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真に関するwalkinglintのブックマーク (4)

  • ニセ科学と「断章取義」 - 玄倉川の岸辺

    「水からの伝言」をニセ科学と知りつつ「いい話だから」と受け入れる人たちがいる。 「水からの伝言」とカードの城 受益者は当事者 彼らの姿を見て「断章取義」という言葉を思い出した。 だんしょう-しゅぎ 【断章取義】|〈―スル〉 - goo 辞書 断章取義 意味 書物や詩を引用するときなどに、その一部だけを取り出して自分の都合のいいように解釈すること。▽「章」は文章。また、詩文の一編。「断章」は文章の一部を取り出すこと。「取義」はその意味をとること。「章しょうを断たち義ぎを取とる」と訓読する。 山七平によれば、日人の思考法の底には体系的思想の「一部だけを取り出して自分の都合のいいように」解釈して利用する断章取義があるのだという。谷沢永一によるまとめがわかりやすいのでそちらから引用する。 元亀・天正、少なくとも秀吉の時代までの戦国武士は主を選んだ。島左近のように、あるいは渡辺勘兵衛のように、幾

    ニセ科学と「断章取義」 - 玄倉川の岸辺
    walkinglint
    walkinglint 2008/02/21
    > こんな世の中でわざわざニセモノを擁護し珍重する必要があるのだろうか。私はせめて「いい話」は本物であってほしいと願う。
  • らばQ : 情報格差──これから始まろうとしている本当の格差社会

    情報格差──これから始まろうとしている当の格差社会 ここ数年、新聞やテレビで格差社会という言葉をよく見るようになりました。実際、経済格差はけっこう広がりつつあります。富める者はますます富めるようになり、貧しい者はますます貧しくなる。それが格差社会です。 しかし、格差があるとはいってもそれなりにべてはいけますし、共働きならどうにか子供の一人くらいは育てられるくらいは稼げたりします。 ……今ならば。 数十年後、いや、あるいは数年後かもしれません。その「べていける」というレベルの格差すら生ぬるい、当の格差社会がやってくるかもしれません。 これを一言でいうなら、「情報格差」です。それを以下より解説します。 ググれる人、ググれない人 「ググる」子供と、「ググれない」子供という記事が、夏休みの終りに話題を賑わせました。小学6年生の娘がインターネットを活用して学習を進めて行く様を描きながら、イン

    らばQ : 情報格差──これから始まろうとしている本当の格差社会
    walkinglint
    walkinglint 2007/09/20
    > テレビや新聞ばかり見てるとバカになる
  • 2006-11-02

    先日の対談イベントより。 児童労働がひたすら美化される宮崎駿アニメや、『美しい国へ (文春新書)』(安倍晋三)を例示しながら、「働くことは美しい」という思想や言説が問題化された。 斎藤環氏自身は、個人的な美的感覚としては「働くことは良い」と感じるが、それは倫理的判断とは別に考えるべきだという。 それを受けて考えれば、 フィクションやドキュメンタリーにおいて、ひきこもり当事者(を意味する人物像)が、「気色の悪い男」として描かれたり、逆に過剰に美化されるとしたら、それは「美的なものが倫理を犠牲にしている」と言える。 今後の議論にどうしても必要なモチーフだと思うので、引用します。 id:kwktさんによるレポート「モバイル社会における技術と人間」の、斎藤環氏の発言より(強調は引用者)。 「関係性」が前景化し問題化される。 「関係性」と「コミュニケーション」は違う。 両者の差異がユビキタス化によっ

    2006-11-02
    walkinglint
    walkinglint 2006/11/03
    まあ美なんて言いだしたらあれ(終わり)だな... 笑) > 「気色の悪い男」として描かれたり、逆に過剰に美化されるとしたら、それは「美的なものが倫理を犠牲にしている」と言える。
  • 不快であることと、数の暴力と。 - 世界線航跡蔵

    これまで「正しく」生きてきた人であればあるほど、自身が不快であることと、正しくあることとを無自覚に混同しがちなのかもしれない。 なるほど、あなたの感性は多数派のそれかもしれない。なるほど、あなたは真っ当に生きてきたかも知れない。だからこそ、あなたが不快に感じたこれまでの数々は道理に照らしても正しくないものであったかもしれない。けれども、あなたはその結果として、自身の不快感覚を原則に従って照合し、それが社会的に正しいか正しくないかを考えることを怠ってきたのではないか。 あなたがこれまで遭遇した不快な事柄というのは一つ残らず、誰に尋ねても「それは社会的に正しくない」というものであったかもしれない。けれども、それ故に道理と快/不快とを混同していないだろうか。それがいつでも合致するものでないくらい、落ち着いて考えれば分かる人であるだろうに。 不快であることを頼りに人を批判するならば、それはすぐさま

    不快であることと、数の暴力と。 - 世界線航跡蔵
    walkinglint
    walkinglint 2006/10/29
    > これまで「正しく」生きてきた人であればあるほど、自身が不快であることと、正しくあることとを無自覚に混同しがちなのかもしれない。
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