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心理に関するziglarのブックマーク (4)

  • 甘やかされた大人のための人格改造ワークショップ

    めんたね @mentane 今年度、最初の問題意識は「甘やかす」ということに向いた。甘やかされて育った子どもが、将来、どんな大人になるのか?そもそも、「甘やかす」とはどのようなことなのか?今年最初の教育WSまでにそのへんが自分の中でまとまるだろうか? めんたね @mentane 親が子供を甘やかすとき、1.「甘やかす」という概念を知らず、愛情をかけていると勘違いしている2.甘やかすのはよくないとわかっているが、自分が子供を甘やかしているという自覚はない 3.甘やかすのはよくないとわかっているし、甘やかしているという自覚はあるが、やめられない、の3つがある めんたね @mentane 3というのはほとんどいない。甘やかしている親はたいてい1か2だ。ぼく自身も子供ではないが、WSにアシスタント参加させているアシスタント達について、時に「甘やかし過ぎているんじゃないか?」と不安になって関わりをじ

    甘やかされた大人のための人格改造ワークショップ
    ziglar
    ziglar 2013/01/06
    理性と感情の切り分けは、やはり必要だということ。
  • 憎しみを捨てる - 傘をひらいて、空を

    うちの男の子がねと彼女は言う。彼女には三歳の男の子がいるけれど、その子のことはそう呼ばない。武生がね、と言う。うちの女の子、というときも同じだ。彼女に娘はいない。うちの男の子がね、同期が結婚しちゃってつらいみたいで、ああその同期の女の子を好きだったわけ、だいぶがんばって、でも学生時代からの彼氏に勝てなかったみたい、それで、殴る夢を見るというの。 彼女の話はよく跳躍するので私は好きだ。少しわかりにくいけれど、速度の感覚がある。わかりやすさなんかたいしたものではない。わかりやすさのために話を聞くのではない。快さのために聞くのだ。 その好きな人を殴る夢を見る部下って、よく相談に来るの。私がそう訊くと彼女は首をかしげる。ほかの子はいろいろ相談してくるけどあの子はしないな、でも今回は、なんていうのかしら、まだ仕事に支障は出てないんだけど、たぶん持ち帰ってどうにかしてるんじゃないかと思うんだけど、半分

    憎しみを捨てる - 傘をひらいて、空を
    ziglar
    ziglar 2011/12/18
    消すことはできない。しかし、折り合いをつけることはできる。
  • Twitterの投稿内容から鬱度を測定する - Unchained Life

    もうすぐ5月です。 Twitterの投稿内容から度を測定するRubyスクリプトを書いてみました。 これには東京工業大学の高村さんが公開している単語感情極性対応表というものを使っています。 http://www.lr.pi.titech.ac.jp/~takamura/pndic_ja.html これはある単語がどの程度の感情を表すかを数値化した表で、-1 ~ +1 までの値が特定の単語に割り当てられています。 その単語がネガティブな感情表現だとマイナスの値、ポジティブな感情表現だとプラスの値になっています。 なので、度を測定といってもポジティブな投稿内容が多いときにはプラスの値を返します。 また日語文の形態素解析にはYahoo!の日形態素解析APIを使っています。 http://developer.yahoo.co.jp/webapi/jlp/ma/v1/parse.html

    Twitterの投稿内容から鬱度を測定する - Unchained Life
  • 「観客になる」のは「非日常」から自己を守るための儀式みたいなものでは。 - 想像力はベッドルームと路上から

    当事者じゃなくなればとたんに観客になる人々ってなんだかなあ - novtan別館 このエントリの趣旨は理解するけれども、ただこうまで単純に切り捨てることはできないんじゃないのかな、とも思う。 今日のような突発的に発生した事件や事故に巻き込まれた人達は、普段、自分が「当事者」になることなど微塵も考えていない人達だろう。 そのような人達にとって、「現場の動画や写真を撮ること=観客になること」は、突然自分を襲った「非日常」から自己を守り、普段自分達がいる「日常」に戻るために必要な儀式みたいなものじゃないかと思う。 これは写真を撮っていた人達だけではなく、電話やメールで友人に状況を伝えたり、あるいは、 革命的非モテ同盟跡地 秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録 : 筆不精者の雑彙 このように「ブログエントリ」という形で自分が出くわした「非日常」をまとめている人達にも言えることじゃないだ

    「観客になる」のは「非日常」から自己を守るための儀式みたいなものでは。 - 想像力はベッドルームと路上から
    ziglar
    ziglar 2008/06/09
    最後の一文はまったく同感です。
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