村正 徳川家康の祖父清康と父広忠は、共に家臣の謀反によって殺害されており、 どちらの事件でも凶器は村正の作刀であった。 また、家康の嫡男信康が謀反の疑いで死罪となった際、介錯に使われた刀も村正の作であったという。 さらに関ヶ原の戦いの折、東軍の武将織田長孝が戸田勝成を討ち取るという功を挙げた。 その槍を家康が見ている時に、家臣が槍を取り落とし、家康は指を切った。 聞くとこの槍も村正で、家康は怒って立ち去り、長孝は槍を叩き折ったという。 これらの因縁から徳川家は村正を嫌悪するようになり、徳川家の村正は全て廃棄され、 公にも忌避されるようになった。民間に残った村正は隠され、時には銘をすりつぶして隠滅した。 27:自治スレでローカルルール他を議論中:2010/10/17(日) 15:42:45 ID:8yneVzzv0 草薙の剣にまつわる話 604 :名無しさん@京都板じゃないよ :03/