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建築に関するy_rのブックマーク (6)

  • 読書の時間 | 大阪の古建築

    ブログを書くにあたって主に参考になったを挙げます。 単なる分類記号としてのカタカナ様式名や漠然とした好み以上に、より総合的に古い建物に対する理解を深めるためには基的なの理解が必須になります。また古い建物は建築意図、生活様式など過去の異質な時代の異質な人間の精神の表現であるがゆえに、せいぜい20年程度の歴史しかない乏しいネット情報だけでは弱いと痛感します。 面白いが見つかれば随時更新予定です 建築の歴史―世界の名建築の壮大な美とドラマ (2001年) ジョナサン・グランシー RIBA会員の建築評論家が書いた建築史の。英国らしい豊富な図版と簡潔で論理的な解説が優れている。各様式の理解に役立つ。 建築 (知の遊びコレクション) (2007年) ジョナサン・グランシー 上述の建築各論。アングロ・サクソン系にやや偏重しているが、各時代の建築が豊富にカラーで網羅されているのが素晴らしい。

    読書の時間 | 大阪の古建築
  • ひとかかえ大きな木

    通史: 日建築の架構 層塔の歴史 飛鳥時代: 飛鳥から奈良へ 法隆寺西院 明日香の里 奈良時代: 唐建築の導入 平安時代: 寝殿造の成立 二つの浄土 鎌倉室町時代: 東大寺再建 安土桃山時代: 装飾的建築 キリシタン建築の謎 江戸時代: 書院造の形成

    ひとかかえ大きな木
  • 大阪の古建築

    大阪南陽演舞場(現 新世界国際劇場+新世界国際地下劇場) 竣工年:昭和5年 (1930) 設計:増田清 旧新町演舞場(1922)が取り壊された現在、大阪で唯一残る上方舞演舞場の遺構。 現状下手糞な看板と白ベタ塗の壁面ペンキ塗装、内装も戦後改変されているのだろうが、よく見るとスクラッチタイルのロマネスク様式にアールデコが加味された、1920-30年代の典型的な歴史的様式建築であることが判る。RC造の西洋風の外観と近世木造劇場建築の伝統である花道と桟敷(さじき)席がある内装の組み合わせは京都の先斗町歌舞練場(1927)、祇園新地甲部弥栄会館(1936)と同様である。しかし大阪に現存する演舞場建築はこの旧南陽演舞場のみである。 演舞場とは花街(いろまち)の芸妓や舞妓が舞を披露するための劇場。近世以来の四花街(北新地、新町、堀江、南地)に加えて、近代に入り新世界に南陽新地なる花街が生まれた。東京帝

    大阪の古建築
  • ターニング・トルソ - Wikipedia

    ターニング・トルソ (Turning Torso) は、スウェーデンのスコーネ県 マルメにある超高層マンションである。 概要[編集] 54階建て、高さ193メートルで、スカンディナヴィアで一番高い建物である。2005年8月27日に正式オープンした。建築家サンティアゴ・カラトラヴァによるデザイン[1]。 5つの階で1つのブロックを構成し、上に登るにつれてそれが徐々にねじれていくデザインになっている。最上階では1階に対して90度のねじれをもつ。下の2つのブロック、すなわち1階から10階まではオフィスとして貸し出されており、それより上の階は149世帯分の住宅になっている。高級アパートである。 脚注[編集]

    ターニング・トルソ - Wikipedia
    y_r
    y_r 2011/06/09
    中の人の平衡感覚は大丈夫なのかと心配になるデザイン。
  • 旧モーガン邸、旧住友家も…神奈川で焼失相次ぐ歴史的建物 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    また、昭和初期の洋館「旧モーガン邸」(藤沢市)でも2007年5月と08年1月、棟と別棟をそれぞれ全焼する火災があった。旧住友家の出火原因は分かっておらず、旧モーガン邸については県警が放火とみて捜査している。 旧吉田邸は6時間半にわたって燃え続け、建物は黒々と焼け落ち、跡形もなくなった。駆け付けた神奈川県の松沢成文知事は、「文化的資産が全焼してしまい残念。今後のことは地元や国、西武鉄道と相談しながら決めていきたい」と肩を落とした。大磯町の三好正則町長は「非常にショックを受けている。できることなら、再建したい」と話した。

    y_r
    y_r 2009/03/26
    火つけたやつだれだよ
  • 京阪中之島線開業。そして消えゆくダイビルと朝日ビルディング - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    昨日、10月19日は京阪電気鉄道中之島線の開業日でした。 京阪が天満橋から先、野田方面に地下新線を延ばす.......と朝日新聞で読んだのは1988年(1989年の運輸政策審議会で玉江橋→中之島延長決定)。20年前とは言え、すでに高校生だったんで片福連絡線(JR東西線)や大阪外環状線(おおさか東線)ほど思い入れはないものの、永年、京阪線とはご縁があったんで、初日に行っておきたい。 前日に開業したJR桂川駅に立ち寄ってから京橋駅に着いたのは15時過ぎ。フリー切符(水都・中之島1dayチケット 500円)を買い求め、ちょうどやってきた中之島行き快速急行に乗り込みました。席は埋まっていて、立ち客もそれなり。 中之島駅到着は15:50(定刻より6分遅れ)。到着前に信号待ちするなどダイヤはそれなりに乱れていたようですね。朝ラッシュ時の淀屋橋駅を彷彿させる感じですが、まあこれも今日だけのことでしょう。

    京阪中之島線開業。そして消えゆくダイビルと朝日ビルディング - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    y_r
    y_r 2008/10/30
    みにいくか...
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