提出したら、職員室に呼び出されて烈火のごとく激怒されたことがある。 まぁ広島とは言え、別に広島生まれではなかったからね。親族が死んだとかもなかったしさ。小学生の理解できる歴史観には限界があるよね。 でも今世界情勢や社会の歴史についてある程度理解ができる立場にたって振り返ってみると、やっぱ原爆は極悪す

    理由はどうであれやっぱり一般市民40万人皆殺しって原爆は畜生の所業だと思うんだよナァー - 拝徳
    tweakk
    tweakk 2015/08/09
    畜生に失礼
  • 原爆投下は必要だったのか

    毎年この日になると、広島で「反核集会」が行なわれ、原爆が「人類の悲劇」として語られるが、これはごまかしだ。それは人類の問題ではなく、原爆を投下したアメリカのトルーマン大統領の決定であり、ロシアも指摘するように、民間人に対する無差別爆撃は国際法違反である。 トルーマンは『回想録』で「7月26日にポツダム宣言を出したのは、日人を完全な破壊から救うためだった。彼らの指導者はこの最後通牒をただちに拒否した」と、日が宣言を受諾していれば原爆は投下されなかったかのように書いているが、書も指摘するようにこれは嘘である。 原爆投下はスティムソン陸軍長官によって7月25日に決定され、大統領に承認された。これはポツダム宣言の発表される前であり、会談でも議論にならなかった。逆に、ポツダム宣言は原爆投下(飛行計画は8月上旬と決まっていた)を正当化するために、急いで出されたのだ。 ポツダム宣言に対して日政府

    原爆投下は必要だったのか
  • 林弥一郎の史跡探訪

  • 中曽根康弘元首相、アジアとの戦争は「侵略だった」

    中曽根康弘元首相が、7日発売の月刊誌「文藝春秋」に寄稿し、先の大戦について「アジアの国々に対しては、侵略戦争だったと言われても仕方ないものがあったといえる」と明言した。 Former Japanese Prime Minister Yasuhiro Nakasone delivers a speech during the annual meeting on Japan's constitution reform in Tokyo Friday, May 1, 2015. Japan's conservative ruling party, led by Prime Minister Shinzo Abe, is gearing up for a new push to achieve its long-sought goal of revising the country's U.S.-

    中曽根康弘元首相、アジアとの戦争は「侵略だった」
  • 【戦後70年】原爆投下はどう報じられたか 1945年8月7日はこんな日だった

    十六時間前、米国航空機一機が日陸軍の重要基地である広島に爆弾一発を投下した。その爆弾は、TNT火薬二万トン以上の威力をもつものであった。それは戦争史上これまでに使用された爆弾のなかでも最も大型である、英国のグランド・スラムの爆発力の二千倍を超えるものであった。 日は、パールハーバーで空から戦争を開始した。そして彼らは何倍もの報復をこうむった。にもかかわらず、決着はついていない。この爆弾によって、今やわれわれは新たな革命的破壊力を加え、わが軍隊の戦力をさらにいっそう増強した。同じタイプの爆弾が今生産されており、もっとはるかに強力なものも開発されつつある。 それは原子爆弾である。宇宙に存在する基的な力を利用したものである。太陽のエネルギー源になっている力が、極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれたのである。 (中略)七月二十六日付最後通告がポツダムで出されたのは、全面的破滅から日

    【戦後70年】原爆投下はどう報じられたか 1945年8月7日はこんな日だった
  • 「ヒトラー政権下でナチス・ドイツの市民として過ごしたけど、何か聞きたいことはある?」95歳の女性が質問に答える : らばQ

    「ヒトラー政権下でナチス・ドイツの市民として過ごしたけど、何か聞きたいことはある?」95歳の女性が質問に答える 第二次世界大戦をリアルタイムで知る世代も少なくなってきました。 ヒトラー率いるナチス政権下のドイツで、市民として当時を過ごしたという95歳の老齢の女性が、孫の力を借りて海外掲示板で質問を受け付けていました。 興味深いQ&Aをご覧ください。 95歳の祖母に、ナチスの市民として過ごしたのはどういうことだったのか、どんな状況だったのかを、掲示板を通して質問を受け付け、回答してもらったそうです。 女性は1920年に生まれ、戦時中(1939年〜1945年)はオーナーのとその兄弟がユダヤ人のハーフという会社に勤めていました。村で収容されなかったユダヤ人は彼らだけだったそうです。 会社が兵士の制服などを作っていたため、戦争にとても重要だったからとのことです。 当時の彼女の写真。 現在の彼女と

    「ヒトラー政権下でナチス・ドイツの市民として過ごしたけど、何か聞きたいことはある?」95歳の女性が質問に答える : らばQ
  • お年寄りの方が、リアルな戦争を知らない - 『本当の戦争の話をしよう』著者・伊勢崎賢治さん(3):日経ビジネスオンライン

    崎谷 実穂 ライター/編集者 北海道札幌市生まれ。人材ベンチャーでコピーライティングを経験後、広告制作会社で新聞広告を担当、100名近くの著名人などに取材。2012年に独立。ビジネス系の記事、書籍のライティング・編集を中心に活動。 この著者の記事を見る

    お年寄りの方が、リアルな戦争を知らない - 『本当の戦争の話をしよう』著者・伊勢崎賢治さん(3):日経ビジネスオンライン
  • 映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』監督・綿井健陽さんインタビュー|読み物|通販生活®

    tweakk
    tweakk 2015/02/12
    「現地の人たちは失望感のほうが大きかったようです。彼らとしては、自衛隊のあとに日本の企業がやってきて、自分たちの街を発展させてくれることを期待していた」
  • 【Interview】ドキュメンタリストの眼⑪ 『イラク・チグリスに浮かぶ平和』綿井健陽監督 インタビュー text 金子遊 - neoneo web

    【Interview】ドキュメンタリストの眼⑪ 『イラク・チグリスに浮かぶ平和』綿井健陽監督 インタビュー text 金子遊 « Previous 綿井健陽さんといえば、2003年のイラク戦争時にバグダッドから中継を続けたジャーナリストとして知られている。この度、綿井さんの2目のドキュメンタリー映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』が公開された。2005年に発表した『リトルバーズ イラク戦火の家族たち』の映像を引きつぎながら、アメリカによる大義なきイラク戦争後に混迷を深めていくイラク情勢を、戦争被害者である庶民たち、特にアリ・サクバンさんの家族の目線から撮った良作である。足かけ10年の追跡取材を終えて、作品を公開した綿井さんにインタビューを試みた。(写真・聞き手=金子遊) フリージャーナリストになる ——読者が興味を持つと思うので、綿井さんがフリージャーナリストになるまでの経緯を、簡単にお

    【Interview】ドキュメンタリストの眼⑪ 『イラク・チグリスに浮かぶ平和』綿井健陽監督 インタビュー text 金子遊 - neoneo web
  • 史実の「村岡花子と宮崎龍介」(「花子とアン」に描かれていないもの)

    中島岳志 @nakajima1975 東京科学大学(旧東京工業大学)リベラルアーツ研究教育院/環境社会理工学院・社会人間科学コース教授。現代日政治や日思想史、インド政治などを研究しています。 nakajimalab.studio.site 中島岳志 @nakajima1975 1930年代以降の村岡花子の文章を「発掘」していると、やはり強烈な発言がどんどん出てきます。『婦人新聞』1941年9月21日号に寄せた文章では、「大日婦人会」の活動に対して強く「協同一致」を求め、「自我を滅した御奉公であるやう」求めています。 2014-08-03 16:40:36 中島岳志 @nakajima1975 1938年1月1日の『婦人新聞』誌上に掲載された座談会「事変下に於ける子供の導き方」で、村岡花子は「戦争は国家の意思」であり、「個人的心理的な観方」を滅却せよと訴えています。同時代のナチスに対し

    史実の「村岡花子と宮崎龍介」(「花子とアン」に描かれていないもの)
  • ドイツも騙された慰安婦報道の虚偽 朝日新聞の大誤報が日本人に与えた屈辱と悲しみ | JBpress (ジェイビープレス)

    朝日新聞のしてきたことや、その姿勢について、私が今、ここで繰り返すことはしない。それは、すでに多くの人が熟知していることであろうし、もし、自分の知識が足りないので、もっとちゃんと知りたいと思う人は、氏のこの稿を読めばよい。 母国の新聞がもたらした海外生活での孤立感 韓国・ソウルの日大使館前で、被害女性を象徴する韓国少女像を囲む元慰安婦の女性たち(2011年12月14日撮影)。©AFP/JUNG YEON-JE〔AFPBB News〕 なぜに私がこれほど心打たれたかというと、氏が、外国に住まわれて、この問題と戦っておられたことと関係がある。慰安婦問題が、外国に暮らす日人にとって、どれほどの苦難をもたらしたかは、おそらく日にいる人たちには分からないのではないか。 今までこのせいで、いかに悔しい思いをしたか、いかに悲しい思いをしたか、氏の叫び声が聞こえるような文章を目にして、それが今さらな

    ドイツも騙された慰安婦報道の虚偽 朝日新聞の大誤報が日本人に与えた屈辱と悲しみ | JBpress (ジェイビープレス)