<概要> 最近では、輸血する血液を放射線照射することが多い。これは、輸血する血液(graft) 製剤に含まれる供血者の白血球のひとつであるリンパ球が、患者組織中で生着、増殖し、患者組織(host)を攻撃、破壊するのを防止するためである。この病気を輸血後移植片対宿主病(PT-GVHD)と呼ぶが、有効な治療法はなく、一度発症するとほぼ95%以上死亡する。この病気に対する予防対策として輸血血液製剤への事前の放射線照射が有用な予防法として知られており、1996年日本輸血学会より放射線照射のガイドラインが示され、日本赤十字社や各医療機関において照射血供給体制が整っている。 1993年−1999年の間に発生した輸血後GVHD症例として61件が確定されているが、1981年−1986年当時にくらべ減少している。 <更新年月> 2005年02月 <本文> 1. 輸血後GVHDとは 輸血後1−2週間後に発熱と
<概要> 再処理の工程において発生する放射性廃液は、主に抽出の第1プロセスから発生する廃液を高レベル廃液、抽出の各プロセスから発生する酸性廃液とアルカリ廃液を中レベル廃液、さらに中レベル廃液の処理済み液、除染廃液、分析廃液、洗濯廃液などの廃液を低レベル廃液として分別している。中・低レベル廃液の処理には蒸発処理法、凝集沈澱法、イオン交換法及びこれらの処理法を組合せた方法が採用されている。これらの処理により十分に放射性物質が除去された処理済み液は環境に放出され、一方、廃液から回収された放射性物質を含む二次廃棄物は、セメント固化等が行われている。 1970年代に入り放射能の環境放出について、ALARA(As Low As Reasonably Achievable;合理的に達成できる範囲でできるだけ少なく)の原則が唱導された。このため再処理施設によっては、初期の廃液処理の設計を大幅に変更している
<概要> 将来のエネルギー源として計画が進められている核融合(炉)にかかわる環境・生物影響、とくにトリチウムの人体への影響が注目される。トリチウムはトリチウム水(HTO)の形で環境に放出され人体にはきわめて吸収されやすい。また、有機結合型トリチウム(OBT)はトリチウムとは異なった挙動をとることが知られている。動物実験で造血組織を中心に障害を生ずることが明らかにされ、ヒトが長期間摂取した重大事故も発生している。 <更新年月> 2000年03月 (本データは原則として更新対象外とします。) <本文> トリチウムは水素の同位体で、最大エネルギー18.6keVで平均エネルギー5.7keVという非常に低いエネルギーのβ線を放出し物理的半減期は12年である。大気上層中で宇宙線中の中性子と窒素原子核との衝突によって生成する天然トリチウムが自然界の水循環系に取り組まれているとともに、核実験や原子力施
<概要> 1987年9月、ブラジル国ゴイアニア市で、廃院となった放射線治療医院からセシウム137線源が持ち出されて廃品回収業者の作業場で解体され、セシウム137による広範な環境放射能汚染と多数の人々の被ばくが生じた。汚染された者の数は249人(同年12月まで)、被ばく線量は0.5Gy以上約70人、1Gy以上21人、4Gy以上8人であり、死者は4人であった。 <更新年月> 2000年03月 (本データは原則として更新対象外とします。) <本文> 1.背景と経緯 ゴイアニア市(Goiania)はブラジルの首都ブラジリアから南西約250km離れたゴイアス州にあり、人口約100万人の農畜産物集積(大豆、牛肉など)都市である。1987年9月、この市の廃院となった民間放射線治療クリニックの建物( 図1 )の中の放射線治療装置からセシウム137の入った回転照射体が、取り外して持ち出され、市内にある廃
<概要> 旧ユーゴスラビア連邦は、スロベニアの首都リュブリャナの東方90km、隣国クロアチアの国境近くのサバ川沿いに位置するクルスコ原子力発電所(WH社製 PWR、64万kW)の営業運転を1983年1月に開始した。ユーゴスラビア連邦は、民族紛争のため1990年1月に多くの共和国に分裂した。そのため、発電所の帰属をめぐり、スロベニア・クロアチア両国間で争われたが、2010年12月に発電所は両共和国の共同所有体制(50%:50%)とし、発電電力量も双方で半分ずつ供給することが合意された。 電力需要が高まるにつれ、クルスコ原子力発電所の出力増強や寿命延長計画が実施され、2001年には蒸気発生器を交換し、電気出力は66.4万kWから70.7万kWに増加。また、設計寿命も延長され、2023年までの営業運転が可能になっている。 使用済燃料は発電所内で中間貯蔵する方針であるが、低・中レベル放射性廃棄物は
<概要> 南ウラル核兵器生産コンビナートにおいて、高レベルの放射性廃液による3つの汚染事故が1950年から1967年にわたって発生し、被ばく者の健康調査を行っていることが明らかになった。一つは、キシュテム事故と称する再処理施設で起きた高レベルの放射性廃液の入った液体廃棄物貯蔵タンクの爆発事故、つぎは、液体放射性廃棄物の開放貯蔵所として使用していたカラチャイ湖の沈泥に沈着していた放射性物質の再浮遊による汚染事故、そして、これらの事故にさかのぼって、核兵器生産コンビナートの稼動初期には再処理技術の完成度が低かったため、高レベル液体廃棄物をテチャ川などに投棄していたことによる下流地域の住民の被ばく事故である。 <更新年月> 1998年03月 (本データは原則として更新対象外とします。) <本文> 1.EURT事故(キシュテム事故) (1)概要 1957年9月29日に、南ウラルのチェリャビンス
<概要> 米国における放射線の健康等に与える影響の検討は、1946年の米国科学アカデミー(NAS)‐研究審議会(NRC)の原爆被害調査委員会(ABCC)に始まる。1954年にはNASに「原爆放射線の生物学的影響委員会(BEAR)」が設置され、遺伝学的影響、病理学的影響、気象学的影響、農業・食料への影響、放射性廃棄物の拡散と処分、及び海洋学的影響と漁業への影響を調査検討し報告された。この報告は、1959〜1970年の連邦放射線審議会(FRC)が発表する指針や米国の政策に大きな影響を与えた。1970年に発足した環境保護庁(EPA)は、放射線のリスク評価・連邦方針に関するより進んだ調査・検討を米国科学アカデミー(NAS)に依頼し、NASは研究審議会(NRC)に「電離放射線の生物影響に関する委員会(BEIR)を設置して対応した。その結果は、BEIR-I〜VIIの報告書で発表されている。これらの報告
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く