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徐京植に関するunyounyoのブックマーク (4)

  • 和解という名の暴力 ─ 朴裕河『和解のために』批判(徐京植) - 東アジアの永遠平和のために

    徐京植さんと高文研のご厚意により、『植民地主義の暴力』(徐京植著、高文研、2010年)に所蔵された論考「和解という名の暴力」を公開する許可をいただきました。誠にありがとうございます。 ■目次 「国民主義」とは何か 植民地責任論 「道義的責任」というレトリック 「記憶のエスカレーション」 和解のために? 「和解という名の暴力」──その流通と消費 一枚の絵から何が読み取れるか 和解という名の暴力──朴裕河『和解のために』批判 他人の歯や眼を傷つけながら、報復に反対し、寛容を主張する、そういう人間には絶対に近づくな。──魯迅「死」 「国民主義」とは何か 稿では、いわゆる「先進国」のマジョリティが広く共有する「国民主義」が、いわば「国境を越えた共犯関係」を形成することによって、旧植民地宗主国の「植民地支配責任」を問題にしようとする全世界的な潮流に対する抵抗線を形成しているという状況について述べる

  • 通俗的な、サルトル(笑) - 猿虎日記

    徐京植『秤にかけてはならない──日朝問題を考える座標軸』(影書房、2003年)に、内田樹氏のサルトル批判に対する徐氏の反批判がある、ということをrom_emonさんに教えてもらった。というわけでamazonで購入し、とりあえず該当箇所だけ読んでみた(他のところはあまりまだ読んでいない)。 徐──だから、多くの日の人々はやはり必勝不敗です。その一番典型的なのは内田樹氏です。彼は、最初から自分は負けているのだと頭をかいているけれども絶対に負けないのです(笑)。これほど退嬰した言説がもてはやされる日社会とは何なのかと思います。(……) 徐──そうですね、内田氏のことであまり時間を取らないほうがいいと思うけれども、やはり典型的に表れているのが、『ためらいの倫理学』(冬弓舎)のなかでの彼のサルトル批判です。「サルトルは、周囲のフランス知識人に先立って第三世界の被抑圧民族に謝罪することによって

    通俗的な、サルトル(笑) - 猿虎日記
    unyounyo
    unyounyo 2014/02/05
    樹現象ね。
  • http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/essays/suh.htm

    変わらない日:在日朝鮮人から見た日の丸・君が代法制化問題 徐京植(ソ・キョンシク) 「いいたいことは随分あるけれども「日支親善」のもっと進んだ日を待たなければならない。遠からず支那では排日すなわち国賊、というのは共産党が排日のスロガンを利用して支那を滅亡させるのだといって、あらゆる処の断頭台上にも×××を仄して見せるほどの親善になるだろうが、しかしこうなってもまだ当の心の見える時ではない。」 ここに引いたのは魯迅の文章「私は人をだましたい」からの数行である。もともと日語で書かれたもので、雑誌『改造』の一九三六年四月号に掲載された。×××は日側の検閲による伏せ字であるが、中国語訳では「太陽的円圏」が当てられている。すなわち「日の丸」である。親日傀儡権力を押し立てた日中国侵略がますます激化していくだろう、そして、そうなっても支配者には決して中国民衆の心は決して見えないだろう

    unyounyo
    unyounyo 2013/03/24
    嫌いだけど積極的に反対するモチベーションがない。某国営放送のエンディングもウザい。
  • 母を辱めるな

    【寄稿】 母を辱めるな 徐京植 彼は侮られ、人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔を覆って忌み嫌われるもののように彼は侮られた。我々も彼を尊ばなかった。誠に彼は我々の病を負い、我々の悲しみを担った。しかるに我々は思った。彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は我々の咎のために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。彼は自ら懲らしめを受けて我々に平安を与え、その打たれた傷により我々は癒されたのだ。(略)彼は暴虐な裁きによって取り去られた。その世の人のうち誰が思ったであろうか。彼はわが民の咎(とがめ)のために打たれて、生けるものの地から絶たれたのだと。―「イザヤ書」53章 私の母がこの世を去る時、息子(私にとっては兄)が二人、政治犯として韓国の監獄に囚われていた。独裁者の死によってかすかに芽生えた釈放の期待は、別の独裁者の登場によって摘み取られた。光州に戒厳軍

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