お市の方(おいちのかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。初め近江の戦国大名・浅井長政の継室で、後に織田家重臣の柴田勝家の正室となった。小谷の方(おだにのかた)、小谷殿とも称される。名は通説では「於市」で、「お市姫」(お市御料人)とも云い[1]、『好古類纂』収録の『織田家系譜』には「秀子」という名が記されている[2]。 江戸時代の書物の『 祖父物語』や『 賤岳合戦記』によれば「天下一の美人」(天下第一番の御生付)だと誉が高かったという[3]。 前半生についてはほとんど記録がなく不明である[注釈 2]。実名も一次史料には見られず定かではない。戦国大名・織田信長の妹(または従妹[注釈 3])で、通説では、天文16年[注釈 1](1547年)に尾張那古野城内で生まれたとする[1]。また信長とは13歳離れていて、父は織田信秀の五女と[6]されているが、生母は不詳[7]。、土田御前を生母と
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