どうしてフィクション内の魔法が合理的でなくてはならないかの考察 ゲームなり創作物語なりを拵え、作品世界に魔法を存在させたとしよう。火の玉を作るとかネズミに変身するとか宿敵に納豆の匂いを全身から発させるといった便利な現実湾曲メソッドである。するとどこからともなく合理性の番人が現れて文句を付け始める。「この魔法は熱力学の第一法則を破っているぞ!」「変身中の声帯で人間の言語を使えるのはおかしい」「皮膚常在菌が納豆菌の繁殖を抑えるのでは?」といった調子だ。 ううむ、どういう事だろう? そもそも魔法には物理法則をねじ曲げる事が期待されているのではないか? 合理性の番人は物語に不合理な期待を抱いていてすべてが現実世界と同じでなければ気が済まないのか? そうではない。こうした苦情には実は理がある。本質的な問題は現実を湾曲する事でなく、湾曲の帰結を十分に掘り下げていない事なのだ。 物を空中に持ち上げる魔法