『思い描くことができれば現実にできる』〜たった1人の小さな願いをビジネスに変える起業プロデュースやコンサルティングを行なっています〜 「さあ、クイズの時間だ!」 大学教授は、そう言って大きな壺を取り出し、教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ石を詰めた。壺が一杯になるまで石を詰めて、彼は学生に聞いた。 「この壺は満杯か?」 教室中の学生が「はい」と答えた。 「本当に?」 そう言いながら教授は、教壇の下からバケツ一杯の砂利を取り出した。そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、石と石の間を砂利で埋めていく。 そしてもう一度聞いた。 「この壺は満杯か?」 学生は答えられない。一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。それを石と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。 「この壺はこれで一杯になったのか?」 学生は
『思い描くことができれば現実にできる』〜たった1人の小さな願いをビジネスに変える起業プロデュースやコンサルティングを行なっています〜 人の悩みというのは、古今東西、国が違えど、時代が違えど、次の3つに集約される。 「人間関係」「お金」「健康」の3つである。 これらの悩みの本質はすべて、人生におけるリスクを示している。 「お金・人間関係・健康」はじゃんけんのグー・チョキ・パーのようなもの 人は誰しもリスクをとらなければならない。なぜなら、生きとし生ける者、生物が生きるということは何らかのリスクを取って行動をすることに他ならないからだ。 リスクを排除することは決してできない。もしそれができるとすれば、その生物が死の瞬間を迎える時だけだ。 だから、生きる者すべては生きていることそれ自体にリスクを背負っている。リスクを取らないという選択肢はそもそも存在しておらず、生きることについてあなたは『どのリ
新刊『オクテ女子のための恋愛基礎講座』では「本当に幸せになれる相手をみずから選ぼう」と書いてます。 そのために「自分にとっての幸せは?本当にほしいものは何?何を捨てられて何は捨てられないのか?その優先順位は?」を考えましょうと。 私は一貫して「他人軸ではなく、自分軸で考えて選ぼう」と主張してきました。その主張の陰には、母の存在があります。 母は今でいうVERY妻になりたかった人でした。 キラキラ女子の最終目標、勝ち組の象徴。ハイスペ夫と結婚してセレブ主婦になり、子どもを有名私立に通わせて、周りから「幸せそう」と羨まれる存在。 母はその目標を叶えたけれど、全然幸せそうじゃなかった。そして最期は誰にも看取られず、1人暮らしの部屋で遺体で発見されました。 母はとても美しい人でした。母似の弟は若い頃モデルをしていました。ちなみに私は父似で、父は左とん平に似ています。 母は若い頃からセレブ志向が強か
最近、のぶみさんという絵本作家さんが描く絵本が、私の子どもたちの中でブームになっています。これまでに読み聞かせてきたどんな絵本よりも、「よんで!よんで!」と言って持って来るので、今では、家族みんなのお気に入りの絵本たちになっています。今回は、そんな絵本を描いている、のぶみさんという絵本作家さんの書いた書籍について紹介したいと思います。 息子が目を輝かせた絵本 ある日、ショッピングモールにある絵本コーナーで子どもたちに絵本を読み聞かせていたとき、本棚に面白そうな本が並べられていることに気が付きました。 ぼく、仮面ライダーになる! ゴースト編 (講談社の創作絵本) 作者: のぶみ出版社/メーカー: 講談社発売日: 2015/11/06メディア: 単行本この商品を含むブログを見る 本物の仮面ライダーが描かれている表紙にも驚いたんですけど、それ以上に、ちょうどそのとき、息子が仮面ライダーゴーストに
bokukuro.com 不定期ですが、リンク先に寄稿することになりました。“不惑日誌”らしく、おじさん話をしようと思ってます。脱-オタクファッションの行き着いた果てや、ファスト風土のおじさんの話もしたいところですね。 それはさておき、こちらは自分のブログなので、勝手気儘に垂れ流して構わないでしょう。 不惑。 びっくりしましたよ、こんなに逃げ場の無いものだなんて。これまでの積み重ねの延長線上として現れた“現実”がどこまでも広がっていて、それがセカイを構成しているんですよ。かつて私は、“現実が追いかけてくる”と連呼して非モテの人達をうんざりさせていましたが、当時、私が言っていたことは四十にして証明されました。やっぱり追いかけてきましたよ、“現実”が。 しかし、私が言っていた“現実”とは、空想的なもの言いでした。良い現実もあれば悪い現実もあり、ラクな現実もあれば塗炭の苦しみもある……そんな風に
生きているということは「大丈夫だ」ということの最大の証明であり、(無職だろうがニートだろうが不登校だろうが精神的に不安定だろうが家や金がなかろうが)どのような状況に置かれているとしても、現在も無事に生きているということは「別に大丈夫である」ということなんだと思いました。 — 坂爪圭吾 3/30-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 28 坂爪さんは現在「家がない生活」を実験しています。1年前に彼女との同棲をやめて、アクシデンタルに家がなくなって、そのまま生活したら「別に大丈夫である」ことに気づいて世界中をうろうろして…今はイタリアにいますねこの人w バチカンの空は青く!! pic.twitter.com/LDv4YmzQqk — 坂爪圭吾 3/30-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 31 あんまりカテゴライズするの
椅子しか置かれていない真っ白な空間に一人のゲストが座ると、正面のモニターにはCGで作られた亡くなった相手の顔が現れ、話し始める… 私の記憶ではポリゴンで作られた3Dモデルのようなものだったと思いますが、ゲストにとっては”もう会えるはずのない人が登場し、彼らと実際に会話ができる“体験がとても新鮮だったようです。 もちろんテレビ&役者さんですので演出もあるかと思いますが、毎回登場するゲストの反応がとても興味深い。モニターに亡くなった相手の顔が映るとものすごく動揺したり、会話を続けていくにつれ、ゲストの脳裏には様々な思い出の記憶が蘇っているんだろうなという様子は視聴者目線で見ていても、とてもリアルでした。 CGキャラクターとの会話自体は、自然言語処理や音声認識といったAI技術を使ったものではなく、(おそらく)事前リサーチを元にしたナレーターや声優の人力による裏方的な対応なわけですが、それでもゲス
ぼくがどういうひとと付き合いたいか、付き合っているか、を考えてみた。 人間関係の基本はお互いの信用にある。どこまで相手が自分を信用しているか、逆に自分が信用するかを値踏みすることになる。 これは意識的、無意識的を問わずにすべての人間がやっていることだ。 ぼくが仲がよくなるひとには、なぜか世間的には信用できないひとである、とか思われていることが多い。 そういう一般的に”難しい”ひとと付き合えるのはひとえにぼくの優れた人格の賜物であるとか以前は思ったりもしてたのだが、そういうわけでもないなといつの頃からか考えるようになった。 世間で油断ならないとか、自分のことしか考えないとかいって非難されるタイプの人には共通項がある。他人を信用しないということと、もうひとつそれを態度に出しているひとであるということだ。 他人を信用しないだけならともかくそれを態度にわざわざ出してしまうというのはどういうことか。
55才になってしみじみ感じることがいくつかある。何度もどこかで読んだようなセリフだから、それをここに書いたところで誰かの役に立つかどうかはわからない。 ただ、人生の残り時間が少なくなったにもかかわらず、あいかわらず、人生が無限に続くと感じていた若いころの考え方をひきずっていることも多いので、自分のための覚えとしても、書いてみることにした。 若いころは時間が無限にあるように感じた。だから、1時間辛い仕事をしたら5000円あげると言われたら喜んでした。自分の時間をお金と引き換えることに躊躇もなく、その金額は低かった。 やがて自分にとって時間の価値はだんだんとあがり、今では完全に逆転したように思う。 お金で自分の時間を買うこともできるけど、自分に残された総時間以上の時間はどれほどお金を積んでも買うことはできない。 いくら良いものを持ったところで、いつかは無価値になる。経験はいつまでも心のなかにも
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